十人十色2021年8月 日原 傳選
貝塚に北の潮風花うばら★渋谷マサ子
作者は北海道にお住まい。どこの貝塚を訪ねられたのであろうか。北海道にもいろいろな貝塚がある。「北海道・北東北の縄文遺跡群」が今年の七月に文化遺産として世界遺産に登録される見込みであるというニュースが先ごろ報道された。北黄金貝塚(伊達市)、高砂貝塚・入江貝塚(ともに洞爺湖町)はそれぞれその縄文遺跡群を構成する遺跡に数えられている。また、オホーツク文化の代表的遺跡としてオホーツク海に面する最寄(もよろ)貝塚(網走市)、常呂(ところ)貝塚(北見市)なども知られている。
掲句は「北の潮風」という措辞が眼目。茨の花の咲く夏。こころよい潮風を受けながらも、すでに秋の気配がその背後に迫っていることを感じているのかもしれない。縄文時代の人々が対峙した厳しい冬のことにも思いは及んでゆく。「北の潮風」という表現のなかの「北」という字の働きであろう。
濃山吹天地に色のもどりけり★片平 奈美
山吹は晩春の花。日本原産のバラ科の落葉低木で、山野渓谷に自生する。色彩の乏しい冬が終わり、野山にはいろいろな花の咲き満ちる春がやってくる。そのなかにあっても山吹の鮮やかな黄色は真っ先に目に飛び込んでくる。「天地に色のもどりけり」という作者の断定を納得させるだけの色彩の強さが山吹の花にはある。
あはうみの権座の田植始まりぬ★土井 妙子
「権座(ごんざ)」は琵琶湖の内湖である「西の湖」に浮かぶ島状の田んぼの呼称という。近江八幡市白王町にある舟でしか行くことのできない田んぼ。かつて琵琶湖沿岸にはこのような田んぼはいくつもあり、田舟で渡る光景は日常的に見られたようだ。しかし、戦後に琵琶湖の干拓が進んで、同様の田んぼはみな地続きになってしまったという。現在、権座の田畑では、米や大豆、さつまいもを作っているという。掲句は当地での田植えに焦点を当てた。周囲を湖水に囲まれた田に水を張っての田植えは、さぞかし光に満ちあふれたものであろう。「権座」という呼称は字面も音の響きも面白く、一句の中にしっかり坐っている。
新緑の細道のぼる法螺の列★肥沼 孝明
法螺貝を携えた山伏の集団が修行のために山道を登ってゆくのであろう。山岳での修行によって超自然的な力を獲得し、その力を用いて呪術宗教的な活動を行なうことを旨とする修験道。修行の地としては吉野、熊野、白山、羽黒山、彦山などが知られている。新緑が左右から覆いかぶさる細い山道を一気に登ってゆく白装束の一団。映発する色彩の鮮やかさが目に浮かんでくる。
唐寺の渡来の鐘や隠元忌★山本 芳江
作者は長崎にお住まい。長崎は中国との関係が深く、江戸時代初期に華僑の手によって興福寺、福済寺、崇福寺といった唐寺が建てられている。隠元(一五九二~一六七三)は明末清初の禅宗の僧。中国福州の生まれ。興福寺の逸然の召請により、承応三年(一六五四)に弟子二十余人とともに渡来して興福寺に入った。のち崇福寺に移り、ついで摂津の普門寺に移る。後水尾天皇および四代将軍徳川家綱に拝謁。宇治に黄檗山萬福寺を開いた。日本黄檗宗の開祖とされる。亡くなったのは寛文十三年四月三日。
掲句は、その隠元忌に際し、海を渡ってもたらされた唐寺の鐘に思いを寄せた作。隠元にも、唐寺を建てた華僑たちにも、また渡来した鐘にもそれぞれ渡来をめぐる物語があることであろう。「天為」七月号掲載の石尾眞智子さんの報告「有馬朗人先生を偲ぶ会」に拠ると掲句の唐寺は興福寺を指すようだ。鐘は福州の萬福寺から贈られたものらしい。興福寺には朗人先生の「長崎の坂動きだす三日かな」の句碑が立つ。
郭公の声に一日の力湧く★藤本カヅエ
郭公はホトトギス目ホトトギス科の鳥。他の種の鳥の巣に托卵し、雛を育てさせることはよく知られている。古名は閑古鳥。芭蕉に「憂き我をさびしがらせよ閑古鳥」、蕪村に「飯櫃の底たたく音やかんこ鳥」、白雄に「なけば啼くふたつの山のかんこ鳥」の句がある。堀信夫監修『袖珍版芭蕉全句』(小学館)は先に挙げた芭蕉の句を「郭公よ、鬱屈した辛い思いをかこっているこの私を、おまえのその寂しい鳴き声で、どうか心安らかな気持ちに落ち着かせておくれ」と読み解いている。作者も郭公の声が好きなのであろう。朝方、郭公の声を聞くと一日の活力が湧いてくるというのである。郭公の声を自分の力の源と捉えているところが面白い。
名を知ればどれも親しき新樹かな★久根口美智子
いろいろな種類の樹木が生えている初夏の森に分け入り、その道の先達に木の名前を教えてもらっているのであろうか。あるいは木の名前がそれぞれの木に掛かっている植物園のなかを散策しているのかもしれない。一本一本の木の名前を確かめながら歩をすすめる。ゆったりと流れる時間のなかで、新樹との出会いを楽しむ心が伝わってくる作。「しれば」「したしき」「しんじゅ」と畳みかける「し」音の響き合いのよろしさもある。
ひとときの雨のしたたる新樹かな★山口眞登美
ひとしきり雨が降り、その雨が止んだ後の新樹のさまを詠んだ句であろう。新しい緑の葉で覆われた樹下は雨宿りできるような空間になっており、地面はほとんど濡れていない。幹からある程度離れたところの地面には、新樹に溜まった雨が、雨が上がったあとも枝や葉を伝い、しずくとなってしたたっている。そんな情景を思い浮かべた。雨上がりの新樹のすがすがしい姿が想像されてくる。
壁にある喜劇の仮面夏近し★フィリップ・ケネディ
壁に仮面が掛けられている。それは喜劇の仮面だという。どのような仮面なのかは読み手の想像に任されている。大きな口を開いているのであろうか。ものを言うような大きな目をしているのであろうか。あるいは、長い舌を垂らしているのかもしれない。仮面は日常世界への非日常的存在の闖入(ちんにゅう)といった性質をもつ。下五に「夏近し」という季語が置かれたことにより、当の仮面の活躍する喜劇がこれから始まるような幻想に導かれる。人々の活動が盛んになる夏。「夏近し」にはその夏の到来を積極的に待つ心がある。
太白の瞬く方へ植田風★竹田 正明
「太白」は金星の別称。金星には他に「啓明」「長庚」という別称もある。掲句の太白は宵の明星をいうのであろう。日没後の西の空の低い位置に瞬く宵の明星。植えたばかりの小さな苗に吹き寄せる風。その風は瞬く太白の方向に向かって吹いているというのである。田植えを終えた農家の人たちは、その風を受けつつ、安<GAIJIno="02018"/>の心をもって風になびく苗や太白を見やることであろう。田園の光景を描いたやすらぎの感じられる作に仕上がっている。
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