十人十色2018年10月

  

   柳絮舞ふ空海灌頂の青龍寺★竹内 郁雄 
 
  青龍寺は中国の西安(長安)にある。西暦五八二年に隋の文帝が創建した。七一一年まで名前は霊感寺であった。青龍寺は唐代の密教の中心であり、不空の弟子恵果が活躍した。不空はインド人で七二〇年洛陽に来て金剛智の弟子となり七四一年セイロンに渡り密教経典を集め七四六年中国へ帰り、五台山に道場を造った。空海は八〇四年入唐し青龍寺で恵果から真言密教を受法し、八〇五年恵果が没する直前恵果より灌頂を受けたのである。その青龍寺は八四五年の会昌の廃仏以後廃絶していたが近年再建された。青龍寺に盛んに舞う柳絮を見て、空海がどのように努力したかを思い、その努力の甲斐あり灌頂を受けた時の喜びは大きかったであろうと想像しているところが佳い。

  夕涼み盲導犬もバッハ聴く★佐野 佳代  

  夕涼みをしていると、バッハの曲が流れてきた。近くの家でマタイ受難曲でも聴いているのであろう。それが公園のベンチで夕涼みをしている佳代さんの耳にも響いてきたのであった。荘重な曲だなと思って近くを見たら、盲導犬が椅子に腰掛けている主人を護りながら、静かにバッハの曲を聴いているのであった。荘重なバッハの曲であるから盲導犬にも判るのかもしれない。流石に訓練をしっかり受けた盲導犬らしいと佳代さんは感心したのであった。ふと私の五六歳の頃、家にあった蓄音機であったか、レコードの容器であったか、どこかに蓄音機のラッパ型の拡声器に耳を傾けている犬の絵が描かれていたことを思い出した。盲導犬がバッハを聴いているところが面白い。

  丸の内線一瞬地上大西日★佐久間裕子  

  東京の地下鉄丸の内線の光景である。その丸の内線もお茶の水駅の辺りで一瞬地上へ出て神田川を渡る。乗客はその一瞬川の流れや、岸辺の風景を楽しむのである。春であれば樹木の緑を、秋であれば紅葉をというように、この句は大西日を見たのである。晩夏の大西日が神田川を初め岸辺の岩や建物を照らしている。地下鉄の車内まで一気に赤々となったであろう。そして又地下鉄は地下に入ってしまった。一瞬であればあるだけ大西日が美しかったのである。地下鉄が一瞬地上へ出て大西日を受けた光景を描いたところが佳い。

  雀の子けふ覚えたる砂遊び★青木  玲  

  雀は二週間程度で巣立つ。その後も急速に物事を学び自立して行く。昨日までは砂遊びをせずその面白さを知らなかった子雀が、今日初めて砂遊びを覚えたのである。覚えるや否や熱中して砂遊びを止めないのである。遊びにせよ何にせよこうやって生きる力を学んでいくのである。砂遊びを楽しんでいる子雀を励ますように見ている作者の暖かい気持ちが佳く出ている句である。

  青田道撫で来る風に追ひ越され★黒野希志子  

  広々と青田が広がっている。その青田には所々で田草を取る人の姿も見られる。この青田道を買い物や散歩で歩くことは大変楽しい。希志子さんは九十五歳になられる。しかし御丈夫でこうやって野原を歩いたり、吟行をして若々しい句を沢山作っておられる。青田道を歩いていると、清々しい風が吹いて来て稲が揺れる様子が美しい。その青田風が背中を押したと思っていると追い越して行く。その勢いも元気を与えてくれるようだと、希志子さんは青田風と遊んでいるようである。希志子さん、百歳まで否百二十歳までがんばって佳い句を沢山作って下さい。

  きちかうの青よりも濃き江戸切子★神谷 久枝  

  秋の七草の一つの桔梗は青紫の美しい花を開く。鐘の形も佳い。勿論白色のものもあり、それも又佳い。この句では青の桔梗を切子に生けようとしているのである。その切子が江戸切子で桔梗より更に青が濃いのであった。生けた桔梗の花の紫とうまく調和して、江戸切子の青も一層美しく輝いているのである。江戸切子の美しさが佳く描かれている。静かな輝きのある句である。

  立上がる糸より細き子かまきり★西田 青沙  

  蟷螂は頭が三角形で前胸が長い。前肢は鎌のように鋭い。後肢もこれ又細く長い。全体がともかく細長い。子かまきりになるともっとその細さが目立つのである。この子かまきりが立上がった姿が何と糸よりも細いように見えたのである。それでも一人前に堂々と立上がったその姿は、細いながら背の高さはかなりのものであったろう。立上がった子かまきりを糸より細いと描いたところが佳い。写生の眼がきいている。

  太白と月の間近し蛍狩り★木村 京子  

  歳星(木星)、熒惑(火星)、鎮星(土星)、太白(金星)、辰星(水星)は五星と呼ばれ、中国では古代から知られていた。これに地球、天王星、海王星を加えると、太陽系の八惑星になる。一昔前までは冥王星が、太陽系の最も外側を廻る惑星とされていたが今ははずされてしまった。その太白星は夕方西空に見えると宵の明星、明け方東空に見えるときは明けの明星と呼ばれて、人々に親しまれている。この句では蛍狩りに行った時に見られたのだから、宵の明星であったのであろう。それが月に近く輝いていたのである。楽しい蛍狩りの光景が佳く描かれている。

  今朝もぎて胡瓜一本島料理★今山 美子  

  農地も狭い島のこと、胡瓜一本も貴重なものである。その貴重な胡瓜を一本今朝もいできて朝食に出してくれたのである。質素ではあるが暖かい心のこもった島料理を感謝しながら食べているのである。漁業で生計を立てている島であろう。しかし立派に育った胡瓜の感じがする。純朴な島人の生活、美しい島の風景が眼前に浮んで来るようである。

  神守る島の挙りて星祭る★松浦 泰子  

  神守る島とはどこであろうか。私は福岡県の宗像神社の中津宮のある大島を思い浮べた。沖津宮は沖ノ島にあるがここは一般人が入れない。中津宮のある大島なら誰でも行けるので、この句の島は大島の可能性がある。ともあれ神を守る島の人々が挙って七夕祭をしている光景が明るくよく描かれている。その島の神の祭もにぎやかに行われるに違いないが、七夕も大いに祭っているところが楽しい。