十人十色2019年6月

 

  中庸の宥坐のをしへ春の水★圡田 栄一 

  宥坐之器は座右に置いていましめとする道具である。心をやすらかに保って水を静かに入れれば、平衡を保って水はこぼれないが、心の安静を欠くような時は水がこぼれて平衡が崩れてしまうのである。栃木県の足利市にある足利学校でこの宥坐之器を見たことがある。儒学で大切な中庸の心をこの宥坐之器で学んだのである。春になり心が浮きたち中庸心を失う心配がある時、この宥坐之器に水を注いで中庸心を学んでいる姿が美しい。栄一さんは九十歳であるが真にお元気である。ますます沢山佳い句を作って下さい。

   学校まで聞こえる母の磯なげき★小山 尚宏  

  浅い海で潜る磯海女と、船に乗って沖に出て海に深く潜る沖海女がいる。この句は沖海女のことである。沖海女は綱の一端を腰に巻きつけ、他の一端を船上にいる人に握らせる。海面に浮び上った時、海女はふっと息を吐き出す。それが磯なげきである。沖海女の子供が学んでいる学校が海辺にある。そこへ母親の磯なげきが聞えてくるのである。その子は母親が一所懸命働いていることに感謝しながら勉強しているのである。珍しい光景を見事に描いているところが佳い。

   鳥帰る孤舟漂ふ十三湖★竹田 正明  

  十三湖は青森県北西部の津軽半島の西側にある。江戸時代には、湖の入口にある十三湊は多くの船が集まる重要な港であった。この港から津軽米や木材などを上方へ移出した。また帰りの船で上方の産物例えば雛人形などを移入した。湖は淡水であり海水も流れ込むから、両方に住む魚がとれたり、蜆が沢山採れる。そのような十三湖であるから使わなくなった舟が漂うこともある。春も終り頃内地の方から津軽半島まで来ていよいよシベリアの方へ帰る鳥が、この十三湖あたりで陸を離れ海に向って飛んで行く姿も見られる。風光も美しい湖である。その美しさが佳く描かれている。

   吾が歳と共に生き抜く雛納め★米澤千恵子 

  若い時から今日まで大切にしている御雛さまを今年も無事に飾り、三月三日を平穏に暮すことが出来た。今年の雛祭も終ったので来年まで雛を大切に箱に納めなければならない。千恵子さんは今年は九十五歳、この雛も九十五年を共に生き抜いて来た。これからの一年間も丈夫に元気に生き抜いて来年の雛祭に又お会いしようと、雛達に言葉を掛けながら雛納めをしている姿が髣髴と浮んで来る。千恵子さんも御雛さまも九十五歳とは言わず百歳までも百十歳までもお元気に生き抜いて下さい。

   ささめ雪のせて仰向く落椿★黒野希志子  

  寺田寅彦は下向きに咲いた椿も落ちる時上向きになるものが多いという研究をしている。ある一定以上の高さに咲いた椿によく生じる現象である。この句ではその仰向いた落椿が細雪をのせている姿を描いて、一層落椿の美しさが強調されている。細雪を受けとめるために落椿が上向きになったようである。希志子さんは九十六歳、ますます新鮮な感受性を持って俳句を作っておられる。これからも一層お元気であることを祈っている。

   草陰に羽ばたく構へ巣立鳥★金田ふじ江  

  巣立ち鳥が羽ばたこうとしている。この巣は低い草陰にあるのであろう。それで巣立鳥も草陰で羽ばたく構えを見せているのである。いよいよ親鳥から独立して自分の力で生きて行くのである。その構えを草陰で整え羽ばたくのに一番適切な機会を待っている姿が力強い。風向きはどうか、風の強さは適当か、まわりに外敵はいないか、などなど慎重に構えているのである。ふじ江さんは九十歳、長い人生の経験から巣立鳥を見守っている姿がよく現わされている。ふじ江さんも更なる長寿へ向って力強く構えておられるのである。その気持ちも感じられるところが佳い。

   滑り台滑り降りれば春の月★瀬尾 柳匠 

  子どもたちが盛んに鉄棒やぶらんこで遊んでいる。かけ廻っている子たちもいる。誰も彼も春が来たことを喜んでいるのである。日永になったことも嬉しい。その日永もそろそろ暮れて行く。子どもたちはまた明日と言いながら三三五五帰って行った。静かになった時、久し振りに滑り台に登ってゆっくり滑ってみた。滑り降りて立ち上がり空を見上げたら春の月が大きく昇って来たのである。少年時代へ一瞬戻った気持ちが佳く描かれている。

   思ひきり手話で歌ふ子チューリップ★寺川 美知 

  赤や黄色そして白色などのチューリップが一面に咲いている。誰も皆立ち止まって見ている。手をさかんに動かしながらチューリップを見ている数人がいる。近づいてみると同じ調子で揃って手を動かしているのであった。きっと手話で歌っているに違いない。チューリップを見て楽しんでいる人々の姿が手話で歌う人々に焦点を当てたことにより、一層明るく描かれているところが佳い。

   サックスを吹く子留年冴返る★伊藤 瑞江  

  立春も過ぎいよいよ春だと思っているのにまた寒い日が続く。突然サキソフォンの音が響いて来た。その子は学習単位が足りなくて進級出来ず留年が決まったのである。サキソフォンの音も冴え冴えとしている。立春が来たのに春を喜べず、冴え返った気持ちの子が吹くサキソフォンだと同情しているのである。その子の将来に幸あれと祈る気持ちがこの句に佳く表わせている。

   月山の法螺の谺や帰る雁★鹿野  尚  

  出羽三山の一つ月山は楯状火山で美しい。古くから修験道の道場である。頂上には月山神社があり祭神は月読命である。修験者たちが吹く法螺の音の谺が響いて来る。その中を雁の列が北へ向って帰って行く。厳かに聳える月山の空を、法螺の谺に送られて帰って行く雁の姿が美しい。

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