十人十色2017年9月

 

ピカソより二歳児の描くさくらんぼ★佐野 伸子  

ピカソは「青の時代」「薔薇色の時代」を経て、キュビスム(立体派)の画家として近代西欧画を改革し、シュール・レアリスムへと接近していった。常に新鮮な気持ちで斬新な絵を描いた。時には子どもが描くような一見幼稚とも言えそうな作品も発表した。この句はそれを逆手にとって、二歳児が写生したさくらんぼの絵の方がより一層、新鮮で面白いと言うのである。絵でも俳句でも幼児や小学生が描いたり作った作品が、思い掛けなく美しかったり面白かったりする。この句はそのような情況を詠ったところが佳い。このような才能も一たんは教育によって平凡なものになる。しかしその上に更に芸を磨いて非凡な能力が育ってゆく。それが教育のむずかしさである。

 

網戸からはつかに覗く虫の脚★前  九疑

細かいところをよく写生したと感心する。網戸に何か細い鋭い針のようなものが見える。何だろうとしっかり見つめると少々動いた。その瞬間「あっ、虫の脚だ」と気付いたのである。小さな虫の強靭な輝くように美しい脚であったのである。このような句を瑣末(トリヴィアル)だと否定してはいけない。自然が見せる大きな美もよいが、ゴキブリの髭とか穀象虫の翅とか、人々にいやがられる虫も、よく見ると実は美しい。網戸からちらっと見えた虫の脚の美しさが、作者の心を打ったのである。自然と共生を楽しむ俳句作家の目が実に佳く働いていると思う。

 

うすものに骨壺の骨重きかな★小栗百り子   

最愛の御主人が亡くなった。その骨壺を抱いて、骨がずしりと重い事に驚き、生前の御主人の逞しい体格を思い出したのである。そして優しかった御主人のことをしみじみ思いつつ、悲しみの気持ちを深めるのであった。夏の葬儀であるので薄衣を着ているが、それ故に一層骨の重さが身にしみて感じられるのである。万感の悲しみをあらわに述べず、事実を客観的に描いている。そのためより深く人の心を打つのである。御主人の御魂の安からんことを祈っている。

 

梅熟るる「完治」の五年目前に★井上 和子 

重い病にかかり、入院し手術などの治療を受けてから、長い年月療養生活を送っていた。今年も又梅の実が熟れる季節が廻って来た。でも体の調子がずっと良くなった。医師からも「もうすぐ完治ですよ」と言われた。長い五年間であったが体も心も元気になったと、思わず喜びの声が口からもれてくるのであった。和子さんおめでとう。本当に明るいニュースである。明るい気持ちが佳く詠われている。これからもどんどん佳句を作って下さい。

 

加古里子の目で覗きこむ蝌蚪の群れ★永野 裕子

この句を鑑賞する際、加古里子(カコサトシ)という人物を知らねばならない。もう二十四、五年も前の事、私は加古里子氏とあるテレビ放送で対談した。あらかじめ対談相手の名も手紙で知っていたが、てっきり女性と思っていた。ところが当日男性であり本名中島哲、しかも東大工学部応用化学科出の工学博士、その上絵本作家で「だるまちゃん」など面白い絵本から、科学絵本まで幅広く活躍している人であることを知り、成程科学についての対談の相手として適していると納得したのであった。この句で、そのような作家の目で蝌蚪の群れを覗きこむ姿を描いたところが面白い。

 

蟬穴をのぞく背に蟬時雨★杉田  健

おや穴がある、蟬の穴ではないかと、近付いて覗き込んだのである。すると背の上の方で、蟬時雨がにわかに起ったのである。その穴から出た蟬が、「それは僕が出た穴だ」と鳴き始めて、他の蟬が「そうだ、そうだ」と合唱し出したような感じであるところが面白い。人間が蟬の穴に関心を示せば、蟬は人間に興味を持って見守っているような光景が面白い。

 

一番子巣立つ桶屋の鉋屑★小野 恭子  

桶屋の軒先に燕が巣を作ったのである。五月になった頃、一番子が顔を並べて、親燕が屑を持って来てくれるのを待つようになった。そう思って巣を見上げると、もう十分育って子燕が一羽、二羽と空へ飛びたって遊ぶようになったのである。その巣立ちの時、何かはらはらと巣からこぼれたものがあった。それは鉋屑であった。桶屋の鉋屑を集めて親燕が巣を作ったに違いない。微笑ましい光景が描かれている句である。

 

花菖蒲シルクロードの舞楽かな★夏   瑛    

初めて私がシルクロードの舞を見たのは一九八一年三月蘭州においてであった。それは敦煌の昔話で美しい女性と、隊商の一員のたくましい男子との恋の物語であった。その女性が花で髪を飾っていたのを覚えている。この句の舞楽がどのようなものかは分らないが、シルクロードのオアシスで行われる楽器に合わせる舞である。その舞姫の髪を菖蒲の花で飾っているのであろう。美しい舞姿が浮んでくる。この句のもう一つの解釈がある。日本語で「舞楽」とは雅楽の演奏様式の一種であり、唐楽や高麗楽を伴奏とする舞踊である。夏瑛さんがこの舞楽を京都か奈良などの神社で見たのかも知れない。その時この舞楽はシルクロードからのものだと思った。その舞台の近くに池があり、そこに菖蒲が咲いていたという光景も考えられる。いずれにしてもシルクロードのオアシスの美しさが浮んでくる句である。

 

城山へ規矩を正して青田波★佐藤 艶子     

城を築いた山の麓に一面の青田が広がっている。城の近くであるだけに、その近くの田は規矩を正しく碁盤の目状に縦横に畦が作られている。その畦に囲まれて真四角の田が並んでいる。そこへ風が吹いてくると青田波が一斉に立つのである。この句でかつて城がその土地の中心であった頃、城の近くの道が規矩正しく作られていた、それが今は田畑になっている光景を「規矩を正して」と表現したところが佳い。力強い句である。艶子さんは九十一歳、ますますお元気に俳句を作られることを祈っている。

 

東京のごきぶり大きかつたと子★加賀谷房子 

東京へ遊びに行って来た子どもが、東京の旅の印象の一つに「ごきぶりが大きかった」と、お母さんやお祖母さんたちに報告したところが面白い。東京はビルも高いし、隅田川の橋や、東京駅なども大きい。何もかも大きく見えてびっくりした気持ちがよく出ている。ごきぶりまで大きかったと感じたところが愉快である。子どもの素直な感想が明るく朗らかである。子どもの時代の大都会へのあこがれが佳く表現されている。東京が子どもたちを将来も失望させないでくれることを願っている。