十人十色2015年8月

  

うりずん南風干潮渡りし牛車かな★太田 幸子

沖縄も西表島あたりの光景であろうか。干潮になると近くの小島へ牛車で渡ることができる。沖縄では旧暦三月頃、乾季が終り暖かくなる。この時季をうりずんと呼び、その頃吹く南風がうりずん南風えである。その頃は潮も大きく引く。この句は、うりずん南風の吹く中、牛車がゆっくり干潮を渡って行く姿を詠っている。琉球のゆっくりとした、静かな美しい生活の一場面が佳く描かれている。琉球の美しい風土を更に詠い上げるべく、沖縄の俳人は勿論、他の土地に住む人達も一層の努力をしたいものである。この句で「うりずん南風」という季語の響きがよく働いている。


簾して帰国の朝の寝入りかな★井口 清

海外の何処から帰国されたのであろうか。日本へ戻って来た時のほっとした気持がよく表されている句である。気温の高い南国から戻って来られたのではないかと思う。と言うわけは簾にある。南国でも様々な日除けがあるが、簾は簡素で美しく、見た目にも涼しい。日本よりもっと気温の高い国から帰国した朝、簾れ涼しく掛けた部屋でゆっくりと寝入っているのである。簾で表わされた日本の平穏な生活へ戻った安らかさが佳く描かれている。


日焼けせし水夫の胸にクルス揺れ★かや 和子

長崎、それも五島列島辺の水夫の姿であろうか。かつては弾圧され、隠れ切支丹として耐えた人々の子孫かもしれない。今は自由であり、誇らかに日焼けした胸に十字架を飾っている。神に守られながら日々仕事にいそしんでいる水夫の力強い姿が佳く描かれている。イエスの十二使徒の筆頭ペトロもガリラヤ湖の漁夫であった。十字架を胸にしている水夫に、十二使徒を思わせる姿があるようである。


清和の天能褒野に遊ぶ白い鳥★西田 青沙

小学三年生の夏であった。父と母は私に鈴木三重吉が書いた「古事記物語」を買ってくれた。それ以来私はこの本を何度読み返したことであったか。中学三年生の六月浜松大空襲で残念なことに私の宝物は焼けてしまった。しかし敗戦後国語の三浦利三郎先生は、万葉集と古事記を中心に授業をして下さった。三重吉の本でも三浦先生の授業でも日本武尊の話は私の心を動かした。特に伊吹山で魔神に傷つけられ、能褒野で亡くなり白鳥となって飛び去る話、その死の直前歌った「倭は国のまほろば」の望郷の歌の美しさには感激したものである。この句は美しい清和な天の下、能褒野に遊ぶ白鳥を詠ったところが佳い。


花の種蒔くときめきの指となる★藤川 和美

種袋を持つと何となく嬉しくなり、袋をゆすって音を聞いてみたくなる。種を蒔くときはどんな芽が何時生えてくるだろうかと、明るい希望に燃える。それも花の種となるとなおさらである。種を指で大切に一粒ずつ祈る気持ちで蒔くのである。その指も期待でときめくように生き生きと種を土の上に蒔き進んで行く。花の種を蒔こうとするとき、指がいかにもきびきびと動き、希望に弾んでいる。花を蒔く時の指の姿に注目したところが佳い。


教室に「生きる」てふ文字草青む★杉野 知子

日常生活が多様化し、社会に規律の精神が弱っている今日程、子供達に生きる喜びを教え、生きる力を身に付けさせてやる必要がある。そのため小中学校では「生きる」という言葉が授業や校長たちの訓話にしばしば登場するのである。そして黒板や白板などにも書かれることが多い。特に春、皆の気持ちが生長に向っている頃こそ、「生きる」喜びを学ぶ最もよい季節である。この句はまさにそのような光景を詠っている。早春の学校の明るい力強い雰囲気が感じられる。


白昼の蟻鍵穴を覗きをり★岡部 久子

夏の真昼は蟻達にとって一番忙しい時である。その日の食べ物のために探し廻るのは勿論、夏が終って穴の中の生活へ戻った時にも食料に困らないように貯えておく必要もある。そのような蟻であるから、木の孔や地面の穴など丁寧に調べて廻る。その蟻の一匹がたまたま人家の戸の鍵へ登って来て鍵穴を一生懸命覗いているのである。蟻の探究心、好奇心は驚くべきであるが、この句に描かれた蟻も負けてはいない。鍵穴には何があるか真剣に覗いている所が面白い。


ミルクセーキドガの絵のある喫茶店★永井 玲子

エドガー・ドガ(一八三四?一九一七)は、フランス印象派の画家である。自然主義文学者エミール・ゾラ達と交流し、踊り子のさまざまな姿を描いた連作を残している。競馬の絵も多く民衆にファンが多い。パリなどのカフェの壁絵によくドガの絵がある。夏は飲み物の美味しい季節である。ドガの絵のあるような喫茶店なら、ミルクセーキがうってつけ、ミルクセーキを飲みながら、ドガの絵を見ているのである。パリでもよい。東京でもよい。夏の街の生活の楽しい一瞬が感じられる。


花嫁の母となりしや緑雨やみ★神山 敦子

初夏、野山は勿論、街路樹も若葉の緑に溢れる。雨もその緑に染まる。長い間慈しんだ娘が今日は晴れて花嫁になった。緑雨が止むと、樹々の緑は一層美しく輝くのであった。緑雨がやみ、明るい光に輝く新緑に囲まれて立つこの花嫁の母になったのだと、ひとしお深く感慨にふけるのである。そして花嫁の幸を祈るのであった。ここまで此の句の花嫁を自分の娘と解釈したが、花嫁を迎え、今日からこの花嫁の母親として生活を共にするのだという思いを詠ったとも読める。どちらにしても緑雨がやんだ瞬間の明るさが佳い。

下闇や灯籠に彫り万葉歌★金田ふじ江

参道を歩いて行くと鬱蒼と茂る木々の中に入った。一面急に暗くなる。その下闇の中に灯籠が幾つか立っている。その一つをよく見ると万葉集の歌が彫ってあった。この辺りは万葉人が活躍し、歌を詠んだのだ。万葉の時代の人々も、このような、いやもっと深い森の中で生活し、木下闇も楽しんだであろうと思ったのである。下闇の中にある灯籠に彫ってある万葉歌に注目したところが佳い。その万葉歌より千年以上の歴史がこの木下闇に秘められているようである。