十人十色2019年12月

 

  一跨ぎして芋洗ふ流かな★柴﨑万里子 

  家のすぐそばに狭い小川が流れている。家へ出入りするのにこの流れにかかる小さな橋を渡らなければならない。この小川の水は澄んでいて美しい。万里子さんは九十四歳である。しかし今も矍鑠としておられ、この小川を一跨ぎしてその川の水で野菜などを洗い料理の準備をするのである。この句で芋を洗う程美しい水の流れが家のごく近くにあること、そして万里子さんがこの小川を一跨ぎするくらい颯爽とした生活をしている姿を描いたところが佳い。万里子さんがますますお元気で佳句を沢山作って下さることを祈念している。

  

  梅雨寒の封人の家土間冥し★鹿目 勘六 

  芭蕉の『奥の細道』の「尿前の関」の節に「大山をのぼつて日既暮(すでにくれ)ければ、封人の家を見かけて舎(やどり)を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。蚤虱馬の尿する枕もと」と述べている。この句の封人の家はまさに芭蕉と曽良が泊った家であろう。封人とは国境をまもる人であり、特に尿前の関に限らない。しかし芭蕉を愛する我等俳人には、陸前と出羽の国境である尿前の関の封人が一番に頭に浮ぶ。そして梅雨の日に今でも蚤や虱の居そうな質朴な封人の家の土間が冥いところを見て、芭蕉と曽良の旅に思いを寄せているところが佳い。

   ビザンティン小鳥の似合ふ聖堂よ★小髙久丹子 

  ローマ帝国は三九五年東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂した。この東ローマ帝国はビザンチン帝国とも呼ばれコンスタンチノープル即ち現在のイスタンブールを都とした。キリスト教も分裂し東ローマ帝国のキリスト教会はビザンチン教会とか東方正教会と呼ばれる。この句はイスタンブールを訪ね、聖ソフィア大聖堂を見学した時の句ではないだろうか。丸屋根の美しい教会である。そこに小鳥たちが楽しそうに飛んでいるのである。正に小鳥が似合う聖堂である。秋日和の中小鳥たちが楽しんでいる大聖堂の姿が佳く描かれている。

   きちきちの鉢に潜みて売られけり★堀内 弘之

  盆栽を売っている店に入ったのである。あれこれ見てこれが良さそうだと一つ盆栽を買ったのである。それを手にした瞬間、この盆栽の木の陰からきちきちばったが顔を出したのである。おやこんな所にきちきちばったが潜んでいたとはと驚きながらも、そのきちきちばったも一緒に買ったことは良かった。盆栽もきちきちばったも大切にしようと思いながらこの盆栽を買ったのである。盆栽にかくれて買手を待っていたきちきちばったが面白い。

   恙なく盆棚納め西瓜割る★白井さち子 

  盂蘭盆に盆棚を作る。仏壇の前に小さな机などを置いて、その上に位牌を置き、線香や花そして野菜や果物を供える。これが盆棚である。盆もつつがなく終り盆棚も片付けて供物にしておいた西瓜を割って、皆で食べようとしているのである。家族一同で「今年の盂蘭盆も終ったね。お祖父さんお祖母さんの魂は喜んでくれただろうか。」などと話している様子が見えてくる。「恙なく」と言ったことによって、この一家の平穏なたたずまいが佳く描かれている。

   赤のまんま平家塚てふ島古墳★原  道代  

  瀬戸内海に浮ぶ小島の光景である。この辺は平家が亡んだ壇の浦が近く、その浦での合戦で負けた平家の死者達を葬った古墳がある。その古墳を守るように赤のまんまの花が咲いている。あかまんまの小花の赤がいかにも平家の赤を思い出させ、生死無常の気持ちを深めるようである。亡んでも平家贔負の多い土地の人々の暖かい気持ちが佳く表わされている。  

   漆黒の月山に澄む鎌の月★佐竹 昌子 

  山形県にある月山の光景である。月山は湯殿山や羽黒山と共に出羽三山の一つで、姿が実に美しい山である。周辺に高い山がなく月山だけが高々と聳えている。夜深く漆黒の月山の上に三日月が輝いている。秋であるので空気も澄みに澄み、しかも三日月が輝いている月山の美しさが佳く描かれている。自然をよく見て、このような美しい光景を発見したところが佳い。

   野分来し一目連の通ひ道★田村  均 

  一目連(いちもくれん)とは三重県桑名市多度町にある多度大社の別宮の一目連神社に祀られている神であろう。この神社の本来の神は天津日子根命の子である天目一箇命(あめのまひとつのみこと)であり、片目が潰れた龍神である。一目連はそれに習合され同一視されるようになったと思われる。
一目連は風を司る神として江戸時代には雨乞いと海難防止の祈願が行なわれた。さてこの句の面白さは野分が来た道は、一目連の通い道だと言った所にある。一目連が風の神であることを良く知った上で、野分と共に通って来ると想像したところが佳い。

  ねもごろに手漕ぎ艪収め菊の酒★井上 淳子 

  旧暦九月九日は五節句の中でも最も重要な重陽の日である。菊の節句とも呼ばれ、その日に菊の花を浸した酒を飲む習慣があった。重陽の日に夏の間舟遊びに使った手漕ぎ舟の艪を丁寧に感謝しながら収めほっとした所で、一同菊の酒を飲んでいるのである。一夏良く働いた艪や舟を見ながら、夏の思い出を語りつつ菊酒を飲み、平穏な重陽の日を祝っているところが佳い。

  稲妻の国来の空を真つ二つ★藤江  尭  

  国来と言えば八束水臣津野命が綱を用いて対岸の新羅の地を引き寄せ、出雲の土地を拡張したという「出雲国風土記」に書かれている国引き神話を思い出す。その国引きが行われた浜辺に夜雷雨が降り稲妻が飛び始めたのであった。それを見ていると、一瞬国引きの空を真つ二つにするように雷火が立ったのである。その烈しい雷火の様子を描いたところが佳い。きっと国引きの時にも大地が動揺し、天も地も真二つに割れるような変動が起り、烈しい雷火が立ったであろうと想像させる力がある句である。

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