十人十色2015年9月

  

柳絮飛ぶ龍門古渡の舫ひ舟★石毛 紀子

柳絮は日本でも見られ春の季語であるが、特に中国の春には柳絮が盛んに見られる。「柳絮之才」という言葉があり「詠雪之才」とともに女性の詩文の才能のほめ言葉になっている程である。龍門は中国に二箇所ある。一つは黄河の中流、もう一つは洛陽の南郊である。この句では洛陽南郊の石窟で有名な龍門であろう。その石窟の近くに川がありその渡し場に舟が何艘かつないであったのである。そこへ風が吹いてきたと思っていると、一斉に柳絮が飛んできて、舟が白い絮で覆われたのであった。中国らしい光景を、龍門石窟への渡し場に飛ぶ柳絮によって描いたところが佳い。龍門石窟附近の雰囲気が生き生きと感じられる句であり、優れた旅吟である。


蛍追ふしやぼんの匂ひ濃き子かな★佐々木とし子

蛍を追って大喜びの子供の姿である。その子が近付いて来た時、しゃぼんの匂いが強くすることに気付いたところが面白い。蛍狩りに出る前に、この子はゆっくり風呂に入り、しっかり体を洗って来たのである。一日遊んで汚れた体ではなく、石<GAIJI no="00488"/>も充分に使ってさっぱりとした姿であったのである。服装も清潔であったに違いない。子供達だけでなく大人達も蛍狩りにちょっと御洒落をしているように思える。蛍という美しいものを見に行く人々の華やいだ様子が感じられる。しゃぼんの匂いが濃いところを描いたところに、臨場感がある。


羅の淡き伽羅の香見舞客★柴田 節子

体調をくずし入院した節子さんの所に、見舞に来てくれた人が羅を着ていた。近付いて来るとかすかに伽羅の香がしたのである。伽羅は沈香の中でも最上のもの。見舞客の品の良さ、奥ゆかしさが、淡い伽羅の香から感じられる。淡い香のところが佳い。見舞客の心遣いを心から喜んでいる節子さんの気持ちがよく出ている。節子さんもすっかり元気になられたようである。ご自身も羅を着て元気な生活を楽しんで欲しい。そしてどんどん佳い俳句を作って下さい。


紫陽花の翳ギヤマンの皿小鉢★安藤小夜子

ギヤマンとはオランダ語でダイヤモンドのことである。一方ガラスの細工にダイヤモンドを使ったので、ギヤマン細工のガラスをギヤマンと呼ぶようになり、やがてガラスそのものをギヤマンと言うようになったのである。ではあるがギヤマンの皿や小鉢とあれば高級なガラス製品であるに違いない。そのギヤマンの皿小鉢に紫陽花の翳がさしていることにより、より一層美しさが増す。この句の皿小鉢は台所の棚に飾るように置かれているのではなかろうか。そこへ窓のそばに咲いている紫陽花の翳がさしているのだと思う。静かな美しい光景が描かれているところが佳い。


臥龍石に亀這ひのぼる薄暑かな★田辺 幸子

龍が臥した形の石に亀が這い登ってゆく。亀は甲羅干しをしようと臥龍石に登るのであろうが、龍になってやろうと願って登っているように思えてくる。時は初夏、少々暑さを感じる頃であるが、臥龍石の上には涼しい風が吹いているのであろう。亀はその涼しい風に当りながらゆっくりと甲羅干しをするつもりもあるかもしれない。単に亀が石に這い上るだけでは平凡な光景であるが、臥龍石という立派な石であるところが面白い。


羊蹄花や錆びて密かに猪の罠★清水 元英

羊蹄花はぎしぎしと読み、蓼科に属する。茎と茎をこすり合せるとギシギシと音を立てることから、ぎしぎしと呼ばれると聞いたことがある。羊蹄花の別名は牛草である。羊蹄の花が咲いている野に、密かに猪の罠がしかけられている。その罠もすっかり錆びているのである。猪がたまに来るような広い野があり、そこに一面羊蹄花が咲いている。猪の罠が仕掛けられて久しい。その罠もすっかり錆びてしまった。捨てられてしまったような野を覆うように咲いている羊蹄花に、かくされている猪の罠を描いた所が面白い。

一仕事をへし立夏の鸛★小野 恭子

日本では鸛は絶滅した。でもたまに大陸から飛んで来るという。私はフランスのストラスブールで沢山の鸛が巣作りをするので何度も見た。木の枝などをくわえて飛んで来る。それを樹の上に置き巣を作る。絶え間なく「カタカタ」とくちばしを打ち鳴らす。巣が出来ると雌は卵を温め、雄は餌を運んでくる。大変忙しそうに雄も雌もよく働く。立夏の頃になると子も育ち、巣作りや抱卵の忙しさからも開放される。そのような姿を一仕事をしてほっとしていると見た所が優れている。よく鸛の生態を観察した賜物である。


むかし米屋の広き三和土や若葉風★久保田悟義

そう言えば昔は米屋の土間は広かった。三和土には米俵などが積んであった。私も子供の頃その辺で鬼ごっこをやったものであった。今でも米屋は間口の広い店が多い。そのようなことを思いながら米屋の前を歩いていると、若葉風が吹いてきたのである。田園地帯の中心の町にある商店街の様子がよく描かれている。特に若葉風が気持ちよく感じられる。明るい若葉の頃の街道の光景である。


平安の土器に鵜飼や明易し★藤原 時男

先日平安時代の土器に鵜飼の様子が描かれているという記事が新聞に出ていた。その土器を見てこの句が作られたのである。鵜飼のことは「隋書」の「倭国伝」にも記されており、鵜飼は古代から行われていた。大和時代には鵜飼部という、鵜を使って魚を捕え朝廷に貢納することを職とする人々がいた。そのように律令制の下では鵜飼は宮廷に直属していた。しかし平安の世になれば民間に大いに広がっていった。この土器の絵はそのような鵜飼の歴史を反映している。その絵にある鵜飼が今も夕刻から夜にかけて行われている。鵜飼が行われる頃は、朝が早々と明ける。古代より続く鵜飼というロマンを感じさせる句である。


屈原を偲ぶ端午に丸木舟★呉 瑞香

屈原は中国の戦国時代の楚の貴族の家柄で、内政外交で活躍した人である。台頭しつつあった秦に対抗し斉と親しくせよという策が受け入れられず、江南に流された。秦によって滅ぼされそうになった楚を見るに忍びず、汨羅江に身を投じた。その生涯は「離騒」という長編の詩として残されている。優れた詩人でもあり楚辞の創造者であった。屈原の姉は弟の忌日五月五日に、弟を弔うため粽を汨羅江に投じたという。その屈原を偲び今日も端午に丸木舟を汨羅江に浮べるのであろう。現代でも屈原の詩を愛好する人は多い。「離騒」は勿論、「天問」「九歌」など。私もその一人である。この句の作者呉瑞香さんも同じであろう。この句には屈原を尊ぶ気持ちがよく表せているところがよい。