十人十色2019年5月

 

  春暁や甕棺にある息の穴★小山 尚宏  

  土で作られた甕棺は日本だけでなく、中国や韓国などにも多い。日本では特に縄文や弥生時代に多く作られた。甕棺は遺骸を納めるためのものであり、縄文後期には幼児の骨を納めたものが多い。弥生時代には特に北九州で甕棺が盛んに用いられた。この句ではその甕棺に小さな穴が開いていることに着目し、それは死者が息が出来るようにするためであると言ったところが佳い。死者たちへの思いやりが古代の人々にも強いことに共感したところが見事である。

   たま風や天狗が湖を渡り来る★三国 雄次 

  冬に吹く季節風には地方ごとに異なる名前がつけられている。富山県から北の北陸や東北では「たま風」、太平洋側の青森、岩手、宮城の三陸海岸から紀伊半島では「ならい」と呼ばれる。更に近畿地方から西にかけては「あなじ」、新潟や佐渡島では「たばかぜ」である。いずれも北風または北西風である。
  この句の面白さは強烈な玉風が湖に吹きつけているのは、天狗が渡って来るからだと言ったところである。このような強い季節風にはそれぞれの地方で何らかの伝説があるであろう。天狗が渡る風という想像が楽しい。珍しい季語であるからどんどん作って欲しい。

   アネモネの風やギリシャの濃紫★前定やよい  

  アネモネのなかでもアカヤエアネモネなどは地中海原産である。アネモネには白や赤そして紫のものがある。その濃い紫をギリシャの色とみたところが面白い。確かにアネモネの花から地中海やギリシャの明るい光を感じる。現にアネモネはギリシャの近くの国アルメニア共和国の国花である。更に書き加えればアネモネという言葉はラテン語である。アネモネに吹く風から、ギリシャを感じとり、濃紫の色をギリシャの色としたところにこの句の美しさがある。

   喪の睦月旧約聖書籠り読む★倉見 藤子  

  旧暦の正月睦月に、愛しい近親の人の喪に服しているのである。華やかな新年の気持ちにもなれず故人の思い出を胸に、キリスト教徒らしく、聖書それも旧約を静かに読んでいるのである。そこには自らの気持ちを静め、死者への祈りとなる言葉がちりばめられている。特に詩編を読み救い主たるメシアを待つ嘆願の文を読みつつ祈っているのである。深いなげきと祈りの気持ちが感じられる佳句である。

   末黒野や寝釈迦の影絵阿蘇五岳★竹中 友弥 

  阿蘇山の中央火口丘群のうち、東西に並んでいる根子岳、高岳、中岳、杵島岳、烏帽子岳の五峰を阿蘇五岳と呼んでいる。この阿蘇五岳を北側の阿蘇谷の方面から見ると寝釈迦の姿に似ている。また烏帽子岳の北斜面の火口跡は、直径約一キロメートルの草原で、草千里とか草千里ヶ浜と呼ばれる。その辺で野焼きが行われ一面末黒野になっている光景がこの句に詠われているのである。阿蘇五岳が寝釈迦の形の影を末黒野に落しているのである。阿蘇山の壮大な景色が佳く描かれている。

   鐘の音に祈る女夫の若布船★山下 清美  

  五島列島の周辺の海の光景であろう。若布刈の船が浮んでいて、その上で夫婦が若布刈に励んでいる。そこへ近くの島の教会から鐘の音が響いてきたのである。その鐘はミサの終りを告げているのであろうか。この夫婦はカトリック信者なのであろう。その鐘の音に合せてお祈りを始めたのである。きっと祖先は隠れ切支丹だったのであろう。若布刈の夫婦が鐘の音に祈りを捧げる様子から、隠れ切支丹時代を髣髴とよみがえらせるところが佳い。

   梵鐘の一打に山の芽吹きかな★浅井 貞郎  

  春がなかなか来ないと思っていると、梵鐘が響いた。その瞬間近くの山の木々が一斉に芽を吹き出したのである。そう思うくらい木々の芽吹きが急に進む様子を佳く描いている。いかにも山寺の鐘を合図に春が一気に来、木々の芽吹きが一斉に始まるような気持ちになるのである。待ちに待った春の到来を人間も木々も大いに喜んでいる様子が感じられる。

   針のごと夕月かかる針納め★三好万記子 

  針納めは関西や九州では十二月八日、関東では二月八日に行われる。その日は針仕事を休み、縫い針を供養する。使った針を豆腐やこんにゃくに刺すなどする地方が多いが、供養の仕方は地方によって異なっている。この句では針納めをした夕方、針のように細い夕月が出た光景を描いている。天までも針納めをしているようで面白い。

   落日の窓に眩しき花八手★安岡 洋子  

  晩秋から初冬にかけて八手の木に白色の五ミリぐらいの小さな花が固まって咲く。花は五弁である。まだ小春日の頃で夕方でも明るい。窓に夕日の光が眩しく射し込んで来る。その窓の外に八手の花が真白に咲いているのである。まだ暖かさの残っている静かな初冬の夕日の射す中で咲く、花八手の姿が佳く描かれていると思う。八手というと私は四月頃に出来る球形の実がなつかしい。小学一、二年生の頃竹で作った鉄砲に八手の実をつめて飛ばしたものであった。

   天昇る龍の傀儡や春節祭★相沢恵美子  

  旧正月は中国では今でも大切で、春節祭は大々的に行なわれる。従って横浜や神戸などの中華街でも春節は賑やかである。その春節祭に龍のあやつり人形が街をねり歩いているのであろう。それが今にも天へ昇ろうとする勢いなのである。春節祭の賑わいを龍の傀儡に焦点を合せて描いたところが佳い。しかも天へ昇らんとする勢いを描くことによって、春節祭の賑やかさを眼前に浮び上がらせるところが佳い。

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