十人十色2018年7月

  

風鐸は園児折る鶴花御堂★荒尾 保一 

  風鐸は塔や仏堂の軒の四隅に吊り下げられた風鈴である。それは殆どが青銅製である。花御堂は勿論釈迦の誕生の姿を安置し、花で飾った小さな堂である。小さな堂であるから重い大きな風鐸など吊り下げない筈だと思ってよく見たらば、紙で折った可愛い鶴が吊ってあったのである。それもこのお寺の附属幼稚園の園児たちが折ったものであった。その鶴を風鐸にした花御堂の中に立っている誕生仏の姿も又、可愛らしいものである。微笑ましい花御堂が、四隅に園児らが折った鶴を吊り下げたことによって、一層美しく華やかさが増しているのである。園児の折った鶴に焦点を当てて描いたところが佳い。

和鋏の糸切る音や木の芽時★宮﨑温子 

  古代においては先ず握り鋏が発達した。それは一枚の細長い金属板の両端に刃を付け、それをU字形に曲げて作る。この中間部がばね状になっている。普段は二つの刃が少し離れている。それを手で握って二枚の刃の間に、切るべきものを鋏んで、握る力を強くし両側から力を加え、刃を重ね合せて紙や布を切る。これが握り鋏であり、日本では和鋏と呼んで今でも使われている。ばねの部分を押し、しかも何かを切るにはかなり力がいるので、和鋏は今では糸や飴細工用にしか用いられていない。その和鋏で糸を切る音は静かで柔らかい。如何にも木の芽時の静かさにふさわしい。木の芽時静かに和鋏で糸を切る音がかすかに聞えて来るところが佳い。

ジャンケンの指伸びやかに入学子★福井 良人  

  子どもたちはジャンケンが大好きである。何かと言うとジャンケンをしてきめる。その子どもたちも小学校へ入学する頃になると指もしっかりし、伸び伸びとしてくる。入学式へ来ている子どもたちが式を終えて校庭へ出て遊んでいる。そして皆でジャンケンを始めた。その指の動き方を見ていると、入学前に比べて遥かにきびきびと動くし、指もすっかり伸びて力強くなっているのであった。入学した子どもたちの成長振りをジャンケンをする指に注目して描いたところが具象的で佳い。

奈良百寺雨読の一ト日春灯し★黒野希志子  

  奈良には一体幾つ寺があるのであろうか。中国の南朝の四百八十寺の楼台が煙雨の中にあると歌ったのは唐の杜牧であった。この句では春雨でやや暗い一日奈良の百の寺では、僧侶たちが皆部屋にこもって仏典や教本を読んでいるのである。そのためどの寺も一日電灯をつけている。奈良は日本仏教の中心の一つ、古い由緒ある寺が多い。そして僧侶たちも修行に励む人が多い。この句はそのような雰囲気を佳く描いている。希志子さんは九十五歳、にもかかわらず時々このように奈良の辺りまで吟行に行かれ、新鮮な句を作っておられる。希志子さんが増々お元気で作句に励まれることを祈っている。

蒼天の天地を結ぶ鯉幟★大舘 泉子  

  広々とした平野の一角、天は高々と広がり蒼々としている。大地は大きく四方に広がり、集落の家々には大きな鯉幟が幾つも五月の薫る風の中に泳ぎまわっている。その鯉幟は高く高く掲げられて、天地を結ぶように尾を振っている。大きな勢いのよい鯉幟の様子が目に浮んでくる。「天地を結ぶ鯉幟」と表現したことによって、その鯉幟の力強さが佳く見えてくる。泉子さんは九十一歳、これからもこのように力強い俳句をどんどん作って下さい。   

ヴィシュヌ神の天地創造月朧★武井 典子 

  ヴィシュヌ神はヒンズー教の三大神の一つである。他の二神はブラフマンとシバ。ヴィシュヌ神は太陽の象徴であり天空地の三界を闊歩し支配する最高神である。朧月を見ながら、この月もヴィシュヌ神が創ったのだと思って見ているところが、この句の面白さである。時に明るく照る月になり、時に朧月になる。ヴィシュヌ神の気持に従って月の姿も変化する。今夜は月朧なのだと思いを廻らしたところが面白い。

蛇穴を出で金印に畏まる★松浦 泰子  

  金印は勿論九州福岡市東区の志賀島で発見されたものを言っている。「漢委奴国王」と隷書体で刻まれた印であり、倭の奴国の王が後漢の光武帝に朝貢したときにもらったものと考えられている。この金印も地中に長くうもれていた。蛇も冬眠から目醒め穴から出て来て、この地中から出土した金印を見て畏まっていると想像したところが、この句の面白さである。いかにもありそうな想像が佳い。

軒低きカフカ旧居の染卵★藤本 絢子  

  百塔の街と呼ばれるチェコ共和国の首都プラハの光景である。坂の半ば辺に私の記憶が正しければ青みをおびた家の一つがカフカの旧居である。丁度イースター(復活祭)の頃で染卵が飾ってあったのであろう。カフカはユダヤ人商家に生れた。従ってユダヤ人のカフカがそのまま住んでいれば染卵を置くはずはないと思うが、住む人も替ってキリスト教徒の時代になったので、染卵を置いてあったのであろう。軒が低いごくありふれた家ではあるが、カフカが住んでいたということで何となく印象の深い家の様子が見えて来るところが佳い。

鳥語降る牡丹の芽の真くれなゐ★相沢恵美子 

  まだちょっと寒さが残っている早春、牡丹は太い真紅な芽をふくらませる。その美しさ力強さは見ていて息を呑む程である。人間だけでなく鳥たちも牡丹の芽の勢いに驚いて、盛んに鳴き合っているようである。牡丹の芽の上から鳥語が降るように聞えて来る。この句に、早春の明るさが、鳥語の響きと、牡丹の芽の紅によってよく表現されているところが佳い。

妹山も背山を見ては笑ひけり★大下 亜由 

  男峰、女峰の二つが向い合っている山の光景である。先ず背山が笑ったと思ったら、それを見て妹山が笑い出し、一面春となったのである。私はこの句から筑波山を思い出した。背山、妹山の睦まじさも感じられ春の明るさがよく見えて来る。妹山も背山も共に芽吹き始め、春らしく華やかになって来る様子が佳く描かれている。