十人十色2018年8月

  

  鳥雲に窓辺に奏づバラライカ★谷野 松枝  

  バラライカはロシアやウクライナでよく用いられる三弦の撥弦楽器である。木製の三角形の胴に長い棹がつながっており、三角形の一辺の中央から棹の先へ三本の弦が張られている。 その絃を指先ではじいて鳴らすのである。バラライカと言うと私は、ロシアの、特にシベリアの森や野原で、村人たちが踊りに合せて演奏している光景を思い浮べる。この句は北海道の小樽の街の窓辺で奏でているバラライカであろうか。折しも鳥が北へ帰って行く。鳥たちもバラライカの音を聞き、更に北にあるシベリアを思い浮べながら飛んでいるように思えてくる。どことなく郷愁を感じさせる句である。バラライカと鳥雲の組合せが佳い。

   大川はゆるりと海へ傘雨の忌★竹内 郁雄 

  五月六日は久保田万太郎の忌である。万太郎は小説家、劇作家であり、しかも俳人でもあり「春燈」を主宰した。
  「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」とか「神田川祭の中をながれけり」など江戸情緒を感じさせる句を作る人であり、浅草生れらしい人であった。ということから郁雄さんのこの句の大川は単なる大きな川ではなく、明らかに隅田川の吾妻橋あたりから海までの間を意味しているのである。隅田川も浅草近くからの下流は、大川と呼ばれるにふさわしく、川幅も広く流れもゆったりとしている。その大川のゆったりとした流れを見て、傘雨忌だとしみじみ思い出したところが佳い。

   大水青睡る真昼の静寂かな★藤本 絢子 

  大水青は大型の蛾である。木の葉や枝に止ったとき翅を水平に開くことが多い。青白色の翅を開いた姿は大変美しい。しかもその翅には左右に対称に目のような紋があり、それも又美しい。普通見る蝶々のように、止ってはすぐ飛び去るのではなく、かなり長い時間じっくりと静かに止っている。その睡っているように見える姿から、真昼の静寂を感じとったところがこの句の手柄である。日本全土、朝鮮、中国北部など広く分布していると言われるが、私は十年以上見なかった。たまたま今年の春練馬区江古田の武蔵学園で昼休みの散歩中に見つけた。この句からその日の光景を思い出したのである。

   なで肩の北魏の仏緑さす★武井 典子  

  北魏は中国南北朝(晋と隋の中間西暦四二〇~五八九)の時代の北朝側の最初の王朝であり、その第六代の孝文皇帝(在位四七一~四九九)の時代に都を平城から洛陽に移した。洛陽郊外の竜門石窟は、この孝文帝の洛陽遷都(四九四)頃から、唐の中頃までの二百余年間に造られた。その大小多数の石窟の中にある仏たちの中でも北魏の仏はおだやかである。それをなで肩と見たところが佳い。一面に初夏の若葉のあざやかな緑の中に、なで肩の優しい北魏の石仏が立っている光景が佳い。

   釣宿に古る三国志諸葛菜★伊藤とう子

  利根川沿いの町か、銚子あたりの釣宿であろう。その辺には昔侠客がいてあばれていたような町がある。釣宿に三国志の古本が置いてある。何となく昔堅気の残っている釣宿である。その庭には花大根が咲いている。そう言えば花大根は諸葛菜とも呼ばれるが、それは三国志の時代に、名宰相諸葛孔明がこの花大根の栽培を奨めたからと言われている。釣宿に三国志の古本があることと、諸葛菜の花の咲いていることがいかにも必然的な運命で結びつけられているように感じさせるところが面白い。

   胡同は宦官すみし地霾曇★森  雉谺  

  胡同は中国の北方の街の横町や小路のことである。特に北京の胡同が有名である。胡同はフートンと読む。宦官とは宮刑に処せられた男子で宮廷に仕えた者である。後宮に仕えた人が多かった。不朽の歴史書「史記」を著した司馬遷も、匈奴の捕虜となった李陵を弁護して武帝の怒りに触れ宮刑に処せられた後、修史の大事業に専念したのである。北京の胡同は皇帝が住んでいた紫禁城に近いので、宦官たちも多く住んでいたであろう。北京も霾曇によくなる。モンゴルあたりからの砂塵が降って来る日、胡同を歩きつつ司馬遷たち宦官の人々を思い浮べたのである。永い歴史への深い思いが感じられるところが佳い。

   皐月晴神より賜ふ術後の眼★奥田美恵子  

  太陽暦が主になった現在、五月晴と言うと梅雨に入る前の五月の晴れわたった空を思い浮べることが多い。しかし俳句の上ではやはり梅雨の最中に晴れ上がった日が五月晴である。それをはっきりさせるため、梅雨晴という言葉がある。と同時にこの句のように五月と書かず皐月とすれば陰暦の五月であることが明確になる。うっとうしい梅雨の最中の晴天は誠に嬉しい。しかも、その皐月晴の日、手術ですっかり治り晴れ晴れとした眼で空を見ることが出来たのである。神から賜った眼で再び皐月晴を見られるという二重の喜びが、実に良く感じられる。美恵子さんは九十歳、誠におめでとう。ますますお元気で御活躍下さい。

   風わたる河津七滝わさび沢★瑞田 隆子 

  河津七滝は、静岡県の伊豆半島南東部の河津町にある七つの滝である。河津川渓谷に沿って上流から釜滝、海老滝、蛇滝、初景滝、蟹滝、出合滝、大滝と続く。伊豆半島は山葵の産地としても有名である。この河津川渓谷にも山葵を栽培する山葵沢が沢山ある。河津七滝を次々見ながら降りてくると、途中の沢に所々山葵が花を咲かせている。その上暖かい春風が渡って来る。春らしい河津川渓谷の風景が佳く描かれている。

   弾痕の四角三角復帰の日★石川 宏子  

  第二次世界大戦の敗戦の直前、沖縄での戦は実に熾烈であった。現在でもあちらこちらに弾痕が残っている。戦後も長くアメリカ軍に占領され続けた。沖縄県が日本へ復帰したのは一九七二年五月十五日であった。この時の県民の喜びはいかに大きかったか。しかし今も米軍基地が残っており、沖縄県民の苦労は今も続いている。日本国全体がもっと沖縄復興に力を尽すべきである。私も個人的に微力ながら何かしたいと思っている。沖縄大学院大学の建学に努力しているのはその一例である。この句の弾痕の四角三角によって、県民の苦労が実によく描かれていると思う。沖縄に幸あれかし。

   遥拝の紙銭多めに清明祭★与那嶺末子 

  清明は二十四節気の一つで、太陽暦の四月五日か六日から穀雨(四月二十日か二十一日)の前日までの十五日間である。現在はこの十五日間の最初の日を清明としている。春分から十五日目にあたる。中国では清明節として先祖の墓参りに出かけ、鶏肉や豚肉、米飯、酒、茶、さらに紙銭を供える。この風習が沖縄に伝わりシーミー祭として先祖の墓に詣でる慣習になっている。この句の面白さは清明祭であるが、墓地が遠いのでそこまで行かず家の近くに石でも積んで紙銭を供え、遥拝している様子を描いたところにある。しかも御利益が沢山あるようにと紙銭を多めに供えたということが面白い。