3月26日(月)晴天 [吟行地] 築地本願寺、築地場内・場外市場、波除神社 佐藤博子 文責
☆日原傳先生をお迎えして☆
参加者 :相沢恵美子・荒木那智子・鈴木楓・染葉三枝子・髙橋紀美子・中村光男・永井玲子・西脇はま子・原道代・松山芳彦・室明
スタッフ:佐藤律子・佐藤博子 (五十音順)
句会 :投句・・5句 選句・・5句
第四回オフ句会は遠く仙台、高松、浜松からの参加者を含め十三名で、満開の桜の中、築地本願寺、見納めの築地市場、そして予想以上の外国人観光客に揉まれながら波除稲荷神社を巡りました。
日原傳先生とご一緒に昼食を済ませ、句会では先生のご選句と丁寧な選評を頂きました。参加者一同オフ句会の雰囲気にもすっかり慣れ和やかなひと時を過ごし次回の吟行会を楽しみにお別れいたしました。
(室 明 記) |
波除神社6月「つきじ獅子祭り」は、本年は三年に一度の本祭りとなり、天皇陛下御即位三十年奉祝大祭として盛大に執り行われるそうです。
平成30年度 波除稲荷神社 夏越し大祭『つきじ獅子祭』
http://www.namiyoke.or.jp/img/shishimaturitokusetsu/30saireinittei.pdf
吟行地はどこも観光客であふれ、迷い子になりそうでしたが、要所毎に全員集まるまで御心遣い下さった皆様のお陰で楽しく終える事が出来ました。有り難うございました。
日原 傳 作品 昨日今日開ききつたるチューリップ 舞ひたてる鳩の影濃き花の昼 一輪車追ふ三輪車花明り |
相沢恵美子 |
永井玲子 早掘りのたけのこ箱で売られけり 築地市場出でてアサリのスパゲッティ |
||
荒木那智子 春暑し市場の匂ひ抜け稲荷 春惜しむ市場の中の骨董屋 |
中村光男 風光る翼(よく)持つ獅子はアジアなり 春の蠅お歯黒獅子の鼻の穴 |
||
佐藤博子 桜東風迦楼羅は羽を展げをり 対に置く波除神社の桜の鉢 |
西脇はま子 はこべらや九條武子の歌碑何処 如月の袋の中の吹矢かな |
||
佐藤律子 桜東風動けぬ獅子の頬撫づる 花楓宝珠咥ふる石狐かな |
原 道代 築地市場のにぎり鮨飴百千鳥 魚河岸にターレ行き交ふ春のこゑ |
||
鈴木 楓 大寺の柱に四神春深し 春日受く波除神社千木高し |
松山芳彦 親鸞の築地御坊の土佐みずき 稲荷堂お歯黒獅子の名残り雛 |
||
染葉三枝子 竹の子を売る火事跡の仮店舗 風光る築地の獅子へ願い串 |
室 明 初花は京の苞なる和菓子かな 花影のゆかしく包む玉子塚 |
||
高橋紀美子 若狭ぐち運ぶターレや春疾風 桜東風鮨塚海老塚玉子塚 |
以上 |
江戸・浅草御堂
築地御坊
そこで佃島の門徒が中心になり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築きました。それが「築地」という地名の由来となっています。
再建されたのは1679(延宝7)年、「築地御坊」と呼ばれるようになりました。
このときの本堂の正面は西南(築地市場方向)に向いて建てられ、大きな屋根は江戸湊(みなと)に入る目印にもなっていたようです。現在もにぎわう場外市場のあたりは寺内町でした。
本願寺築地別院
しかしその後、1923(大正12)年、関東大震災にともなう火災により再び本堂を焼失しました。現在の本堂は1934(昭和9)年に再建されたもので、
設計は東京帝国大学名誉教授で建築史家の伊東忠太博士によるものです。インドの古代仏教建築を模した外観を特徴としながらも、内部は伝統的な真宗寺院の造りとなっています。
2011(平成23)年、本堂および大谷石(おおやいし)を積み上げた外周の塀が国の登録有形文化財に登録されました。
築地本願寺
2012(平成24)年、正式名称が、それまでの「本願寺築地別院」から、「築地本願寺」と改められました。
2014(平成26)年、本堂・石塀・三門門柱(正門・北門・南門)が国の重要文化財に指定されました。
今から350年程前、この築地一帯は一面の海であった。
江戸開府(1603)時の慶長江戸絵図には、今の日比谷のお堀の辺りまで汐入を描き、八重洲の海岸に船の役所が見える。
開府前より始まった江戸城西丸の増築に掘られた、お堀の揚げ土を以って日比谷入江から埋め始められた江戸東南海面埋立は、その後全国の諸侯七十家に千石に一人の人夫を出させ、後にはその埋立の役員の名をとり、尾張町、加賀町等と名附けられた。
70年の後、明暦の大火の後に4代将軍家綱公が手がけた最後の築地海面の埋立工事は困難を極め、堤防を築いても築いても激波にさらわれてしまった。
或夜の事、海面を光りを放って漂うものがあり、人々は不思議に思って船を出してみると、それは立派な稲荷大神の御神体でした。皆は畏れて、早速現在の地に社殿を作りお祀りして、盛大なお祭をしたとこと波風がピタリとおさまり、萬治2年(1659)工事はやすやすと進み埋立も終了した。
人々は、その御神徳のあらたかさに驚き、稲荷大神に 『波除』 の尊称を奉り、又雲を従える<龍>、風を従える<虎>、一声で万物を威伏させる<獅子>の巨大な頭が数体奉納され、これを担いで回ったのが祭礼 『つきじ獅子祭』 の始まりである。
それ以来今に至るまで、「災難を除き、波を乗り切る」 波除稲荷様として、災難除・厄除・商売繁盛・工事安全等の御神徳に崇敬が厚い。その御神徳はその後も益々大きく、当時辺境の地であった築地も次第々々に開け、現在の如く繁華街となったのである。
ホームへもどる | 句会報へもどる |