十人十色2019年8月

 

  頑張れるとは亀の子の泳ぎかな★遠藤 容代

  亀の子が池に入り一生懸命に泳ぐ姿を描いている。それはまさに頑張るという言葉通りの泳ぎ方であった。私は子亀が池に入る姿と書いたが、実は浜松市の中田島海岸で海亀の子が海へ入り、命を掛けて沖へ泳いで行く様子を思い出していた。それ迄は波が砂浜に上ってきた時に水をあびるぐらいだったのであろう。それが或日決然として沖へ泳いで行ったのである。その頑張る姿に将来を掛けた亀の子の強い意思を感じた。この句には初めて本格的に泳ぎ始めた亀の子の姿を見て感動した作者の気持ちが、佳く描かれている。

   夕闇の屋敷に香る朴の花★遠藤 玲子

  朴の花は枝先に花を咲かせる。直径十五~二十センチメートルの大きな帯黄白色の花である。その花は強い香を持っている。屋敷の中にある朴の花に昼間注意をしなかったが、夕闇の中でよく香っている花に気が付いたのである。確かに朴の花の香りが高くから下に降りてくるのは、昼間ではなく静かな夕方がふさわしい。この句で静かな夕闇に香る朴の花の香りを詠ったところが佳い。商店街から離れた屋敷町のたたずまいが佳く描かれている。

   晩鐘や畑打つ牛の痩せ細り★武井 典子

  春に種を蒔くため牛を使って畑を耕しているのである。北国の光景であろうか。長い冬の間牛たちは運動不足で痩せ細っている。その痩せ牛がそれでも一生懸命畑打ちをしていると、もう一日も夕方になり、近くの教会から晩鐘が響いて来るのであった。農夫も牛もその晩鐘をほっと一息つきつつ聞き入っているようである。

   暮れ初むる毛馬の堤の花いばら★飯島 栄子

  与謝蕪村の故郷は摂津国(現在の大阪府)の毛馬である。十七 十八歳頃両親を失い江戸に出て、夜半亭早野巴人の弟子となり俳諧を学んだ。蕪村は発句を作り連句を巻いて活躍したが「北寿老仙をいたむ」とか「春風馬堤曲」という俳句と漢詩を組み合せた新しい詩も生み出した。この「馬堤曲」で母と弟を家に置いて大坂(大阪)に奉公に出た少女が、三年振りに淀川の毛馬堤をたどって家へ帰る姿を描いている。この詩には蕪村自身の望郷の念が込められている。栄子さんも夕暮の毛馬の堤に立ち、そこに咲く花いばらを見ながら蕪村の気持ちを思いやっているのである。「花いばら故郷の路に似たるかな」という蕪村の名句も思い浮かべたであろう。ロマンのある句である。

   叱られて紫雲英田に編むリースかな★芦川 泰野

  春になり一面に広がる紫雲英田はロマンティックで美しい。特に少年少女の頃、学校の帰り道に紫雲英田で遊んだものである。叱られたり苛められたりして一人ぼっちになったような時も、紫雲英田に行って心を慰めたものである。この句の主人公も それは自画像かもしれぬが 、叱られて紫雲英田へ行き、紫雲英の花をつんでリースを編んで、淋しさをまぎらわしているのである。紫雲英田の一光景を佳く描いている。

   ビッグベンの夕焼の迫る蚤の市★斎川 玲奈

  ロンドンのイギリス国会議事堂の北側にあるウェストミンスターの時計塔につるされている大きな時鐘をビッグベンと呼んでいる。この大時鐘は正確に時間を示すことで有名である。ビッグ・ベンとはこの時計塔を作る工事の責任者であったベンジャミン・ホールのあだ名からと言われている。このビック・ベンに夕焼が迫る頃、近くで蚤の市が行われているのである。蚤の市は本来パリの北郊ラ・ポルト・ド・サン・トゥアンの古物市を言うが、一般に古物市を意味する。夕焼の迫る堂々たるビッグ・ベンと古物市の組合せが面白い。ロンドンの風物が佳く描かれている。

   燕の子農村歌舞伎の名子役★井上 澄江

  農村歌舞伎では、住人達が日常生活で活躍する姿から離れて、思い掛けない役割を演じて観客達を驚かすところが面白い。また都会の立派な劇場で行われる歌舞伎と違って、鳥や獣が飛び込んで活躍する。この句では子燕が飛び込んで来て、単に飛び廻るだけでなく、行われている歌舞伎の一幕にふさわしい役割を演じたのであった。まさに名子役の燕の子を描いたところが面白い。

   刻み葉のたちまち黒し蟻蚕かな★井上 淳子

  蟻蚕(ぎさん)とは卵からかえったばかりの蚕のことである。色が黒く蟻のように見えるので蟻蚕と言うのである。桑の葉を刻んで蚕が食べやすいように用意してある。そこへ何百もの卵から孵化した蚕が、真黒な蟻のように桑の葉に集まり、一斉に食べ始めたのである。そのため刻まれた桑の葉がたちまち黒々とした様子を描いているところが面白い。小さな蚕の恐るべき生命力を佳く描いている。

   米搗蟹の耳掻きほどの砂団子★浦島 寛子

  米搗蟹は幅が一センチメートル程の小さな蟹である。丸みのある四角形である。甲面が隆起しているので球型に見える。干潮の時米搗蟹は砂泥地にある巣穴から出て来て、砂泥を口に入れる。その砂泥にまじっている有機質分を食べて、残りの砂泥を団子のように丸めて巣穴の周囲にまき散らす。その砂団子は小さくて耳掻きほどであると描いたところが正確である。耳掻きほどの小さな砂団子がどんどん作られてゆく、小さな蟹の集団の活力が佳く描かれている。

   丘に凜と陶祖の碑立ち白つつじ★小林ひろえ

  有田とか瀬戸とか陶器作りが盛んに行われている集落の光景である。そのような集落の近くの丘陵には良い陶土がある。そのような陶土を発見し陶器作りを始めた人、即ち陶祖を顕彰する碑が立てられているのである。丘の上に凜然と立つ陶祖の碑の廻りに美しく白つつじが咲いている。美しく咲いた白つつじが陶祖の偉業を讃えているようである。ちなみに有田焼の陶祖は朝鮮から渡来した李参平、瀬戸では加藤景正である。凜と立つと言ったことによって、この陶器作りの集落の住人の陶祖を尊敬する様子が佳く描かれている。

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