十人十色2019年7月

 

 入学や頬で風切る自転車に★福井良人

四月になりいよいよ入学である。特に小学校へ入学する子どもたちの喜びが見えてくる。そしてそれを見守る父や母、祖父母たちの喜びも大きい。学校まで少々距離がある。と言ってもバスや電車を使う程でもない。こういう時は自転車がよいと親子でそれぞれ自転車で入学式へ出掛けて行くのである。元気一杯に、頬で風を切るように自転車を漕ぐ姿が佳い。頬を赤くして風を切って行くと具象的に表現したことによって、この入学生の元気溌剌とした姿が佳く描かれている。

  魚島や太き声飛ぶ瀬戸の海★土田栄一

魚島はもともと瀬戸内海地方で生じる現象である。四月から五月になると色々な魚が瀬戸内海に入って来る。その中でも鯛や鰆がひしめいて島のように集って泳ぎ回り重なり合う。これが魚島である。その時期のことを魚島時と呼ぶ。漁舟が魚島の周りに集まり、太い声で連絡し合っている。そのような勢いが佳く描かれている。本物の魚島に出会えたとは運のよいことである。俳句に精進して来た御利益であろう。栄一さんは九十歳、俳句はこれからが本番であると更なる御健吟を祈っている。

  首振りてまばたきばかり雀の子★金田ふじ江

雀にしても烏にしても小鳥は可愛い。その中でも雀はどこでもいるし、人にも馴れている。それだけに子雀には一層親しみを感じる。一茶も
雀の子そこのけそこのけ御馬が通る
と親しげに唱っている。ふじ江さんは鳴きもしないでただただ首を振ってまばたきばかりしている雀の子を見守っているのである。まだ人を恐れるというような気持ちを持たない純朴な子雀の姿を佳く描いている。ふじ江さんも九十歳、ますますの御健吟を祈っている。

  伊吹嶺の風存分に初諸子★久田美智子

琵琶湖は本諸子も多く産する。柳の葉っぱのようなので柳諸子とも呼ばれる。その琵琶湖へは伊吹嶺からの風が盛んに吹いて来る。この伊吹山からの風が諸子を育てているようである。伊吹山からの風を受けながら初諸子が遊び廻り泳ぎ廻っている姿が浮んでくるところが美しい。時節は二月、やっと春になった頃の光景である。まだやや寒さを感じる頃であることが、伊吹嶺の風存分と言うことによって表現されているところが佳い。

  亀鳴かんばかりの宵や月照寺★藤江尭

  原句は「麗しき宵や亀鳴く月照寺」であった。私は「亀鳴く」という情緒的な季語が、余りにも易々と用いられることに科学者としての不満がある。殆ど現実に起り得ないものであることをしっかり理解した上で、その面白さを生かして使うべきである。そこで月照寺の雰囲気から亀が鳴きそうだと感じたところを生かして、その気持ちを汲んで絶対鳴かない亀でも幽玄な月照寺の宵であれば、今にも鳴くかも知れないと感じるのであれば、読者もその雰囲気に同感出来るとして添削したのである。こうして月照寺という美しい名の寺の宵の光景が生々と描かれて、佳い句になったと思うが如何であろうか。

  春うらら令和にかなをふるをさな★森木方美

物理学のような国際的な研究生活を送った人間として、何が何時起ったかを論ずるにしても、年月日を指摘する際にも西暦が便利であると私は思う。しかし一方日本人として一つの時代を表す上で、年号で年を数える習慣は貴重である。今回の平成から令和への変化が、何百年振りかに上皇上皇后と天皇皇后両方を仰ぎ見つつ生活する、一種の復古時代に入ったことが興味深い。そこで令和を迎える喜びと、平成を惜しむ俳句が極めて多く発表されているが、やや一時的流行の感がある。それに反して、この句は幼い子どもたちが令和に仮名を振って覚えようとしている姿を具象的に描いていて微笑ましい。春うららもその様子を佳く表現している。

  相席は青衣の女人お水取★松浦泰子

二月堂で修二会が行なわれている期間の三月五日と、お水取りが行われる三月十二日の夜に、二月堂の内陣で「東大寺上院修中過去帳」が読み上げられる。聖武天皇を始めとし奈良時代から現代まで東大寺や二月堂に関係した人々の名が読み上げられる。その中に「青衣の女人」という言葉がある。この句の面白さは、お水取りでこの過去帳を読み上げる式に出席したら、何と隣に青い衣の女人が座っていたというところにある。偶然青色の洋服を着ていたのであろうが、過去帳で読み上げられる青衣の女人ではないかと、一瞬思ったところが面白い。

  新入生脚下照顧と下駄箱に★岡本通子

「脚下照顧」とは脚下を照顧せよであり、照顧はよく考えよの意味である。下駄箱をよく見て自分の靴を入れる場所を間違いのないようにせよという意味で、小学校や中学校などの下駄箱に書いてある。新入生が嬉しそうにこの下駄箱へ自分の名前の書いてある場所に、間違いないように入れているのである。その傍らには墨で黒々と新しく脚下照顧と書かれた板が飾ってあるのである。如何にも新入生たちを受け入れている下駄箱らしい。新入生はこの難しい文章の板をどういう意味などと聞きながら見ている姿が目に浮んでくる。

  天と地の力放ちて木の根明く★鈴木れい子

春になり木の根のまわりの雪が融けて、土が見えてくる。これが「木の根明く」という季語である。雪の深い地方、特に北海道などでよく見る風景である。やっと長い冬が終り土が見えて来たという喜びが感じられる。この句では天と地が力を放ったので春が来たのだと、天と地の力を称えているところが佳い。人間たちも、山川も草木も、天と地の力に感謝しつつこぞって喜んでいる様子が目に見えて来る。

  蟻穴を出づ今年新たな蟻地獄★鹿志村余慶

自然界の残酷さと言うか、現実性リアリティーをよく描いている。蟻も新しい穴を出て活躍し出したのである。ところがその新しい穴の傍らにちゃんと新しい蟻地獄の擂鉢状の穴が作られているのである。でも蟻も利巧であるから蟻地獄の擂鉢を巧みに避けて通り抜けて行くのであった。蟻が春に成り喜んで穴を出たのに、その直後天敵が待ち構えている光景を描いたところが面白い。

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