十人十色2015年1月

 

  亀帰る風紋深き月夜かな★染葉三枝子 

 浜松の中田島海岸の光景である。この浜辺には毎年夏に海亀が来て卵を産み、子亀がかえる。ここに生まれ育った子亀も秋には海を目指して這って行く。子亀達が海へ入って行く時、砂丘や砂浜には秋風が立ち、深い風紋が美しく作られるのである。そして天には月が耿耿と照っている。亀が遠くから波風を越えてこの浜に着き、子亀を産み、そして又海の彼方へ帰って行く。送別の儀式の如く風紋が深く表れ、その上に月光が降りそそぐ。この句は真に厳粛な光景を佳く描いている。このように素晴らしい光景に直面出来たことは、大いなる幸運であったし、それをこのように見事に表現したことを心から祝いたい。

 

  モネの庭の橋に凭れて秋惜しむ★根岸三恵子

 クロード・モネ(一八四〇?一九二六)は印象派を最もよく代表するフランスの画家である。「印象・日の出」を初め「睡蓮」の連作に見られるように、光と色彩の表現が素晴らしかった。また日本の衣裳で扇を持って踊る女を描いた「ラ・ジャポネーズ」に示されるように、若い時から日本美術に強い関心を持った画家であった。晩年パリ郊外のジヴェルニーに住み、日本風の睡蓮の池や橋のある庭を楽しんでいた。この句の作者は、この橋に凭れて逝く秋を惜しんでいるのである。逝く秋を惜しむのは、どちらかと言うと日本や中国の人々の気持ちである。しかしモネならばこの秋を惜しむ気持ちがよく分ったであろう。きっとこの橋に立って感じたことであろうと、三恵子さんは考えながら秋を惜しんだのである。


  霧深き砂丘らくだの鈴の音★野口 弥生  

 駱駝と言えばシルクロードの砂漠を思い出す。それも月に照らされている光景である。中央アジアからモンゴルにいる駱駝は背中にこぶが二つある。北アフリカからアラビアにいる駱駝のこぶは一つである。この句の舞台は砂丘であるが霧が深いところから、砂漠の中の砂丘ではなく、海岸の近い砂丘である。こう考えると鳥取砂丘に違いない。日本海に面しているから秋には霧がよく出る。鳥取砂丘には駱駝が働いている。月下の砂漠を行く駱駝の鈴の音もよいが、霧の深い砂丘で海に向って下りながら鳴らす鈴の音もロマンティックである。

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  鎌切の右の鎌より枯れ兆す★広岡 育子  

 人間には右利きの方が多い。左右対称の筈なのにどうして生物体は、心臓の位置にしても左右対称性が破れているのか、私は長年不思議に思っている。ところで犬や猫、そして鎌切たちも右利きなのであろうか。寡聞にしてそのような研究の有無を知らない。でもこの句を読むと、この鎌切は右利きで、一夏よく使った右の鎌の方から色が変り始めたように思われてくる。この鎌切が夏の間虫を採って食べるとき、専ら右の方の鎌を使っていたように想像される。鎌切が石の上に立ち左右の鎌を風にかざす堂々とした姿が浮んでくる。と同時にどことなく物の哀れを感じさせる句である。


  鳥籠を被ふ風呂敷十三夜★飛鳥 ゆき  

 今年(二〇一四)は陰暦で閏九月があった。従って後の月が二度あった。後の月即ち十三夜の頃は、中秋の名月の頃より少々気温も下る。また十三夜でもあるのでやや暗い感じがする。そのようなところに後の月にはおだやかさ、しっとりとしたところがある。とは言え十三夜月が明るく庭や窓を照らしている。人々は庭に出たり、窓辺に立って十三夜月の美しさを楽しんでいる。ふとそこに鳥籠があることに気付いたが、それには風呂敷がかぶせてあった。十三夜の月光を浴びて鳥達が眠れないと可哀そうだと、誰かが風呂敷で覆ってやったのである。ちょっとした思い遣りが静かな十三夜らしくて佳い。


  落栗を踏んで笑んでる事に笑む★川本  澄  
 山路であろうか。或は街の道であろうか。栗の実が落ちている。いがに刺されないように気を付けながら踏んでみたのである。そうしたらなんといががもう破れていて、栗の実の顔が笑っていたのである。それを見て嬉しくなり自分も笑顔になった。「しめた栗の実が苦労しなくても手に入るぞ」と、思わず微笑む作者の自画像が描かれている。毬栗を踏む人の笑い声が聞えてくる。栗も笑っているぞと、踏んだ本人も笑顔になるところに、朗らかなユーモアがある。自然と共生する日々の喜びが描かれているところが佳い。


  水澄みて影絵のごとき風車かな★小高久丹子 

 この句を読み私はオランダの村の光景を思い浮べた。私も風車のある風景を見るのが大好きで、オランダへ行く度、郊外の村へ出掛ける。今年の夏もオランダ・フローニンヘン市の郊外へドイツ人の友人に連れて行ってもらった。風車の近くの運河の水が夏といえ、もう実によく澄んでいて、風車小屋とその風車が、水に影を映していて美しかった。特にその風車小屋に登って、その窓から見た運河に映る風車小屋が美しかった。自分が登っている小屋だけでなく、遠くに見える風車小屋も、それ自体もその影もすべてが絵のようであった。風車の美しさを影絵のようとした所が優れている。


  留守番の猫眠りをり神の旅★渡邊佐保子  

 神の旅とか神の留守という想像は面白い。陰暦十月、陽暦十一月頃の暑くもなく、小春日和もありまだ寒くない頃、神々達が旅を楽しむという想像は実に楽しい。古代の日本人の豊かな想像力に敬服する。現代人になると少々皮肉になって、神の留守には神社にお参りしても御利益がないのではないかとか、神の留守には手を抜いてやれなどと冗談を言いたくなる。この句は神社の階段か社殿の賽銭箱の辺りにいる猫を、留守番とみたのである。しかもその猫が眠っている様子は、神の留守らしくのんびりしている。そして又小春日和のような暖かい季節であることも描かれているところが佳い。


  秋の旅旧き名持ちし昭南市★阿部 言成  

 長期にわたる日中戦争の後半一九四一年十二月八日に、日本は不幸にも中国に加えてアメリカ・イギリス・オランダの諸国とも戦争状態に突入した。その結果日本はベトナムやマレー半島、フィリピンと南方諸国で兵戈を交えた。日本軍は一九四二年シンガポールを占領し、昭南と改名した。第二次世界大戦後、ベトナム、マレーシア、シンガポール、フィリピン等々すべて独立し、欧米諸国による植民地時代は終った。現在のシンガポールは住民の四分の三が華人で経済的に大発展を遂げた。その地へ旅をし、昭南と呼ばれた歴史を回顧し、平和な時代の有難さをしみじみと噛みしめているのである。


  マリオネット糸の絡まる秋暑かな★加藤 富子 
 
 マリオネットは人形劇の操人形である。また人形劇のこともマリオネットと言う。フランスやドイツそしてイギリス等の多くの街で見られる。マリオネットを見るのは旅の楽しみでもある。舞台の上から操り手が人形を動かす。数本の糸で操るのである。この糸が何かの間違いで絡まってしまったのである。劇は中断され操り人はあたふたと動き回っている。秋の一日涼しそうに楽しく見ていた観客も、何事が始まったかと、急に暑さを感じて扇などを使い始めたのである。マリオネットの糸の絡まりから、急に秋暑を感じる雰囲気の変化が佳く描かれている。劇中の劇のようで面白い。