十人十色2021年5月

     野鳥来て喉を潤す垂氷かな★鈴木れい子 

  作者は、北海道小樽の人、二月といえば、まだ真冬。雪が降り、積っている。しかし、晴れた暖かい日には、雪も融け出し、雫となって軒先から垂れている。氷柱の先から垂れていることもある。垂氷とは、氷柱のこと。この句では、その氷が融けだしていると読みたい。その、したたり落ちる水に、小鳥が、水を飲むために集まってくる。鳴き声や羽音や、軒先にうつる影などで、それと分かる。北海道の冬の鳥といえば、ワシタカ類やタンチョウや水鳥も越冬している。この句は、おそらく小鳥であろう。ケラツツキの仲間や、セキレイ、ヤマガラなどは、北海道でも越冬する。これらの小鳥であろう。よく観察を続けていないと、出来ない句である。

   風に芯たぎるを待ちていかのぼり★吉田 桃子  

  凧揚げは、子供のころ、よくやった。六十年近く前は、電線も高圧鉄塔も少なく、ちょっとした空き地があれば、凧揚げができた。五月の連休の浜松の凧揚げ、埼玉県春日部市の宝珠花の凧揚げなど有名であるが、このごろは電線で空が狭く、海岸や河原でないと、出来なくなった。凧揚げは、まず空に飛ばすのが難しい。糸を持つ人は走り、折り合いを見て凧を持った人が、手を離す。風が弱い時は、なかなか上がらない。風を待たねばならない。その風の具合を、作者は「風に芯たぎる」と表現した。なるほど、風に「芯」があって、それが、湯のように「たぎる」のである。巧い表現だと思う。「海光や浦曲(うらわ・うらみ)の風に若布ゆれ」も巧い。

   麗らかや琴の奏づるビートルズ★中澤マリ子  

  昔、パイプオルガンに座らせられて、何か弾け、といわれたことがある。私は、箏曲「六段」を弾いてみた。こちらは、琴でビートルズの曲を弾いたという。「ラヴ・ミー・ドウ」「イエスタデイ」「抱きしめたい」「ヘイ・ジュード」「イエロー・サブマリン」など名曲揃いだが私は、「アンド・アイ・ラブ・ハー」を聞いてみたい。ビートルズは、デビューしたての頃は、不良の聞く音楽などとも言われたが、もはや、すべての曲が古典になっている。箏曲として聞くのも良いだろう。季語の「麗らか」がよく効いている句である。

   水温む動きそめたるビオトープ★藤江  尭  

  公園や校庭に、野生の動物や魚などが共存共生できるように作った場所が、ビオトープ、である。単なる園、単なる池だけではなく、小さいが園池の揃った庭である。春になって、野山や川が春めいて来た。そのなかで、ビオトープも、命が生まれ動き出したというのである。カエルの卵があり、メダカがいたり、クモが出て来たりするのだろう。ビオトープという新しい物を、うまく取り込んだ句である。

   ライナスの毛布のやうに春ショール★久田美智子  

  ライナスとは、アメリカの、チャールズ・シュルツ作の新聞漫画「ピーナッツ」に出てくる少年である。ピーナッツは知らなくても、チャーリー・ブラウンや、犬のスヌーピーと言えば、聞いたことのある人も多いだろう。ライナスは、頭の良い少年だが、少し不安症気味で、自分の好みの毛布(心理学的には、セキュリティ・ブランケット=安心毛布と言う)を持ち歩いていないと、不安になる。これが「ライナスの毛布」である。作者は、ショールが、それで、いつも首にまいていないと、何か不安で気になるのである。

   姥の手にミトン何度も三歳児★望月 美住  

  おばあちゃんと三歳の孫との光景である。おばあちゃんの手が寒いだろうと、三歳の孫が、ミトンをはめてくれる。ずれると何度も直してくれるのか、家事のため脱いで素手にした手に、「おばあちゃん、寒いでしょ」と、また、はめてくれるのか。お母さんの言いつけを、おばあちゃんにも守らせようとするのかもしれない。孫の俳句は、じじばばからすると、可愛すぎて、甘い句になるものが多いが、この句は、自分と孫の関係を、客観的に見ているところがよい。

   阿麻和利の飛躍の城址冬菫★村雨  遊  

  アマワリとは、中世(十五世紀)沖縄の按司(あじ・あんじ)の名である。按司とは、琉球の地方的豪族のことで、阿麻和利は、首里の尚王家の王位をねらい、近世の琉球の正史では、悪臣・逆賊と評価されて来た。近年の外間守善氏ほかの、「おもろさうし」(沖縄の叙事的古謡である)の研究により、畏敬すべき存在と、評価が変わってきた。この句の城は、その拠点であった勝連城跡だろうか。うるま市にある世界遺産である。その城(グスク)は、ほろびて、冬すみれが咲きはじめている。

   墓文字の忠孝仁義麦を踏む★堀場 信久  

  日露戦争から第二次世界大戦(太平洋戦争)にかけて、戦死者は、その故郷で手厚く葬られた。房州に行くと、戦死者の墓は、ひときわ大きく、(場合によっては)自然石で作られている。私の近所には、墓のほかにも、日露戦争で亡くなった人の忠魂碑が家の庭にある。それら戦死者の戒名を見ると、「忠孝仁義」のいずれかの文字の入る人が多い、というのである。私の周囲でも、戊辰戦争で亡くなった曽祖父の弟が、義光居士、太平洋戦争から帰ったが、身体をこわしたまま亡くなった母の兄が、義順居士、という。戦没者のみならず、公務中の死者もそうであろう。「麦を踏む」も効いている。

   人と距離隔てても買ふ桜餅★安藤小夜子  
  コロナ禍による、ソーシャル・ディスタンスの維持が言われ続けて久しい。スーパーマーケットにゆくと、足元に足型が描かれている。有名な桜餅屋であろうか、桜餅を買うのにも、前の人と間をとって並んでいる。現在の風景をうまく詠んだ。向島・長命寺門前の桜餅であろうか。私も昔、訪ねたが、午前中には売り切れてしまう。仕方なく、言問団子を買って帰る。

   探梅の果ては小さき獣道★竹田 正明  

  探梅は、優雅な冬の季語である。公園などでもよいが、道から山や森に入って、野梅を探すのに風情がある。上を向いて、梅の花を探しあぐねている。ふと、足元を見ると、草がしげり、地面はほとんど見えない獣道にまぎれ込んでいた。山口青邨に、「梅一輪山を圧して咲けりけり」という句があるが、これは実は、十二月二十五日、鎌倉での句会での作である。「気嵐の奥に波音船の音」もよい句である。

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  俳句は、入門しやすい(始めやすい)が、なかなか奥が深い。夏井いつき氏の俳句入門番組が視聴率を得ているが、短歌だとそうはいかない。しかし、俳句は、十七音という短い形式のため、初心者でも、一句名作を得ることができる。われわれ選者は、その一句を見落さないように、つねに心がけている。作者が、その自身の一句の良さが分かれば、同じような名作を作れる。ところが、これには時間がかかる。早く上達する人もいれば、そうでない人もいる。一旦自分の風(ふう)、文体が確立できれば、なかなか崩れることはない。だからわれわれ選者や、先輩の言葉を信じて、投句を続けてほしい。長く続けることは大事なことである。私自身も、十一歳から俳句をはじめているが、自分の文体に開眼したのは、「天為」に参画して二年目、平成三年三十八歳のときである。

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