十人十色2019年4月

 

      編鐘の響きし殷墟寒の入★竹田 正明 

  大きさの順に鐘が十四、五個吊り下げられている打楽器を編鐘という。大小によって鐘の音高が異なる。中国古代の楽器である。中国古代の王国と言えば夏・殷・周である。その殷は河南、山東、河北と八回も遷都した。その中の一つ殷墟は河南省安陽市にある。殷墟からは獣骨が多数発見され、その獣骨 亀甲、猪、鹿、水牛の肩甲骨 を使って占い、その結果を小刀で細かい文字で彫りつけてある。この文字が甲骨文字である。その殷墟に立ち太古の歴史に思いを馳せると鐘の音が聞えたのである。その音を耳にしながら殷の代であれば編鐘が響いたであろうと思ったのである。季は寒の入、太古の都の寒さも感じられたのである。殷墟に響く鐘の音が佳い。

   カントでも読んだ顔して炬燵猫★金子  肇 

  明治末の流行歌にデカンショ節というものがあった。丹波篠山の盆踊唄から派生したものと言われる。「丹波篠山田舎の猿がヨイヨイ」と始まる。そしてデカ(ルト)、カン(ト)、ショ(ウペンハウエル)と独仏の哲人の名が歌いこまれている。当時の第一高等学校(現在の東大教養学部)の学生が勉強させられた哲学の中心的な大学者である。さてこの句ではこの中でも最も難解なカントの哲学書『純粋理性批判』などを読んで考えこんでいるような顔を、炬燵猫がしていると言ったところが面白い。炬燵で暖まっている猫がちょっと難しい顔をしていたのであろう。それをカントでも読んだ顔と見た飛躍が滑稽である。

   凍み渡るヒエログリフの墓碑の鳥★武井 典子  

  エジプトへ旅をしたのであろうか。或いは大英博物館かオルセー美術館かそれともスウェーデンで見たのであろうか。凍み渡ると冬の厳しさを感じているところから、英国とかフランス或いはスウェーデンあたりの光景かと思う。墓碑にヒエログリフが彫られてあり、その字の一つが鳥の形であったのである。ヒエログリフは西暦前三一〇〇年頃から四世紀末まで使用された。鳥を形どった字もいくつかある。ヒエログリフは起源は象形文字であるが、表意文字と表音文字の両方がある。墓碑に書かれたヒエログリフの鳥がいかにも寒そうにしている姿を見て、寒さが凍み渡っていると感じたところが面白い。

   義士の日や江戸の古地図の包装紙★中澤マリ子  

  四月一日から七日まで東京高輪の泉岳寺で義士祭が行われる。また赤穂の大石神社では、四十七士が討ち入りした十二月十四日に赤穂義士祭が行われる。この句の義士の日は「義士討入りの日」と見るべきかと思う。十二月も半ば年末年始のため買物をしに出掛けたのである。そして買った品物の包装紙をよく見たらば何と江戸の古地図であった。その瞬間そうだ今日は義士たちが討ち入りした日だ。きっと四十七士の何人かは吉良義央の屋敷のあった江戸本所松坂町の辺の地図を持っていたであろうと、その包装紙に描かれている江戸古地図をしみじみと見るのであった。義士の日と古地図の組合せが佳い。

   鯛焼の頭ただしく向き揃へ★上脇 立哉

    魚屋の店前では、商品の魚は頭を揃えて売っていることが多い。特に鯛など高級品はそうである。浅草あたりの人形焼も頭を揃えて売られている。この句では鯛焼まで頭を揃えられている。それもただしく向きが揃っていたのである。それを見るとこの鯛焼が一層美しく美味しそうに感じられたのである。姿が良く焼かれしかもただしく向きが揃えられた鯛焼とは素晴らしい品物と思えてくる。それを売っている店のみならず、その一帯が楽しく美しく感じられてくるところが佳い。

   大寒や太き野石の殉教墓★森  幸子

  長崎の周辺、かつて切支丹信者が沢山いた地の光景である。切支丹に対する禁教令が出され棄教した人々も多かったであろう。ひそかに隠れた人々も多かった。しかし断固切支丹であり続け殉教した人々もあった。その多くはきちんとした墓を作られず、葬られた地の上にただ野石をごろんと置いて墓としているのである。大寒の日、その大きな野石の墓の前に立ち、しみじみと殉教者の霊の安からんことを祈っている作者の姿が浮んで来る。大寒が厳しければ厳しい程、殉教の厳しさが身にしみて感じられるのである。

   古今伝授の里のしづけさ笹子なく★神谷 久枝

  古今和歌集の読み方やどう解釈をするのかなどを秘伝とする習わしが、平安末期に生じた。特に二條家は古今和歌集の解釈を代々秘事として相承していた。そのように古今和歌集は解釈無しには理解することがなかなか困難であった。それ故古今集の解釈の伝授を受けることは一つの権威であった。この古今伝授を受けた一人が連歌師として有名な宗祇であった。その宗祇は郡上踊りで有名な岐阜県郡上市の明建神社(昔は妙見宮と呼ばれた)で、常縁から古今伝授を受けた。この句の古今伝授の里がどこか明確では無いが、私はこの郡上であろうと推測した。しづけく笹子が鳴くという里らしさがあるからである。笹子なくが佳い。

   この一枚母に取らせる歌かるた★小野 玲子 

  子供の頃からお母さんと百人一首のカルタ取りをしたものであった。その時必ずと言ってよいくらいお母さんが取る札があった。お母さんもその後すっかり年を取り、動作も遅くなっている。そのお母さんを入れて子や孫たちがカルタ取りをやることになった。その時この歌が読み上げられた。その瞬間皆は静かにお母さんがそのカルタを取るのを待っているのであった。母を思い祖母を思う家族の人々の優しさがしみじみ感じられる句である。

   人形町花屋の小さき初荷旗★阿部  旭  

  東京の日本橋人形町は江戸時代から今日まで下町の代表的な商業地区である。江戸時代人形師やそれを売る人形商人が集まっていたことから人形町と呼ばれるようになった。九州の久留米の水天宮をこの地にも祀っていて、その門前も賑やかである。正月にこの人形町にある花屋に小さな初荷旗が飾られていたのである。花屋に小さな初荷旗があるところが人形町らしいと思う。下町の正月の風景が佳く描かれている。

   王座には剣わがうえは氷柱かな★原  辰吉 

  王座には剣が飾られている。王の力の象徴であり戦でもあれば王はその剣を手に持って兵達の指揮を執ったのである。ところが自分の頭の上にはなんと氷柱が垂れている。それが落ちてくれば自分の体に刺さりそう。自分の将来には沢山の困難や危険が待っている。この氷柱がその一つである。しかしその困難を克服し更に努力を重ねれば、明るい将来が待っている。その日には氷柱では無く名剣を身につけるような栄光に輝くであろう。未来のある青年らしい活力に溢れた明るい句である。

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