十人十色2014年1月

 

  鳥渡る瓦斯灯ほのとショパンの忌★鈴木奈央子    

 ヨーロッパの街の光景である。私はパリかと思う。秋になり鳥が渡って行く。夕暮になってもまだ一群、二群と南へ向って飛んで行く。街には昔懐かしい瓦斯灯の青い火が点る。そう言えば十月十七日はショパンの亡くなった日である。ショパンは三十歳の頃生まれ故郷ポーランドのワルシャワ郊外を去り、パリに来た。三十八から十年程はジョルジュ・サンドと恋愛し幸せであったが、別れて後一年で生涯を閉じた。奈央子さんは、きっとショパンも渡り鳥を見て、故郷の空を思い出したに違いないと思ったのである。鳥が渡って行く光景も、ほのと点る瓦斯灯も、愛国心に溢れ繊細な心のショパンの忌にふさわしい。抒情性豊かな句である。

  青北風や漁夫たる祖父の舟詞★森山  勉    

 青北風は秋の初めの晴天に吹く北風である。従って初秋の季語である。もともとは北九州の漁師の言葉であったかと思う。勉さんの故郷はきっとその地方なのであろう。勉さんの御祖父さんは漁師であり、その舟詞の一つが青北風であったと言うのである。初秋に吹く北風を身に受けるとこの青北風という言葉を思い出し、御祖父さんと故郷を懐しく思い出すのである。春一番も壱岐島など西日本の漁業関係者の言葉であった。それが一九五七年の海難についてのニュースで、日本全土に知られ俳句の季語にもなった。青北風はまだそれ程知られてはいないが、新鮮な響きのある季語である。青北風から祖父の言葉を思い出し、郷愁を詠ったところが佳い。
  

  焼き上がる骨の太さや桐一葉★佐藤 武代    

 武代さんの御主人は、最近亡くなられた。心より御冥福を御祈り申し上げる。この句はその御主人を荼毘に付したときの光景が描かれている。焼き上がった骨の太さから、生前の逞しかった御主人の姿を思い出しているとき、窓の外で桐の一葉が散ったのであった。太い骨を拾い骨壺に入れながら、何十年もの間の二人での楽しかった生活を次々に思い浮べたのである。この句はそのような悲しい万斛の思いを、骨の太さと桐一葉という客観的な言葉だけで語っている。それだけに読者はより深く、作者の悲しみと祈りの心を感じるのである。御主人の御冥福をもう一度深く祈りつつ、武代さんの心に一日も早く平安が戻ることを祈念している。
  

  新藁の匂ひ高千穂夜を踊る★村田 重子    

 この句で季語は新藁である。「踊る」も盆踊りの可能性もあるが、新藁は刈りたての稲から取った藁である。稲刈りは早いものは七月末からであるが、普通は九月から十月にかけてである。高千穂の辺で七月末に稲刈りが盛んであれば、この踊を盆踊りとする可能性もある。しかし私はこの踊りを高千穂神楽の舞いに合せて踊っている姿と解釈した。高千穂町の各集落では十一月下旬から翌年の一月中旬まで夜神楽が行われる。その注連縄などは当然新藁で作られ、良い匂いがする。夜を徹して神楽の舞があり、若者や観客は身をゆすりぶつけ合う。その様子を描いた佳句と思う。
  

  みな忘れ果てて秋澄む山河あり★古谷 白楊  

 八十歳を過ぎた頃から私もこのような気持ちに時々なる。それ迄はかなり細かくしかも鮮明に憶えていたことが、何となく遠くなり忘れてしまったように感じられるようになった。しかし眼前の山河は歴然とあり、しかも美しい。この句もそのような気持ちを「秋澄む山河あり」と力強く表現したところが佳い。しかもこの句のどこかに、杜甫の「国破れて山河在り」の響きが感じられる。過ぎ去ったものは忘れてしまった。しかし今日もこの美しい山河と共に生きているという、現在を生きている喜びが感じられる。白楊さんの御健吟を祈っている。

  新涼やハワイみやげのアロハシャツ★古川 トシ    

 お孫さんか、曾孫さんかが、ハワイで遊んで来て、土産にアロハシャツをくれたのである。日本の夏は湿度も気温も高く過ごしにくい。一方ハワイは常夏の島ではあるが、海岸が美しく風が涼しい。そのハワイからのアロハシャツである。それを手に持つと、どこからともなく涼しい風が吹いて来るような気がした。まさにそれは新涼の風であった。アロハシャツがハワイから新涼を連れて来てくれたような気持ちがしたのである。トシさんは九十五歳である。しかしこのような新鮮な若々しい句を作っておられるし、毎月投句を続けておられる。トシさんますますお元気で俳句を作って下さい。

  寝袋を開けて真砂の星の中★嶋村 耕平    

 若い人の句である。しかも登山好きな人の句である。高い山の一角に置いた寝袋にもぐり込んで一夜を過ごしたのである。ぐっすり眠ったと思って寝袋を開け、首を外へ出して空を見上げてびっくりした。まだ夜明け前で大空一面に真砂のように星が輝いている。その美しさは低い土地から見た星とは全く比べものにならないし、見える星の数も遥かに多い。その驚きがよく描かれている。特に寝袋を開けた瞬間を描いたところが新鮮である。単に高原の宿の窓やヴェランダから見たのではないところが佳い。

  摂待の煙目にしむ観音堂★伊藤 敬女    

 この句を読んで「摂待」は歴とした季語であることを思い出した。陰暦七月道ばたに湯や茶を用意して、道を行き来する人々に振舞うことをいう。仏教の信者達の習わしであり布施の一種である。熊谷や秩父の方では今でもこの摂待が行われるのであろうか。忘れられようとしている季語を用いたことが、この句の面白さである。摂待の湯を沸すための火から煙が上り、それが観音堂まで飛んで来る。煙が人々だけでなく観音の目にまでしみ入るのであった。懐かしい風景である。夏の暑い日、摂待に和む人々の姿が浮んで来るところが佳い。

  旅芸者大き花野を越え行けり★早川恵美子    

 町から町、村から村を廻って芸をする旅芸者が、大きな花野を越えて行く。一人か、せいぜい二人か三人の少人数であろう。背には着物などの入った包を負い、手には三味線などの楽器を持って歩いている。自動車でさっと通り越すのではなく、わざわざ歩いて行く。昔はこのような姿をよく見たが、乗物が便利になった今日はめったに見られなくなった。或はバスなどが一日に二、三便という不便な地方なのかもしれない。又はそうではなく大きな花野があまりにも美しいので歩くことにしたのかもしれない。美しい大花野を越えて行く旅芸者の姿は、どことなく淋しさを感じさせる。抒情的な句である。

  草花も奈落を覗く村芝居★淺川たか子    

 山村の村芝居の光景である。谷底の方に舞台が作られ、村芝居が始まった。観客は山側に作られた席に座って芝居を見下ろしながら楽しんでいる。その辺りの小さな草花にとっては、谷底は奈落のように深く見え、恐恐と芝居を覗いているようだ。棚田の稲の刈入れも終り、谷の村の人々が村芝居に打興じている姿を草花たちも喜んでいるようである。谷深い村の人々と共生する草花の美しい一場面が佳く描かれている。