十人十色2018年4月

  


   なまはげの台詞鰰にも及ぶ★大辻 泥雪 

 秋田県男鹿半島の正月十五日の夜行われるなまはげでは、青年が何人か鬼の面をかぶり、蓑を着て家々を廻る。正月の祝言を述べたり、泣く子はいないかなどとおどかしたりする。その際に「今年は鰰が豊漁でめでたいことだ」とか鰰についても話して行ったのである。鰰は冬の雷が多い頃よく獲れるので「」とも書かれ、秋田で多く漁獲される。なまはげが単に祝言を述べるだけでなく、今年は豊年に違いないとか、鰰が美味い年だとか言ってゆくところが面白い。特に秋田の名産の鰰について話したところが面白い。なまはげで予想される光景と、少々違った一面がよく描かれているところが佳い。

   「もりをかは雪よ」と応へ青邨忌★小山 尚宏   

 青邨先生の名句に
   みちのくの雪深ければ雪女郎
があり、盛岡と言えば雪が深い所だという気持ちがある。十二月十五日青邨忌の日、盛岡からずっと南の雪のない所に住む縁者か、友人から電話が掛って来たのであろう。それに対し「盛岡は雪だよ」と応えたのである。「やっぱり」と電話の向うで言っているに違いない。俳句でも、日常の会話でも、青邨先生は「みちのくの雪は深いよ、特に盛岡の辺りはね」としばしば言っておられた。この句は青邨忌らしいしみじみとした味があるところが佳い。

   俗塵も光のなかに春星忌★前  九疑  

 旧暦十二月二十五日は与謝蕪村の忌日である。蕪村は優れた俳人であったとともに、画家でもあった。特に三十一歳のとき関東を去り京都に上って画業に専心した。そのような生涯を送ったことからも判るように、蕪村は光や色彩について鋭い感覚を持っていた。若い時は東北地方や関東でよく旅をしたが、京都に住むようになり、市井の生活を楽しんだ。いわば俗塵にまみれることを厭わなかった。とは言えやはり光の美しさ、輝きを大切にしていた。臨終の吟三句中一句も「白梅に明くる夜ばかりとなりにけり」と光を感じさせる。春星忌に俗塵にある美しい光に焦点を当てたところがこの句の優れている由縁である。

  松の雪払ふ重さや竿持ちて★米澤千恵子

  今年は雪が多かった。庭の樹々、特に松には雪がよく積った。その松の枝が折れないように竿を持って、雪を落しながら、その雪の重さに驚いたのである。単に松の木に積った雪を詠うのではなく、竿で落とそうとして雪の重さに注目したところが佳い。しかも千恵子さんは九十四歳である。その千恵子さんが自分で重い雪を払い落としているのである。矍鑠振りが素晴らしい。ますますお元気で俳句をどんどん作って下さることを祈っている。
  

  百歳と知りて驚く獅子神楽★青木  玲 

 いよいよ人生百歳時代である。それにしても元気に動き廻り躍り廻った神楽獅子が、神楽を終えて頭を脱いで顔を見せたとき、それが百歳の老爺であったのである。観客一同がその老爺の力強さにびっくり仰天している様子が見えてくる。皆がますますこの獅子神楽のめでたさに喜んだのである。九十歳でも百歳でも元気に動けること、働けることは誠に幸いである。この獅子神楽の獅子にあやかりたいものである。明るい希望を与える句であるところが佳い。

  チェコの春「我が祖国」聞く着ぶくれて★土佐 廣子 

  チェコの春はおそい。春になってもなかなか温かくはならない。それで旅人たちは着ぶくれている。廣子さんもそのような旅人の一人である。チェコは長い間オーストリアのハプスブルク家に支配され、第一次大戦後オーストリア・ハンガリー帝国から独立をし、スロバキアと合併してチェコ・スロバキア共和国になり、一九九五年にやっとチェコ共和国になった。それだけにチェコ人は民族愛が強い。その気持ちをスメタナは「我が祖国」という交響曲に示した。チェコ、特にプラハあたりでよくこの曲が流れている。それを早春着ぶくれながら聞いているのである。チェコらしい光景が佳く描かれている。

   初島を指呼に箱根路片時雨★佐藤 艶子  

  初島は相模湾の沖熱海市の南東約十キロメートルにある小島で熱海市に属する。源実朝の名歌に「箱根路を我が越え来れば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」がある。この小島は初島であろうと私は考えている。実朝のように箱根路を越えて来ると、すぐそばに初島が見えたのである。陸の方は時雨が降っているのに海の方は晴れている。そのような時雨を片時雨という。自分の立っている箱根路の方には時雨が降っている。沖を見ると初島は晴れていて明るい。その美しい光景を描いたところが佳い。艶子さんは九十一歳、でもこのように美しい叙景句を作っておられる。ますます佳句をお作り下さい。

   着衣始裾引き摺りて父老いぬ★熊谷 幸子  

  着衣始は「きそはじめ」と読む。江戸時代には正月三が日のうち良いと思う日を選んで、新衣を着始めることを言う。今日でも新年の春衣を初めて着ることと思えばよい。それにしてもあまり使われない季語である。高齢の父上が春衣を着る様子にこの季語を使ったところが佳い。しかも新年に裾を引き摺りながら苦労しつつ着物を着る、父上の姿を描いたところが佳い。着衣始というような忘れられそうな季語を年取った父上にあてはめたことが優れている。

   戌年明くる犬公方の世のはるか★山下美津子 

  徳川五代将軍綱吉は生類憐みの令を出し、動物を大切にし儒教や仏教を尊敬した。若い時に天和の治と称される善政を行ったが、生類憐みの令など行き過ぎた政治を行い人々を苦しめた。人々は犬公方とあだ名をつけたのである。戌年の新年である。犬公方が生きている時代には戌年は大切にされたろうし、犬たちが特に大切にされたであろうと想像しているのである。それにしても戌年になった年の始め、犬公方の時代即ち元禄の世は遥か昔のことになったと回顧しているところが佳い。

   恬淡と煤払はれし盧舎那仏★浜田 孫一  

  盧舎那仏と言えば東大寺の大仏を思い出す。この句も東大寺の大仏の煤払いの光景であろう。大仏の顔から手足まで煤払いが行なわれているが、大仏は顔色を全く変えず、安らかに何事もないようにしている。その様子を恬淡だ、心やすらかで物事に執着しないと表現したところが佳い。盧舎那仏は毘盧遮那仏と同じで万物を照らす宇宙的な仏であり、密教では大日如来と同じである。そのような仏教で最も高位の仏らしい威厳がありながら、おだやかな大仏の姿が佳く描かれている。