十人十色2018年9月

  

  グーの掌をそつと開けば雨蛙★宮川 陽子

  雨蛙は体全体、手も足も緑色で美しい。時に灰色のこともあるが。そして目鼻耳から体全体に黒い斑紋がある。可愛いので子どもにも大人にも雨蛙が好きな人が多い。昼食とか夕食、或はおやつの時間であろうか。子どもの一人が皆でじゃんけんをしようと言う。面白がって皆で「じゃあやろう」と円くなって、じゃんけんぽんと手を出した。この子はグーを出した。そして勝負がきまったぞと言った瞬間、この子がグーの掌をそっと開いたと同時に雨蛙がぴょんと飛び出して来たのである。一同あっと驚き笑い出したのである。雨蛙も嬉しそうに飛び廻っている。その子の笑顔が見えてくるようだ。明るい雰囲気が佳く描かれている。

   曳山車の轍残して祭笛★久保田悟義  

  祇園会を始めとして多くの夏祭に山車が活躍する。長浜八幡宮の曳山祭や唐津神社の唐津くんちの曳山が有名である。ただし唐津くんちは秋祭である。曳山の俳句は多くあり、その轍の句もよく作られる。この句では、重い曳山車を大勢で曳き、特に坂道を登る時とか、曲り角などでやっとその場所を通り越して、また滑らかに動き出した時、この曳山車が道路にくっきりと刻んだ轍に注目したところが佳い。しかもその瞬間祭笛がそれをたたえるように高く鳴り響いたことを詠ったことが面白い。    

  風薫る明治文士の遺作展★佐藤 艶子  

 一八六八年は明治元年、昨年二〇一七年は明治一五〇年であった。正岡子規と夏目漱石は一八六七年生れであり明治元年に一歳であった。森?外はそれより少し早く一八六二年に生れたから明治元年に六歳であった。明治も一五〇年ということで近年、これらの文士の一五〇年祭とかで遺作展や回想展が開かれている。艶子さんは風薫る五月の頃明治文士の一人の遺作展を見学に行ったのである。東洋特に日本の優れた文化に加え、明治は西欧文明を大いに吸収した時代であり、まさに風薫る時代であった。この句の風薫るがそれを佳く表現している。艶子さんは九十二歳、いよいよ健やかに御活躍下さることを祈っている。

    母子草増ゆる海辺の三昧場★奥田美恵子

 三昧場はサンマイバと読む。三昧は心が統一され、安定した状態をいう。念仏三昧などと使われる。三昧場は死者の冥福を祈る堂であり墓地の近くにある。三昧場はまた墓地そのものを意味することもある。この句は海辺の墓地を詠っている。その墓地の廻りに母子草が増えた様子を描いたところが佳い。母子草は春から夏に黄色い花を茎の先に咲かせる。春の七草の一つごぎょうである。親しみ深い花であり、母子草という名前がよい。この三昧場にも多くの母と子の遺骨が葬られているであろう。その母子の冥福を祈るように母子草が咲いているのである。美恵子さんは九十歳まだ若い。どんどん佳句を作って下さい。

   指二本立てつ夏越の神楽かな★門脇 文子 

  神社では毎年六月三十日の大祓の神事が行われる。茅の輪くぐりも夏祓の行事である。その夏越には神楽も行われる。この句では、夏越の神楽でその神楽師が指二本立てて舞う姿が描かれている。それがどのような意味を持っているかは判らないが、何か滑稽な仕草であるように思われる。身の不浄を祓いこの夏を無事に終れるように祈る夏越であるから、指二本立てるのは身の幸いを祈る仕草かもしれない。夏越の神楽の雰囲気が佳く描かれている。   

   足長蜂花粉のだんご抱へたつ★出浦 寿恵  

  蜂の中でも足長蜂は中形から大形であり、特に脚が長いので目立つ。しかも人家近くに巣を作る。風化した枝や板塀そして、家の柱などから集めた繊維を唾液でこねたものを材料にして巣を作る。そのため人家近くになるのである。足長蜂はアオムシなどの幼虫を捕らえて、それを肉団子にして幼虫に食べさせる。この句は、足長蜂がアオムシなどの幼虫を草花の中でつかまえた証拠の花粉がついた団子を抱えて、飛び立った様子を描いている。足長蜂の生態をしっかり写生したところが佳い。

   ほととぎす一声放ちいづことも★槇  宗久

  ほととぎすは、漢字で沢山の書き方がある。例えば杜鵑、時鳥、子規、不如帰、蜀魂などなど。万葉集以来沢山の和歌で詠われている。「東京特許許可局」とか「てっぺんかけたか」などと聞え、記憶しやすい鳴き声であり、しかも昼も夜も鳴くので、大変親しまれている。宗久さんは時鳥の鳴き声を聞こうと近くの森か林に出掛けたのであろう。そうしたら期待通り時鳥が一声鳴いた。しめたもっと鳴いてくれと思っていると、一声だけでどこかへ飛んで行ってしまったのであった。時鳥の一声を聞いた喜びと、一声のみで飛び去った後のどうしたんだろうという心の動揺が佳く描かれている。   

  リラ薫る風生む道の開拓碑★桂井 俊子  

  リラ、ライラックはヨーロッパそれもバルカン半島からクリミア半島が原産地といわれる。フランスやドイツでも沢山咲いている。
   舞姫はリラの花よりも濃くにほふ  山口青邨
はドイツでの作である。リラは寒さに強いので北海道でも多く植えられている。この句も開拓碑から、北海道の光景であろうと推測される。北海道の一角にある開拓碑に向う道に沿ってリラが咲いていて、その薫りを運ぶ風が生れついでいる。開拓地らしい新鮮さのある光景を描いたところが佳い。開拓者の努力とその甲斐のあった喜びが感じられる句である。

   廃校の空染めあげし夕桜★澁谷 さと  

  少子高齢化が急速に進み、多くの小、中学校が廃校になっている。これに対して何か根本的な対策を立てるべきである。私は教育にもっと国費を投じるべきであると強く主張している。そして一組の人数を二十人とか十五人の少数にして廃校しないですむようにすべきであると思う。殆どの小、中学校に桜の木が植えてある。此の学校へ入学したこと、学んだことなどの思い出と桜の花の美しさが重なる。そして廃校になった今も夕桜が空を染める。その学校の卒業生はその夕桜から、少年少女であった頃のことを思い出すのである。日本で起っている現実の一つを佳く描いている。

   百済路の八万蔵経風涼し★吉田 桃子 

  韓国の慶尚南道(キョンサンナムド)と慶尚北道との境界西部に伽耶山があり、小白山脈に属している。新羅国の哀荘王が創建した海印寺がその山中にある。この寺は高麗板八万大蔵経を蔵していることで有名である。桃子さんはきっと釜山から西方への道をとり百済へ向ったのであろう。その途中小白山脈を経て、この伽耶山中で海印寺に参拝したのだと思う。そして八万大蔵経を収納している蔵を見たのであろう。そこまで炎暑の中を来たが、この蔵の前で涼風を受け、八万大蔵経の偉力を感じたところが面白い。新羅、百済と歴史的に親しい地を歩き、その地帯の歴史の重さを感じたことが佳く描かれている。