十人十色2020年9月

 

   酒器ばかり出づる遺跡や麦の秋★佐久間裕子  

  古代の遺跡には実に様々なものがあり、そこから種々のものが出土する。その中に酒器ばかり出土するものがあったとは面白い。どこの遺跡か知りたいものである。その遺跡が一面に広がる麦畑の中にあったのである。しかも丁度初夏で麦が黄金色に熟した頃、麦の秋である。古墳などがある場所にふさわしい。麦は五穀の一つである。日本では大麦と小麦が古代から栽培されていた。古事記の作物起源神話の中に麦が登場していることからも、麦は昔から重要な栽培植物であったことが判る。この句の面白さは古代遺物に酒器が多いこと。そしてその遺跡が古来重要な栽培植物だった麦の畑の中にあることを詠っているところにある。

   母の日に贈る時計を合はすかな★遠藤 容代  

  母の日は一九〇七年五月一二日に、アメリカのフィラデルフィアに住むアンナ・ジャービスという女性が、母の追悼式にカーネーションを一箱捧げたことから始まったと言われている。第二次世界大戦敗戦後、日本でもアメリカと同じに五月の第二日曜日を母の日にした。容代さんのお母さんは御元気だから、赤いカーネーションと時計を贈ることにしたのである。そのため先ずその時計の時刻を合せているのである。この時計が今年の母の日から未来ずっと正確に時間を、お母さんに知らせ続けることを祈っている。時刻を合せて、時計を母の日の贈りものにしたところが佳い。

   きつとアルパカの手触り雲の峰★手銭 涼月 

  アルパカはラクダ科の動物で、南アメリカの山脈であるアンデス山脈に住んでいる。アルパカの毛を紡いで毛糸や、光沢のある織物を作り、それもアルパカと呼ぶ。雲の峰を手でさわったら、きっとアルパカのようにやわらかいものであろうと想像したところが新鮮である。雲の峰を思い掛けないものと比較したところが面白いし、雲の峰がやさしい身近なものの感じがしてくるところが面白い。

   田の畔の蝮注意は虚仮ならず★新井亜起男  

  田の畔に、ここは蝮が出るから注意せよと書いた警告板が立てられているのである。人々は慣れてしまってあまりこの警告に注意しないように見えるのである。ところが最近蝮に咬まれた人がいたという。そこであらためてこの蝮注意という注意書は虚仮おどしではないぞと見なおしているところが面白い。農業はかなり機械化され、農薬なども多く使用するようになって、蝮などは注意が行き届かなくなっているのであろう。そういう現状に対する警告でもあるのである。

   自粛明け讃美歌の窓時計草★山下 清美  

  自粛明けとは七月の頃新型コロナウイルス禍への警戒が一時緩んだ時期であろう。皆ほっとして教会でも讃美歌が明るく歌われ神への感謝が捧げられたのである。その讃美歌が聞えてくる窓に時計草が咲いていたのである。自粛が明けて皆がほっとした様子が佳く描かれている。残念ながらこの新型コロナウイルス禍は更にひどくなり、まだまだ長引きそうである。早く又明るい讃美歌が唱われる日が来ることを願っている。

   断崖に仏像あまた苔の花★植木 一好 

  この句は大分県の臼杵市の磨崖仏であろうかと思う。断崖に大小五十九体の仏が彫られている。その磨崖仏の近くに苔が生え梅雨の頃花のような胞子体、雄器托が生えているのである。その苔の花が、平安時代から室町時代にかけて彫られた歴史を持つ石仏を讃えるように咲いている様子が美しい。華麗な花でなく地味な苔の花が咲いているところに注目したところが佳い。

   纏足の老女の画像水中花★中村 光男  

  纏足とは唐の末から起り南宋の頃に中国で流行した風習である。女の子が四、五歳になった頃、足指に長い布帛を巻きつけ、親指以外の指が大きくならないようにするのである。清の時代に康熙帝が禁止したが効果がなかった。一九一二年中華民国になって初めて廃滅した。それまでは足の小さな女が美人とされていた。一九八一年私が初めて中国の蘇州に行った時纏足の老婆に会って驚いた。この句の面白さは、纏足の老女の絵のなよなよしている様子を見て、水中花と比べたところである。

   蟾蜍月に向かつて歩き出す★山田 和子  

  月に兎が住んでいるという話は日本や中国のみでなく、アジア各地にある。メキシコやアメリカの原住民の間にもある。ところが私は中国を旅して湖南省長沙市東郊の馬王堆からの出土品を見てびっくりした。この出土品の一つの帛画に、月にいるものとして兎と蟾蜍が一つの画面に描かれていたのである。馬王堆とは前漢時代の墳墓で、長沙国の丞相軑侯(たいこう)の利蒼と妻子の墓である。利蒼の在位は前一九三から一八六という。そこで私も蟾蜍が月へ帰りたがっているという俳句を作ってきた。この和子さんの句もまさにそのような光景を詠っているので驚いた。もしそれが想像だったとすればこれまた素晴らしい。蟾蜍を見ていると何となく月を懐かしがっているようではないか。

   障壁画のうみ群青や鑑真忌★前川美千代  

  障壁画とは襖絵や障子絵そして壁貼付絵などである。安土桃山時代から江戸初期にかけて豪華な作品が多い。障壁画に海が描かれ、その海の群青が見事なものがあったのである。それを見て美千代さんは西暦七五三年(天平勝宝5年)に来日してくれた鑑真を偲んだのである。丁度旧暦五月六日の鑑真忌のことであった、五月の海は障壁画のように群青で美しい。しかし一たん暴風になると海の荒れ方は物凄い。鑑真は日本へ渡航を企てること五回に及んだが果せず、やっと六度目に成功したという。しかも失明したにもかかわらず。障壁画の海の美しい群青を見つつ鑑真を偲んだところが佳い。

   ドロ様の手がけし畠花南瓜★森  幸子  

  マルク・マリー・ド・ロは一八四〇年三月二六日にフランスで生まれ、宣教師(司祭)として、一八六八年(慶応四)六月に来日した。長崎県西彼杵郡外海地方(現・長崎市外海地区)においてカトリックの布教活動を行い、同時に貧しい人たちを救けるため社会福祉活動に尽力した。日本でキリスト教の禁教撤廃が行われた一八七三年の直前から、一九一四年(大正三)に死去する迄日本に留まった。遺体は出津の小高い丘陵にある共同墓地に埋葬された。そのドロ様が開拓した畠に南瓜の花が咲いているのである。その花を見ながらドロ様の功績を偲んでいるところが佳い。

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