十人十色2015年12月

  

鬼の子の己が作りし蓑一つ★松村 三冬

蓑虫はミノガの幼虫で糸を吐いて蓑状の筒形の巣を作る。また糸で木の枝からその蓑を吊り下げる。蓑の開いた口から頭や胸の部分を出し、移動しながら植物を食べる。成虫になると雄は蛾になって飛びたつが、雌は幼虫の形のまま蓑の中に住み続ける。雌はを持たないか退化したを持つのみである。「枕草子」に「いとあはれなり」、「ちちよ、ちちよ、とはかなげに鳴く」と書かれている。この鬼の子は自分で作った蓑一つで毎日暮している。特に雌はそこで一生を過ごすのである。この句では「己が作りし蓑一つ」の中で鬼の子は一世を過すのだと、詠ったところが佳い。「枕草子」は「鬼の生みたりければ、親に似て、これも恐ろしき心あらむ」と書いているが「いとあはれ」の方に力点があると思う。


汗血馬忽ち消えて天高し★大辻 泥雪

「史記」の大宛伝によれば、前漢の将李広利は紀元前一〇四年に大宛に遠征し名馬を得た。大宛は漢代の西域にあった一国であり中央アジアのシル川流域のフェルガナ盆地にあった。その名馬が汗血馬である。一日に千里を走り、血のような汗を流したと伝えられる。この句の作者泥雪さんはシルクロードを訪ね、ウズベキスタン東部の大宛の地と言われるフェルガナ盆地まで足を伸ばされたのであろうか。フェルガナ盆地は大部分砂漠であり、乾燥している。従って秋天はまことに高い。その砂漠を一頭の馬が走っていった。眼前を走り抜けるや忽ち見えなくなってしまったのである。まさに汗血馬のような馬であったのである。ロマンの感じられる句であり、フェルガナ盆地の辺の光景が浮んで来る。

名残惜しさうに鯉抱く放生会★嶋村 耕平

魚や鳥の供養のため、捕えた生物を池や野に放してやる法会が放生会である。七二〇年(養老四年)に宇佐八幡宮で初めて行なわれたという。旧暦八月十五日の八幡宮、特に石清水八幡宮の行事が有名である。この句の面白さはこれから放生しようとする鯉を名残惜しそうに抱いている人の姿を描いたところである。放生のため長年育て可愛がってきた鯉を、持ってきたのであろう。神の池に放してやるのであるから、これからもその池で元気に生きてゆくに違いない。それでも自分の池のように毎日その鯉を見、餌をあげて楽しむわけにはゆかない。別れの淋しさが読みとれるところが面白い。


不知火のはるか沖よりオラショかな★佐藤 博子

旧暦七月晦日頃の深夜、九州の有明海や八代海で無数の火影が見える。それが不知火(シラヌヒ しらぬい)である。烏賊釣船の漁火が冷気によって屈折して見える現象と考えられている。八代海の沖には天草諸島があり切支丹の信者が多くいた。また八代海に面する島原半島にも信者がおり、一六三七年?三八年(寛永一四?一五年)には切支丹教徒を中心に百姓一揆を起した。不知火を見ていると沖からオラショが聞えて来たと感じたのである。殉教者か隠切支丹の人々が唱えているオラショかも知れない。幻想的な不知火が漂う中でオラショが沖から響いてくると詠うことにより、神秘的雰囲気を描いたところが佳い。


鹿の角干して機屋の夜なべかな★井上 淳子

十月奈良公園では放し飼いにされている鹿の角を切り落す。この春日大社の鹿の角か、それとも近くの山に住む鹿の角かは判らないが、機屋では鹿の角を干し、それを磨き整えて飾り物にすべく夜なべに励んでいるのである。機屋であるから、昼間は布を織ることに専念しているに違いない。しかし長い秋の夜を利用して夜なべに鹿の角の飾りを作っているのである。いろいろな夜なべがあるであろうが鹿の角を干しているところが興味深い。静かな田園地帯の光景を詠ったところが佳い。


静かさも雲なき空も終戦日★澤 克朗

一九四五年(昭和二十年)の八月十五日は朝からB29も全く飛ばず静かな空であった。そして雲も殆どない空であった。今年の終戦日も静かで雲のない晴天であった。今年は敗戦より七十年の節目の年、七十歳以上の人々が突然静かな敗戦日を迎えたことを思い出したに違いない。そのような気持ちを佳く描いた俳句である。平和ほど尊いことはない。しかし依然として中近東では戦が行われ、アフリカでもテロが続いている。最近はパリでテロが発生した。ドイツやイギリスもそして日本も安閑としていられない。特にイスラム教対キリスト教・ユダヤ教信者間の対立は深刻である。様々な宗教に寛容な日本人が世界の平和にもっと努力すべきだと思う。

 
二十世紀梨重かりし子規忌かな★高倉 瑩江

二十世紀はニホンナシの一品種であり、十九世紀の末千葉県で発見された。大形球形で美味である。正岡子規は食べ物好きであり、果物が好きであった。しかし亡くなったのは一九〇二年(明治三十五年)でまだ二十世紀は世に広がっていなかったであろう。子規忌を修しながら子規に二十世紀を沢山食べさせてやりたかったと思ったのである。と同時に世の中は既に二十一世紀も十五年経ってしまい、二十世紀梨も昔程食べなくなったような気がする。手に持った時の感触の良さ、重さの頼もしさも二十世紀と共に遠ざかりつつあるような気持ちがする。子規の世もまた遠くなったと、懐しむ心がよく表されている。


さはやかや笑顔を画いてオムライス★中島 正則

爽やかな秋になった。オムライスが食卓に出たが、その表面に目鼻口が描いてあり しかもにっこり笑っているのであった。幼い子供がいるのかもしれない。その子供を喜ばせたいと思ってオムライスに笑顔を画いたのではないであろうか。勿論大人たちだけでも悪くはない。爽やかな楽しい食事の光景が佳く描かれていると思う。爽やかな雰囲気がよく感じられるところが佳い。


残月を手玉に遊ぶ芋の露★鹿野 尚

芋の露と言うと、直ちに、 芋の露連山影を正しうす 飯田蛇笏 という名句を思い出す。その厳しさに対しこの句は、芋の露が残月の浮ぶ朝空の下で、ころころ遊び回っている様子を描いたところが楽しい。しかも残月を手玉にとって遊んでいるようにみたところが面白い。芋の露一つ一つが残月を写しながらころがっているように表現したところが巧みである。


菊の日や母にきれいなオムライス★伊藤とう子

オムライスは幼い子供が喜ぶ食物である。とう子さん自身も子供の頃よくお母さんがオムライスを作ってくれたのであろう。年取ったお母さんを、今度はオムライスを作って喜ばせて上げよう。そのような優しい気持ちで、そして幼い日を思い出しながらオムライスを作ったのである。それも菊の日にである。菊の日は陰暦の九月九日の節句、高い所に登り長寿を祈り酒に菊の花を浮べて飲む日である。その菊の日である。お母さんの更なる長寿を祈って、オムライスを作って喜ばせてあげたのである。その気持ちの優しさに心を打たれる。御母堂の長寿をお祈り申し上げる。