十人十色2021年9月 大屋 達治選

   あめんぼの寸鉄の脚水を蹴る★竹田 正明  

  あめんぼはアメンボ科の昆虫。黒茶色の胴体で細長く、腹部には毛が密生し濡れないようになっている。水馬、とも書く。三対の足で水に浮き、水面をすいすいと滑るように移動する。作者は、その脚を「寸鉄」とみた。寸鉄とは、小刀のような、きわめて小さい刃物のことだが、また、転じて「短くて、深い意味を含んだ言葉」「警句」の意味もある。あめんぼは、その短い凶器のような脚で、水の上を滑るとともに、人の世に警鐘を鳴らしながら生きているようにも思えるのである。


   銭洗ふ銅掘り跡の小さき滝★井上知佐子  

  西暦七〇八年、武蔵国秩父郡から、天然の純銅(和銅)が、わが国ではじめて産出された(それにより、年号が慶雲から和銅に改元された)。その秩父の山奥に、銅を掘った跡が残り、その和銅で造られた硬貨「和同開珎(わどうかいちん)」の大きなレプリカが建っている。渓谷で小さな滝があり、そこでは人々が銭を洗っている。鎌倉市佐助に、通称「銭洗弁天」の「銭洗弁財天宇賀福神社」があり、境内の洞窟には水が湧き、そこで所持する金銭を洗うと、金運に恵まれるというのだが、同じことが和銅遺跡の小さな滝でも行なわれているようである。

   きらら虫千夜一夜に住まふらし★秋谷 美春 

  きらら虫とは、書籍の紙を食べるシミ(紙魚)のこと。シミ科の昆虫である。古今東西、いろいろな本を食害してきた。このきらら虫は、「千夜一夜」を食べているという。「千夜一夜」とは、いわゆる「アラビアン・ナイト」のこと。古代ペルシャの王シャフリヤールは、妻に不貞をされてから、毎日、女を連れて来させ、一夜を共にしたあと、女を殺させた。大臣の娘シェヘラザード(シャハラザード)は夜伽のときに王に、世にも不思議な話をし、夜明けに、この続きはまた明晩、と告げて、三年近くが過ぎた。この間、シェヘラザードは、王の子を宿し、王の怒りも解け、女たちを殺すこともなくなった、という話である。シェヘラザードの語る物語は、およそ百八十あり、それが千一話に分けられている。「アリババと四十人の盗賊」「アラジンと魔法のランプ」などの物語も入っている。岩波文庫版は全十三巻で、フランスのマルドリュスの仏訳本から訳されている。日本では、その他、アラビア語からの原典訳が進んでいるが、この句の古びた「千夜一夜」は、イギリスのバートンの英訳版から日本語に訳されたものであろうか。紙魚は、どの物語のどの部分を食べて、夢に浸っているのだろうか。英米では、たとえば「一〇〇一ヒットソングス」のように、この「一〇〇一」という数字は、物事をまとめるときによく用いられる。

   雲重く田植濁りの用水路★我妻千代子 

  田植の前には、一面の田んぼに、透明な水が張られ、一家親族、手伝いの人総出で田を植える。いまは田植機などがあるが、昔は、一日から、場合によっては数日かかった。農村最大の行事である。だいたい四月末から六月のはじめごろ、曇り日のことも多い。大勢の人が入ったあとの水田は、人々が動いたせいで水が濁る。その濁り水は、排水が流れてゆく用水路にまで及んでいる。雲の低い空をうつした、濁り水の流れてゆく用水路である。よく観察してある句である。

   夏の川越ゆしんがりは若き父★木村 史子

  現在の情景か、それとも、子供のころを懐古した句か。どうも、昔を思い出されて作られた句のように思う。水遊びか、あるいは近道なのか、浅い川を、履物を脱いでじゃぶじゃぶと渡る。最初は子供たち、そして母親。父親は、何かないかと見守りながら、一番最後に川を渡ってゆく。頼もしい父。そんな光景が見えてくる。

   竹落葉蔵に手漉きの通ひ帳★枝松 洋子  

  昔、手元に、戦前の住友銀行灘支店の祖母の通帳があった。今のようにATMの機械印字ではなく、出し入れのたびに、インクで収支が手書きで書かれ、各行末に行員の判が押してあった。表紙裏の説明に、「このかよひちやうは」と、総ルビで書かれていた。いまは「ツウチョウ」と呼ぶが、昔は、「かよひちやう」と呼んでいたのだ。「通ひ帳」とは、そういうものである。作者のご実家だろうか、大きな商売をやられていたのであろう。ツケで買って行かれる客には、必ず「通ひ帳」に記入し、月末か年末か半季ごとに締める。その古い通い帳は、手漉きの和紙で蔵に眠っている。蔵のまわりは竹が植えられ、竹の葉の散る季節である。

   隅つこは孫にあてがふ梅筵★岡部 久子 

  むしろを広げて、赤く染まった梅を干している。むしろは、子供には珍しく、おままごとなどをしたがったりするので、その梅むしろの隅を空けて、梅を置かないで、孫の遊び場にしている。孫も心得たもので、梅にはさわらない。山口青邨が、<祖母山も傾山も夕立かな>を作ったとき、視察先の大分県の尾平鉱山からの帰り、足場が悪いので、馬で下った。その途中、尾根にむしろを上げ、梅を干す村を通っていた。

   理髪店の真白き壁は薔薇のため★永野 裕子 

  あまり黒塗り黒壁の理髪店というのは聞かない。清潔を旨とする職種だから、壁や内装は、白か黄色などの明るい色が基調なのだろう。青赤白のらせん状の電飾看板が回っている。たまたま角の店なのか、壁面の白が目立っているが、そこに薔薇を植えてある。蔓薔薇であろう。逆に、薔薇のために、壁を白く塗っているように思える。関東では床屋というが、関西では散髪屋という。今は美容院にゆく男性も多い。

   青大将目を合はさずに逸らさずに★榑林 匠子

  アオダイショウに遭遇した。ヘビは、どうして分かるのか人間の目の位置が分かる(鳥類もそうである)。見つけて、目が合うと、ヘビは動かない、あるいは恐怖で動けないのかもしれない。じっとヘビを見つめて、ふと目をそらすと、その瞬間ヘビは逃げる。この青大将は、まだ作者に気づいていないのだろう。こちらは、ヘビに目を合わさないように、しかし、床下に入り込まれても嫌だから、目を逸らさずにいるのである。私の家は舌状台地の上だが、時々ジムグリが来る。

   薫風やセイルドリルの白い船★西田 青沙 

  セイルドリルとは、航海訓練である。白い船というから、航海訓練所に属する日本丸や海王丸のような帆船練習船であろうか。それなら総帆展帆のときなど、海上では、大変な訓練となる。あるいは小さなヨットかもしれない。青沙さんは船舶関係の方であろうか。句にボースン(甲板長)や、明治初期の御雇外国人の治水技師デ・レーケの名も出てくる。ちなみに、初代日本丸は、横浜市みなとみらいに、初代海王丸は、富山県射水市新湊に保存されている。


◇     ◇     ◇