天為ネット句会2016年オフ句会報

 

オフ句会報 第1回

                        ボタン 10月14日(金)晴天 吟行地 水天宮・甘酒横丁界隈  佐藤博子 文責

参加者 :相沢恵美子・安藤小夜子・岡崎志昴女・髙橋紀美子・中村光男・根岸三恵子・西脇はま子・松山芳彦
スタッフ:佐藤博子・佐藤律子・高橋雪子・松浦泰子     (五十音順)

天為ホームページのネット句会は、開始から10年を超え、インターネットの世界の劇的な変化に伴い、1年前より安全に投稿して頂くために投稿方法を変更致しました。

毎月変わらずご参加して下さる皆様と、さらなる親睦を図る手立てはないかと実際に句座を囲む「オフ句会」を企画した処「会員の親睦と切磋琢磨のためなら」とご快諾いただき、半年に一度、対馬康子先生と日原傳先生を交互に迎え、ご指導頂ける運びとなりました。

    水天宮の縁起物・福犬       <当日の様子>
福犬

  秋晴れの一日、午前中は水天宮駅に集合し、谷崎潤一郎碑のある生家跡、老舗の並ぶ甘酒横丁通り
  をつかず離れず、旧知の間柄のような距離感にて吟行し、 午後より対馬康子先生をお迎えしての
  句会。吟行句1句含む5句投句の清記が靜かに始まりました。

  先生からは、ほとんどの句に対しての感想と作者の意図を尋ねながらの添削をして頂きました。
  句会終了後、先生の一言で参加者の自己紹介も行い、一巡した頃にはすっかり場が和み、穏やかな
  雰囲気のうちにオフ句会を終えることが出来ました。 (佐藤律子 記)

対馬康子先生はじめ参加して下さった皆様に、スタッフ一同深く感謝いたします。
日本はもとより海外からもご参加の皆様と、オフ句会をご一緒出来る日を楽しみにしております。

 

対馬康子作品

  立体の影秋冷の仮面劇
  秋の雲詰め人形焼の熱い餡


   参加者二句(五十音順)

相沢恵美子
  秋高し百日詣に祖父母つき
  菓子屋よりニッキの香り秋の風

岡崎志昴女
  河童立つ宮の手洗の水澄みぬ
  つづら屋の小窓に人形秋澄みぬ

安藤小夜子
  秋うらら小路に小唄浚ふ声
  吊革に男の真顔秋や寂ぶ

佐藤博子
  水落ちて月光の降る千枚田
  下町の老舗の暖簾新豆腐

佐藤律子
  ベースの音響き残りて星月夜
  茹で立ての殻積み上げて落花生

高橋紀美子
  木の実降る千畝のビザの記念碑に
  狛犬の豊かな胸へ木の実降る

高橋雪子
  玉ひでのひの字の読めず秋燕
  かはゆき名の人形町や秋日和

中村光男
  烏瓜引けばお伽の国の道
  ふつくらと銀杏がんも秋麗

西脇はま子
  冬近しかざり扇の嵐山
  菊月の人形町に荼枳尼天(だきにてん)

根岸三恵子
  人形町香の老舗に藤袴
  秋水を浴びし子育て河童かな

松浦泰子
  谷崎碑女小さき手足冷ゆ     
  棒手振の初代の写真新豆腐

松山芳彦
  金秋や夢殿に棲む風の華
  尼寺の響く筧に実むらさき

 

この界隈に詳しい小夜子さんから「恐れ入谷の鬼子母神」「情け有馬の水天宮」等の「地口」という言葉遊びの一種を教えて頂いた。水天宮と情け有馬とは??。こういう時は便利なインターネットの出番です。
水天宮のホームページに由来が書かれていました。  http://www.suitengu.or.jp/yurai/
でも少々簡単すぎる?と思い、再度検索してみると、「東京散歩」というブログを見つけ、深い意味を知りました。

一般に水天宮は安産の神様として知られている。ご祭神は主祭神「天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)」と安徳天皇、安徳天皇とともに入水した祖母の二位の尼(平時子)、そして入水したが救われて京都寂光院で尼になった建礼門院(平徳子)である。

なぜ東京のど真ん中に、壇ノ浦で滅びた方々をお祭りした社があるのであろうか。

安徳天皇に仕えていた按察使局(あぜちのつぼね)という官女は、二位の尼に死者の菩提を弔うことを命ぜられ、ともに入水することをとどまり、九州に落ち延びたのである。 落ちのびた局が筑後川のほとり鷺野ヶ原というところに祠を建てたのが水天宮の創建とされている。以後幾度か場所を移し、江戸初期に久留米市内に遷り、慶安3年(1650年)久留米藩二代藩主有馬忠頼が社地と社殿を寄進し現在地に遷宮したということだ。

幼少で入水して亡くなった安徳天皇をお祭りしていることから、水の神様、海運の神様、子供の神様、子育ての神様、そして安産の神様へと信仰が進むのである。九代藩主有馬頼徳は、特に水天宮に厚い信仰があり、在府(在江戸)中も参詣したいという思いから、文政元年江戸三田の藩邸に分霊を勧請した。

当時すでに水天宮は江戸でも名高く、町民も参拝を望んだが、藩邸の中のことで自由な参拝はかなわなかった。中には表から賽銭を邸内に投げ込むものまで現れたそうだ。あまりの人気に有馬家では毎月五の日に開門して、庶民にも参拝させ、いつしか有馬家の情けで水天宮が拝めるようになったということで、「情け有馬の水天宮」というようになった。


「東京散歩」さん、有り難うございました。昔の人の真実をついた粋な言葉遊びに改めて感動!

 

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