十人十色2014年9月

 

  橡の花早や夕星の輝けり★伊藤 敬女 
 
 橡は五月頃、枝の先に白に紅がかかった花、或は黄白色の花を咲かせる。二、三十メートルのかなり背の高い樹である。その枝の先に花が円錐形に密集して咲き、その円錐がまた沢山高々と天に捧げるように咲く。それを見上げるように眺めると、その先に五月の空が美しく広がる。この句は橡の花を見上げたとき、夕星が輝き始めた光景を詠っている。橡の花に夕星を配したところが巧みである。橡や朴のように高々と天に花を捧げる樹であることが、夕星の美しさを一層際立たせる。その上橡が咲く五月は最も気候が良い頃である。この句はそのような明るく朗らかな光景を美しく描いているところが優れている。

 

  大航海の古地図に出雲南風吹く★浦島 寛子  

 大航海時代とは十五世紀から十六世紀にかけての時代である。この時代にヨーロッパ人がインド航路航海に成功しアメリカ大陸へ到達したし、マゼランが世界周航を行なった。その時代の日本の古地図に、出雲がきちっと記されていたのを見たとき、この句の作者は大きく感動したのである。そして南風が吹く出雲の港に立ち、古代から大航海の時代まで、出雲が日本の南方、九州のみならず、韓国や中国とも交流していたことに思いを馳せたのである。南風も出雲の国の南国との関わりを暗示してくれる。大いにロマンを感じさせる句である。

 

  やはらかになびきて夫の植田かな★前定やよい  

 前定やよいさんは広島の方で、ご主人は毎年お米を作っておられるのだろう。 夫が一生懸命に田を植えている。美しく植えられた苗は生き生きとして、しなやかに風になびいているのである。このように整然と美しく植えられるのは、我が夫の力なのだと称える気持ちがよくでている。それも「やはらかになびきて」と客観的に植田を描写したところが優れている。句の形も「かな」を切字にしてすらっと詠じたところも佳い。姿の良い句である。

 

  新緑や古墳の壁に舟出の絵★井上 澄江  

 素晴らしい壁画を持つ古墳がある。奈良県明日香村の高松塚古墳やキトラ古墳などがその代表である。キトラ古墳は言うまでもなく、日・月・天文図・四神図そして十二支像の壁画で有名であるが、この句の壁画は舟出の図である。死者を黄泉の国へ送るための舟の絵であろうか。それとも戦舟か生活のための舟の絵であろうか。いずれにしても舟出の図である。古墳は新緑の中にあり、古墳の羨道あたりまで新緑の光がさし込み、もしかしたらこの舟出の絵までその光で、浮き上って見えているかもしれない。古墳から新緑の海へ舟出しようとしている光景が美しい。舟出に焦点をしぼったところが佳い。

 

  高きには孔子廟あり春田道★沼宮内凌子  

 中国は勿論、日本や韓国など処々に孔子廟がある。日本では奈良・平安時代に、大学や国学に置かれた。この大学・国学は律令制に依って作られた。江戸時代には江戸の湯島や全国各地、特に藩校に孔子廟が置かれた。作者の沼宮内さんは岩手県盛岡市にお住まいなので、この句は南部藩の孔子廟であろう。春田道がずっと丘の方へ延びている。その丘には孔子廟があり、今日でも土地の人々は尊崇しているのである。北国にも春が来て、おだやかに温かく春田が広がっている。その平和な雰囲気が高きにある廟に祀られている孔子の力のように思えてくる。礼節が大切にされる土地の様子が佳く描かれていると思う。

 

  汐汲みの桶に満月揺れてをり★佐々木ノリコ  

 昔は勿論、現在でも海岸近くに住む人は汐汲みをする。古来汐汲みは、食塩を作るために行われた。現代でもその目的で汐汲みを行うことがあるであろう。或は他の目的、例えば生簀のためなどが考えられる。この句の場合やはり食塩を作るための、特に藻塩作りのための汐汲みと考えた方が風情がある。それはともかく、満月の夜汐汲みをして、その桶に映った満月が揺れているところが美しい。詩情がある。能や歌舞伎の汐汲の場面でなく現実に汐汲みの桶を写生している。それだけの現実感、迫力が感じられるところが佳い。

 

  小流に急かされてゐる竹落葉★佐々  宙  

 森か林の小流の光景である。少々高い所から勢いよく水が流れている。まわりの竹林から竹落葉が二、三枚この小流に落ちただよっていると、急に速く流れだしたのである。いかにも小流に急かされたように流れ去って行くのであった。虚子の名作、「流れ行く大根の葉の早さかな」でもそうであるが、この句も自然の中の一見瑣事に過ぎないことが、描かれている。しかし決して瑣事でなく、この光景からその後にある大きな自然が広がって行くことに注目しなければならない。これが俳句という短詩の持つ力である。

 

  大宇陀の山懐に春椎茸干す★高安 春蘭 
 
 宇陀は言うまでもなく奈良県北東部にある。その西部の大宇陀は吉野葛の集散地として有名である。近くに室生寺や宇太水分神社など名所旧跡が多い。またカザグルマの自生地やシダ群落があり、天然記念物も多い。この句に登場する山は多武峰(とうのみね)の御破裂山か高取山であろうか。その山中に春椎茸が干されている静かな光景が佳い。古来より宇陀は文人に親しまれており、歌枕の一つである。この句で「大宇陀の山懐に」と述べたことによって眼前に美しい山地の姿が浮んでくる。歌枕の力である。「山懐に」から、青畝の名句「葛城の山懐に寝釈迦かな」が浮んでくるところも快い。

 

  母音より発す嬰子夕涼し★加賀谷房子  

 そう言われれば「オギャー」にしても「アーン」にしても、嬰子の発する言葉には母音が多い。暑い夏の一日も夕方になると涼風が吹いてくる、その涼しさは、暑い日であればあるだけ、ありがたいし嬉しい。まして嬰子であれば、本能的にその涼気を喜んで、「アァ」と喜びの声を発するのであろう。母音の響きも涼風の中、ことさら嬉しく感じられる。生命の歓喜の溢れれた句である。この赤ちゃんの豊かなる未来を祈っている。

 

  初鰹値札の文字も大きくて★加茂 智子  

 青葉が茂る五月から六月にかけて、黒潮に乗って来る初鰹は、江戸っ子に限らず日本中で歓迎される。その初鰹を店頭に出すのであるから、値札の文字も飛び切り大きくしたのである。売手も買手も、青葉の候を喜び初鰹が店頭に出たことに歓声を挙げるのである。大きな文字も力強く書かれているに違いない。「大きくて」という下五からも、その後に大きな喜びの声が続いてくることが予想される。