十人十色2015年10月

  

鷺草の小さき風を捕へけり★佐々 宙

鷺草は本当に鷺が飛んでいるような、或は飛び立ちそうな形をしている。三十センチメートルぐらいの小さな草であるが美しい花を咲かせるので愛好する人も多い。私も鷺草が大好きである。この句はほんの僅かな風でもそれをすぐに捕えて、花が飛び立とうと構える姿を詠っている。草花は風に鋭敏に反応するが、特に鷺草はその風に乗ろうとする。この句はその様子を佳く写生している。鷺草が飛んでいるようだとか、飛び立ちそうだと言うだけでは平凡であるが、小さい風を捕えたと表現したところが佳い。


甲斐源氏滅びし里の白木槿★瀬戸口照弘

源氏に多くの流れがある。一番有名な源氏は清和源氏である。清和天皇から出て源姓を名告った氏族である。貞固、貞元、貞純等五人の親王が皆源氏の姓を賜わったが、貞純の子孫のみが栄えた。その子孫が満仲そのずっと後に義家、そして平家と戦った頼朝・義経兄弟である。その分流が新田氏、足利氏、武田氏である。甲斐源氏とはこの武田氏のことであり、源義光が甲斐守になりその子義清が甲斐国武田村に土着して武田を称したのである。武田信玄のとき勢力を持ったが、その子勝頼のとき織田信長に敗れて天目山麓で自害した。その天目山麓の里の白木槿を見てこの句が作られたのである。木槿の花は朝開いて夕にしぼむ。栄華のはかなさに例えられる花である。その白木槿を詠ったところが佳い。


あいの風ますほの小貝残す波★?田 栄一

この句のますほの小貝は、芭蕉の「浪の間や小貝にまじる萩の塵」の小貝である。そして芭蕉の句は西行の「潮そむるますほの小貝拾ふとて色の浜とは言ふにやあるらむ」(山家集)を踏まえている。あいの風はあゆの風であり東風であり春風である。現在はあまり使わないが、「あゆの風」は万葉集で用いられている。春風の吹く中で波が寄せては返している。その波がますほ即ち赤色の小貝を浜辺に残して行くというのである。春らしいのどかなそして美しい光景を詠っているところが佳い。芭蕉の句は秋、この句は春、どちらも静かな美しい句である。


古里の峠への坂合歓の花★福岡ツネ子

古里へ行くにはこの峠を越えなければならない。古里を出てもう何年も他郷に住んでいる。機会があるとこの峠を越えて懐かしい古里を尋ねるのである。その峠へ登って行く坂にはいろいろな樹や花があるが、特に合歓の花が美しい。だから合歓の花を見ると、この古里の峠への坂道のことを思い出し、望郷の念に駆られるのである。この句では合歓の花の優しさが望郷の念を示す上でよく働いている。また峠への坂道の様子が合歓の花の美しさで描かれたところが佳い。


貴船川に形代流る一雨かな★原 道代

貴船川は京都の鞍馬にある貴船町を流れ鞍馬川と合流して賀茂川にはいる。その貴船川に形代が流れて行く光景は美しい。貴船神社で名越の祓をした後に流した形代であろう。そこへ一雨降ってきたのであった。貴船神社は雨乞いの神として尊ばれている。この一雨も雨乞いをした御利益かもしれないというような雰囲気があって面白い。貴船川の周辺の静かな風景がよく描かれている。


このジェラートあの石段のヘップバーン★増田 昭女

ヘップバーンはハリウッドの映画女優であり、「ローマの休日」で主演して大成功をおさめた。ローマのことであるからアイスクリームとは言わない。イタリア語でジェラートと言ったところが佳い。ローマの街を歩きながらここでヘップバーンはジェラートを食べた。あの石段を恋人と歩いて行ったと「ローマの休日」の場面を思い浮べながら、自分自身ローマの休日を楽しんでいるのである。明るい楽しい句でありながら、どこか昔の良き時代を回想している思いがある。そこが又佳い。


インディオのケーナ馬鈴薯咲く丘に★荒尾 保一

ケーナは南米のアンデスからアマゾンにかけて使われている葦で作られた縦笛である。葦笛と言ってもよい。この地方はインディオが古来から住んで活躍している。そのインディオたちの主要な食糧が馬鈴薯である。馬鈴薯が咲く丘でインディオがケーナを吹いているという姿は、アンデス辺りの典型的な農村風景である。農業を楽しむ平和なインディオの光景がよく描かれている。


梅雨寒や牢獄地下の責め道具★扇 義人

江戸時代の責め道具が、その時代の牢獄の地下に残っているのである。梅雨寒の日々特に地下の牢獄の寒さはきびしい。そのように暗く寒い地下で、このような道具で責められた罪人たちの日々を思いやった句である。洋の東西を問わず人間はよくもまあこんなむごい責め道具を考え出したものであると思う。私はパリのカルチェラタンの一角にある博物館で責め道具を見て、暗澹たる気持ちになった。この句から梅雨寒の地下で見た責め道具から受ける陰鬱な気持ちがよく伝わってくる。でもそれを見てみたい気持ちもある。そんな好奇心を感じさせる句である。


引揚げの無蓋車に遇ふ白雨かな★森島 眞

森島眞さんも引揚げの苦労をなさったのであろうか。旧満州から命からがら無蓋車で朝鮮半島へ向ったのであろう。その屋根のない車へ白雨が降ってきたのであった。炎暑の日の夕立は涼しくしてくれるので大喜びのものではあるが、無蓋車ではずぶぬれになってしまったであろう。厳しいそして悲しい体験であった。だが今となれば一つの思い出になっている。特にこの無蓋車で遇った白雨が忘れられないのである。本当につらい体験であったにもかかわらず、客観的に冷静に描くことによって、一層深く読者の心を打つ。それが短詩である俳句の強さである。


ぎしぎしを噛んで防人ははを恋ふ★中田 月江

「父母が頭かき撫で幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる」(万葉集巻二十)と防人は詠っている。このように防人は父母や妻のことを常に忘れなかったのである。ぎしぎしの花を見れば母を思い出す。特にその葉を噛めば子供の頃母に愛されたことを一層強く思い出したであろう。私たち現代人もすかんぽなどを見たり、噛んだりして幼時を思い出したり、父母をなつかしむ。そのような気持ちで防人のことを詠ったところが佳い。