十人十色2017年8月

 

地底より黒人霊歌棉の花★増田 昭女  

アメリカの民衆が歌う宗教的な歌にスピリチュアルがある。プロテスタントの白人たちの白人霊歌と黒人たちの黒人霊歌の二つである。私が初めて黒人霊歌を聞いたのは、一九六〇年イリノイ州の南部の大学へ講演に行く途中の畑であった。棉の花を摘んでいる農民が歌っていた。当時はまだニグロと呼んでいたアフリカ系アメリカ人のニグロ・スピリチュアルであると、白人の友人が教えてくれた。その哀調を帯びた歌は、まだ敗戦の悲しみから抜け切れてない私の心を深く打ったのである。物理学者であることが幸して、ジャップと蔑まれたことは無かったが、まだ肩身の狭い時代であった。この句は黒人霊歌が地底からと言ったところが巧みである。本当に地下から響いて来るような哀調がある。

 

蛍飛ぶ首里に継がれし童唄★垣花 東洲 

首里は言うまでもなく、沖縄県の県庁所在地那覇にある。この首里城は琉球王朝の城である。一九四五年アメリカ軍との烈しい戦で惜しくも焼失した。戦後守礼門や正殿が復元された。その周りの町では現在でも琉球時代の雰囲気が残っている。従って童唄なども歌い継がれている。近くの川でこの童唄を歌いながら蛍狩をしているのである。昔から伝わる童唄を歌ったり聞きながら蛍狩をやれるとは、幸いなことである。私もそれを見に行きたい。大切に守って欲しい風物であるが、もしかするとこれは垣花東洲さんの若い頃の思い出かもしれない。何とかして現在にも残っていて欲しいものである。楽しく懐かしい光景を詠ったところが佳い。

 

香水の瓶のくびれや巴里祭★安西 佐和   

香水と言えばフランスやドイツを思う。ドイツも思い出すのは明治の昔から流行したオーデ・コロンがあるからである。オーは水、コロンは、昔ローマが占領してコロニーにしたコローニュ(ケルン)のことである。昔ケルンに住んだイタリア人が創製した香料をアルコールにとかした水溶液であり、フランスで広まったという。シャネル・ナンバーファイブなどパリの香水の人気が高い。そのパリ製の美しい香水の瓶のくびれを見ながら、今日はパリ祭だと思っているところが佳い。洒落た句である。巴里祭をパリーさいと読ませて上五や下五に置く。私もそうしたことがあるが、本来はパリでありパリーとは言わない。出来ればパリ祭で作りたい。

 

桑を解く一揆の里の段畑★新井亜起男 

秩父の句である。一八八〇年代前期(明治十年代後半)深刻な不況が日本を襲った。その時秩父困民党が結成され借金の利子減免などを要求して一揆を起したのである。この一揆では学校費や雑収税の軽減も訴え武装蜂起した。そのような一揆の中心になった里も現在はおだやかに、養蚕などを行っている。冬には桑を括り、春になると桑を解き、養蚕のため葉を摘む準備をするのである。その桑畑は山の傾斜面を利用して作られている。かつて一揆を起したような里も、現在は平和な豊かな里である。そのような秩父らしい光景を佳く描いている。

 

病む夫のうすき掌にある柏餅★山本 郁子

最愛の御主人が病気になられた。郁子さんは日夜心から看病しておられる。五月の節句の頃柏餅が売られている。柏餅>は正に五月五日の節句の供え物である。これを御主人に食べさせ健康が一日も早く回復するようにと、祈るような心で買って来たのである。御主人は嬉しそうにそれを掌に乗せたのである。その時郁子さんは御主人の掌がうすくなってしまったことに驚き悲しく思ったのである。あの丈夫な力強い掌がこんなに薄くなったとはと心配しながらも、この柏餅が御主人に大きな力を与えるであろうと願いつつ、御主人を温かい目で見つめているのである。御主人への深い思いやりが滲みみ出ている句である。

 

さくらんぼ猫を刻める猫の墓★野中 紀郎

さくらんぼというと桜の実でもあるが、現在は西洋ミザクラの果実を呼ぶことが多い。しかしこの句の場合は普通の桜の実の方がふさわしいように思うので、そう解釈しておく。一家で可愛がっていた猫が死んだ。その猫が元気だった頃よく登って遊んでいた桜の樹のそばに墓を作ってやった。そしてその猫の姿を墓に刻んで、何時までもその猫を思い出せるようにしたのである。その桜の木の実が熟す季節が来た。生きていた頃登って、この桜の実で遊んだものであったと思い出すのである。猫の姿の刻んである猫の墓を描いたところにしみじみとした味があって佳い。

 

春宵や木星スピカひびき合ふ★佐竹 昌子  

スピカはラテン語で麦の穂という意味だそうである。初夏の夕暮に南中する乙女座の首星である。初夏に近い春の宵であれば、東の空のかなり高い所にスピカが輝いているであろう。その近くに木星がいたのである。木星は太陽系で最も大きな惑星で金星に次いで明るい。木星とスピカで輝き合う様子は美しい。それを響き合うと表現したところが佳い。スピカは麦秋の頃の夕暮に南中する。それで麦の穂と名付けたのだろうか。先人の詩心が見えてくる。天体の美しさを詠い、読者の心を晴ればれとしてくれる句である。

 

つかのまの縁を芽木に母子熊★山田 一政    

動物の種類にも依るが、母子の別れはかなり早い時期に行われるものが多いようである。この句の熊の母子も別れが近く、母とし子としての短い時を惜しんでいるようである。そばにある木の芽もすぐ育って枝や葉そして花に成る。そのような木の芽のそばで、母子としてのつかのまを大切にし、別れてしまうという運命を何とか避けて、ずっと一緒にいることを望んでいるのである。母熊子熊に幸せな将来があることを祈っている作者の優しい気持ちが佳く出ている。

 

バーコード付き塩むすび新社員★木村 史子     

親の許を離れ社会へ出たばかりの新入社員である。自分で料理して弁当を作るような余裕もないのであろう。昼食に塩むすびを食べようとしている。見るとバーコードが付いたまま。これはコンビニかどこかで買って来たものに違いない。まだ独身のしかも男の新入社員に違いない。それがバーコード付きの物を弁当にしているところから、すぐに分るのである。会社の四月頃の昼食時間の微笑ましい光景が佳く描かれている。明るい句である。

 

汨水の波おだやかに笹粽★大辻 泥雪  

汨水は言うまでもなく汨羅江のこと。それは中国湖南省を流れ湘江に注いでいる。中国戦国時代の楚の人屈原(前三四三年頃~前二七七年頃)は、楚の王に勃興しつつある秦に対抗すべく準備せよと献策したが入れられず、江南に流された。やがて秦に攻められ滅亡しそうな楚を見るに耐えず、汨羅に身を投げた。それが五月五日であったと伝えられる。姉がそれを悲しみ、弟を弔うため粽を作り、虬竜(キュウリョウ)―みずちに捧げたと言う。五月五日、汨水の岸に立ち屈原を思いながら、笹粽をほどいているのである。江の波はまことにおだやかで平和な光景である。この平和こそ屈原の霊を慰める最善の方法であると作者が感じているところが佳い。