十人十色2018年3月

  


   カレル橋の似顔絵描きに秋惜しむ★宮川 陽子 

 チェコ共和国の首都プラハの中央をヴルタヴァ川が流れている。この川はエルベ川の上流であり、ドイツ語名モルダウ川の方がよく知られている。カレル橋というのは、一四世紀頃プラハを含めたチェコ国の西部ボヘミアの王カレル一世の名に依る。この橋はプラハの中央部にあり多くの車、大勢の人々が一日中渡っている。その橋のたもとには似顔絵描きが人気を呼んでいる。特に旅行者が旅姿を記念に描いてもらう。その似顔絵描きの姿に秋を惜しんでいる雰囲気を感じたのである。オーストリアのハプスブルク家の支配や、ドイツと合併したりした複雑な歴史や、カフカの故郷であるとかが旅人をひきつけるが、一方どこか哀愁のある街である。それが秋を惜しむ似顔絵師の姿から感じられる。

   冬深む陶匠遺作の自在鉤★かや 和子  

 この陶匠とは多分河井寛次郎であろう。昨年(二〇一七年)の十二月京都の俳句仲間と私も、京都五条坂の寛次郎の仕事場を吟行した。和子さんもその連中の一人であったからその時の句であろう。寛次郎が使った登り窯や、仕事部屋の蹴轆轤や、炉の上に垂れている自在鉤が印象的であった。これらを自由に使って陶板や陶彫の名作を作ったのだと感銘した。この句はこの自在鉤を陶匠自身が作ったものであるということを知って、その美しさに焦点を合せたところが佳い。こう解釈してこの句を鑑賞したが、この自在鉤の傍らで沢山の遺作を作ったのだと、感銘している気持ちを描いたのであるとも言える。いずれにしても「冬深む」という季語がよく働いている。

   結願にひよどり啼けり冬紅葉★清水 元英  

 結願は日をきめて行う法会が終ったことであり、その日を結願日と言う。または神仏に願をかけた日数が終ったことも意味する。この句ではこの二番目の意味かと思う。何か願をかけて一週間とか十日とか、寺や神社へお詣りを続けたのであろう。それが終ってほっとした時、濃い紅の冬紅葉の中でひよどりが啼いたのである。鵯は秋になると北方から暖かい地方や人里へ群をなして来るので秋の季語であるが、冬紅葉の頃も啼いている。何日かの願掛けが終って気の安まった時、鵯が冬紅葉の中で啼いたところが印象的である。

  生涯の最後の務めサンタ役★中林 嘉也  

 家督は嗣子にゆずり、自分はその家族と静かに日々を暮している。十二月も半ばを過ぎクリスマスが迫って来る。孫たちは聖夜の贈物を大変楽しみにして、サンタクロースが何を持って来るかなと、話し合っている。そうだ自分にまだ役目が残っている。この孫たちのためサンタクロースの役を果さなければならない。何が良いか、先ずそれを決め買って来なければならない。これから孫たちが大人になる迄サンタクロースになることが、自分の生涯に残っている最後の務めなのだと、張りきっているところが楽しい。嘉也さんこれからもますますお元気で、サンタ役を何年も果して上げて下さい。

   末裔といふ誇り持ち火床祭★胡桃 文子 

 旧暦十一月八日には、鍛冶屋や鋳物屋では仕事を休み、鞴を浄めたり、いろりを整え、特にその中心部の火を焚くくぼみ、火床を浄める祭を行う。これを鞴祭とか火床祭とかと呼ぶ。その日鍛冶屋に行ったらば、まさに火床祭をしっかりやっていたのである。その家は何代も鍛冶を仕事としてきて、先祖から引き継いできたこの仕事を大変誇りとしているし、火床祭もしっかりと行っているのである。名鍛冶の末裔だということを誇りにしているところが佳い。

   扇より福のこぼるる里神楽★佐藤 律子

 神楽でお札や米を撒いたりする。この句では扇から福がこぼれ出したのである。お札の何枚か、五円銅貨を御縁と書いた紙包だろうか。それともめでたい舞で福がこぼれだすという筋なのであろうか。いかにも里神楽らしい明るい光景である。氏子たちがその福を手に受けようとしている様子も見えてくる。神楽は冬に行うことが多く、冬の季語である。この句は扇から福がこぼれ出すのであるから、特に新年に行われる里神楽であろうかと思う。

   数へ日や手回し式の計算機★福留 敏子

 今でも机の片隅に手回し式の計算機が置いてあるのであろう。普段は算盤すら使わず電卓で計算を済ます代である。数え日となれば、さまざま計算することがある。ちょっとした計算をしなければいけなくて、近くに置いてあった飾りのような手回し計算機を使ったのである。その様子が六十年も昔のことを思い出させてくれるところが面白い。一九五二年から五三年にかけて、私自身が大学三年生(旧制の大学の最上級生)の時の研究も、その後大学院三年間の研究も、計算は皆この手回式(タイガー)計算機でやったものである。今もそれを自分の机に置いてある。この句は、懐かしい光景を描いたところが佳い。

  山影を映して光る軒氷柱★竹田 正明 

 氷柱には朝日が映ったり、月影が映ったりする。そのような句も沢山ある。私の好きな句に「みちのくの星入り氷柱われに呉れよ 鷹羽狩行」がある。正明さんの句では、山家の軒氷柱が近くの山影を映しているところが美しい。しかも輝くような光を放っているのである。氷柱に映っている山影も静かで美しいものであろう。軒氷柱らしい光景を佳く写生した句である。

   異国より嫁ぎ牡蠣割女とし老ゆ★佐々木ノリコ  

 外国から日本へ仕事をしに来て、そのまま日本人と結婚した女性である。嫁いだ家は漁業を営んでいるのである。そして老いた今もせっせと牡蠣割を手伝っている。移民として来日した頃はわずかな賃金を得るのも大変であったろう。しかし働き方が認められこの家に嫁いでからは、安心して生活が出来、幸せな主婦となったのである。それでも働くことが好きなのであろう。老いても牡蠣割など中心になって働いているのである。牡蠣割女として老いた外国人の女の一生が想像されるところが面白い。