十人十色2021年3月

    冬の鵙この世に黙示置きにけり★堀場美知子  

  今更ながら、有馬先生の偉大さと天為会員一人一人に対する慈愛を、感謝の思いと共に嚙みしめるばかりである。先生が最後の句集となった『黙示』をこの世に残し旅立たれたことを、冬の鵙の悲痛な鳴き声と響き合わせて追悼の思いを込めた。空に向かって打ち付けるような哀しみがある。
  黙示ということの意味は多様であり、時代とともに多くの黙示的文学が形成されてきた。それは神と人間の在り方を世界と宇宙の未来に関連付けて、秘奥の真実を示唆するものである。
  俳句という短詩型文学は、その短さゆえに「黙示」たりうると、先生が渾身の作品で示されたのである。

   流れ行く物にも雪の積りゐき★藤域  元 

  流れゆくと言えば、虚子の大根の句が有名である。虚子の句は、目の前を過ぎてゆく大根の葉に集中することで、速さという「時間」面を表現している。
  この作品は、いわゆる「客観写生」の方法による作品ではない。「流れ行く物」とはすべての物である。水も人も時間も流れて行く。流れる水に降る雪は、水が氷らない限り消えてゆくはずだが、ここでは、降る雪は容赦なくすべての物を白く覆いつくす。逃れようとしても逃れることのできない自然の摂理。芭蕉が造化と呼んだものをおおらかに詠んでいる。「積りをり」と言いがちなところを、「ゐき」という表現が、現実をシャープに切り取っている。

   谿紅葉久米仙人が覗き見す★市川 雄二  

  久米の仙人は今昔物語で描かれている。獲得した神通力を女人への愛欲により失って地上に墜ちたと思われたが、それは更なる大きな神通力を得るための試練のようなものであったとされる。久米仙人の伝説が残る奈良県橿原市の久米寺は、空海が真言密教の根本法典である大日経を見出したとされる寺である。その空海も理趣経を重視するように、女性への愛の持つ大いなる力を認めている。再度神通力を得た久米仙人は、谿紅葉を前に、女性のふくらはぎではなく、世界を紅葉させる愛の力にひそかに心動かされたのであろうか。時空を超えた、洒落た発想で紅葉の美しさを捉えている。

   路地路地の冬木のねむり足らざるよ★山田 一政  

  街路樹が葉を落とし、あるいは剪定され、街並みが冬の趣を深めている。そのような中で冬木は春に備えて、力を蓄えている。ロジロジという音のつながりが特別の効果を出している。路地路地の冬木とは場所を表すだけでなく、なんとなくうっすらと目の覚めているような、不思議な状態の冬木たちをイメージさせる。春の到来とその時の萌えあがる力に備えて、もっと深く眠っていたいという思いだろうか。
  地球規模で進む気候変化の要因としてはいろいろあるが、人間活動もその一つとされる。妨げられる冬木のねむりにそうしたことを考えさせる。

   木星と土星寄りたる青邨忌★渋谷マサ子 

  昨年の十二月中旬から下旬にかけて、巨大な木星と巨大な土星が大接近した。約四百年ぶりの出来事であったという。私も夕刻の南西の空を見上げると、細い月のそばに大小二つの天体が仲良く並んでいるのが肉眼でも観察でき、とても感動した。青邨先生が亡くなられたのが十二月十五日であった。朗人先生が急逝されたのが十二月六日。今年、木星と土星が運命のように接近したことは、あたかも朗人、青邨が天空で引き寄せられたことを象徴しているかのようである。巨大な惑星が宇宙の法理に従う如く、青邨、朗人という師弟も巨大な造化の法理の天為に従って召されたのである。

   流れ星名張の山の闇に雪★妹尾 茂喜  

  三重県名張市は赤目四十八滝がある渓谷が名高く、役行者が修行をしたところとして有名である。伊賀の忍者達もそこで秘術を習得すべく修練した。
  闇に生きる忍びや、闇の中で神通力を磨く行者にとって名張の闇は格別の物であっただろう。闇の重さが伝わってくるような句である。月光もなく真の暗さの山の闇に、霏々と降り始める雪。黒と白の心象世界。その闇で心を研ぎ澄ませている者たちの瞳に、流星が短い光の尾を曳いて消える景が浮かび上がってくる。流れ星は秋の季語に分類されているが、冬の夜空にも起こることなので問題はない。

   巫女舞ひの鈴の音凜と霜を呼ぶ★藤江  尭 

  巫女舞の原型は、シャーマニズムとして、舞うことにより、神が下りてくる点にある。卑弥呼なども巫女であったという説もあるが、巫女が舞う動線、スピードなどによりトランス状態を作り上げるのだという。巫女が依り代となるために、採物の一つとして鈴が用いられることがある。そのような状態で鳴らされる鈴の音には特別の力が生じて、非日常的な空間を作り出す。この作品においては、鈴が凜として鳴って霜を呼ぶのだという。霜は厳しい冬の訪れを告げ、農作物の被害も出るおそれもある。この世を浄めるような鈴の音が、自然の中で生きる気構えを伝えているかのようである。

   毛糸玉朝の陽差しの重さほど★嶋田 香里  

  有馬朗人の名句「妻告ぐる胎児は白桃程の重さ」を思い起こさせる。毛糸玉のふわふわした重みが「朝の陽差し」ほどだという喩えが詩的な発見である。ステイホームによって手芸人気が復活しているが、私が子供の頃まではセーターも既製品ではなく、すべて手作りだった。近所に編んでくれる店もあった。編み針を一心に動かしていると時間が経つのを忘れてしまう。いつのまにか夜も更けて、寝不足になったりすることも楽しい。昨日の続きを待ち、朝のあたたかい陽だまりに置いてある毛糸玉。朗人句と同じように、秤では決して測れないしあわせの重さである。

   コロナ無き天球を行く寒星よ★羽奈鳥すすき  

  角川「俳句」一月号にて「コロナ禍で俳句は変わったか」という議論がされていた。片山由美子さんは全く変わっていないと言い、対して鴇田智哉さんは、心が影響を受けて俳句が作れなくなった、そして「自分のあり方」を再認識したと述べた。どういう立場であろうと、様々に自分の内面と向き合うことを余儀なくされている。羽奈鳥さんはストックホルム在住。地にはびこる見えないウィルスも天球には届かないはず。北欧の地にあって、母国日本を思いながら、コロナ感染が終息することを祈る思いで見上げる寒星は、煌々と人類の道しるべとなって国境なき天空に輝いている。

   掃除機のなかも冷たき今朝の縁★秋谷 美春  

  夜気に冷え込んだ朝の縁側を面白く詠んでいる。三十代の作者だけに、それが掃除機の中も冷たいほどであるという把握が現代的である。
  掃除機の中には汚いゴミがたまるだけのはずだが、機械にも体温があるような、さらには生き物として熱いはらわたがあるような、不思議な感覚が伝わってくる。さらに「縁」という言葉も考えさせる。写生的スタンスで縁側と解釈したが、これを「人の縁」と抽象的に捉えるとさらにシュールな句になる。人と人との親しい接触を制限されている世にあって、大切な「縁」も掃除機に冷たく吸われているのだ。

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