十人十色2018年1月

  


  小鳥来るカピタン部屋の赤ワイン★中田 月江

カピタンと言えばキャプテン(船長)のオランダ語である。江戸時代長崎に来たオランダ人が住んだ出島にあるオランダ商館の館長も、船長がなったのでカピタンと呼ばれる。出島にあるこの商館の館長の部屋に赤ワインが置かれている。江戸時代にもこの部屋にはオランダから持参した赤ワインが置かれていたに違いないと思いつつ窓の外を見ると小鳥が来たのである。昔カピタンがこの部屋で仕事をしていた時も、きっと秋にはこうして小鳥が飛んで来たことであろう。そのような光景を描いて歴史を感じさせてくれる句である。

   初鴨や堰越ゆる水澄みわたり★関谷佐知子 

川に堰が作られていて、その上流と下流が分けられている。川の水は上流から下流へ堰を越えて勢いよく流れている。時は秋もたけなわ、その堰を越えて流れる水は澄みに澄んでいる。そこへ初鴨が飛んで来た。上流に降りたのも、下流に降りたのもいるが、そのどちらの水もよく澄んでいる。初鴨たちはこの澄んだ水を楽しんで泳ぎ廻っているのである。川の水も初鴨を迎えるために準備して澄んだように思われてくる。秋の明るい川の辺の光景が佳く描かれている。この句を声を出して読んでみると朗々として澄んだ調子に響くところも佳い。

   あきつ湧く雨のあがりし前穂高★小野 恭子  

穂高岳は長野県と岐阜県の境にある。最高峰は奥穂高岳、そのまわりに北穂高岳、涸沢岳そしてこの句の前穂高岳がある。どれも三千メートルを超える高山である。盛んに降っていた雨があがり、青天に前穂高の全容が聳え立って来た。その時一斉にあきつが湧き上り、飛び廻り始めたのである。高山とあきつの対応が美しい。時は秋、空気も爽やかに澄んでいる。大景にあきつという小さな昆虫を配して描いたところが佳い。しかも蜻蛉と言わず「秋津」という古語を用いたことも佳いと思う。

   尼寺の筧音消ゆる村時雨★松山 芳彦 

筧はそもそも静かに水を通す。それも尼寺のものと言えばやさしい幽雅なものであろう。その尼寺の筧が静かな音で水を流している所へ、村時雨が降って来た。その瞬間筧の音が消えてしまったのである。村時雨は普通の時雨と違って短い時間に急に強く降って通り過ぎる雨である。この句は尼寺の優美な筧の音の特徴と、村時雨という烈しい雨の降り方を結びつけて描いたところが巧みである。

   冬日和機音もなき奥秩父★大舘 泉子  

秩父銘仙などの絹織物で有名な秩父である。冬日和の奥秩父は静かで機音も聞えて来ないのである。秩父も奥の冬日和の午後の静かさが佳く描かれている。どこかの家では機織をしているのであろうが、冬日和の中で静かに織っていて音も聞えないくらいなのである。泉子さんは九十歳で作句に励んでおられる。秩父の美しさをこのような句で詠っておられる。ますますお元気で秩父の素晴らしさを、どんどん俳句で描いて下さい。

   秋深む流刑小屋の切窓に★杉野 知子 

流刑小屋と言えば私は富山県五箇山を思い出す。隣接する白川郷とともに合掌造の民家で有名である。富山県南西部の飛<GAIJI no="00278"/>山地で庄川の上流にある。昔は隔絶された地域で平家の落人がかくれ住んだという伝説がある。近世は加賀藩が治めていたが、僻地として重罪人の流刑地でもあったのである。その流刑人が閉じ込められた小屋には、小さな切窓が開けられているぐらいの暗い部屋しかない。秋が深まってくると合掌造りの家も暗くなって来るが、流刑小屋の切窓あたりはより一層暗く、秋がしみじみ深くなったと感じられるのである。風土性のある光景を描いたところが佳い。

   雨意の風一言主の楷落葉★瑞田 隆子  

奈良の葛城山へ登ったのである。この山の主は一言主神である。雄略天皇が葛城山へ登ったとき、天皇の行列と全く同じ装束の行列に出会ったのである。強大な権力を持った専制的君主であった雄略天皇は大いに怒ったところ、「吾は悪事も一言、善事も一言、言ひ離つ神、葛城の一言主大神ぞ」と答えたので、流石の雄略もあやまったと「古事記」に書かれている。雨意を含んだ風が吹いてきた。そして不意に楷の落葉が降って来たのである。それはあたかも一言主の一言であると思ったところが面白い。


   庭隅に律さんの井や鶏頭花★榑林 匠子  

東京の根岸にある子規庵の光景である。そこには子規が
   鶏頭の十四五本もありぬべし 子規
と詠んだ鶏頭の後継ぎのような花が咲いていた。その場所は井戸の傍である。この井戸は子規の看病をした妹の律が使ったものである。明治時代俳句のみならず短歌も小説も改革した子規、それを看護した母堂と律、そしてその庭の井戸や鶏頭の花。子規が今もそこに生きているように親しみを感じる。それはこの句で「律さん」と親しみと尊敬の気持ちをこめて「さん」付けで言ったことと、良く知られた鶏頭の花を詠んだことによる。生誕百五十年の子規への思いを込めた句である。

   井の国の山河とどめて鷹渡る★小栗百り子 

井の国は浜松市北部で、遠江国引佐郡井伊郷井伊谷のことである。この地には平安時代中期、藤原氏が住みこみ井伊氏と称した。井伊氏は徳川家康の信頼を得て彦根城主となった。今年(二〇一七)NHKの大河ドラマに、女城主であったと伝えられる井伊直虎が登場し、にわかに有名になった。南北朝時代後醍醐天皇の皇子宗良親王たちが活躍した地でもある。南朝の興亡、戦国時代の戦乱の歴史を秘めて、今は平和な静かな井の国の山河の上を鷹が渡って行くのである。近くには浜名湖が広がる山紫水明の地の光景が佳く描かれている。

  伊吹嶺を風の下り来る走り蕎麦★中島 正則 

伊吹山は滋賀県と岐阜県の境にある名山。「古事記」時代から有名で、日本武尊が東征を終えての帰り途にこの山に登り、伊吹山の神のたたりで死に至ったという。山頂にかかる雲は山神の息で精気を含むといわれている。その伊吹山から風が吹き下ろす頃になると秋もたけなわで、新蕎麦が美味い。伊吹山はさまざまな植物が育ち薬草も多い。伊吹艾(もぐさ)も有名である。そのような地であるから、当然蕎麦の栽培も盛んである。この句は伊吹山より吹き下ろす風と、走り蕎麦を組み合せることによって、その地の風光を佳く描写していると思う。