天為秀句選



 蒐玉抄 ― 朗人・推薦      (平成22年3月号)

 

   「天心集」より

  神遊びまづ一吹を峰々へ            永井由紀子

  高千穂の星降る夜の大根干           和久田隆子

  どんど焼村に廃れぬ祝ひ唄           阿部 静雄

  足軽の炉の一つある関所かな          飯島 芳村

  渤海使渡り来たるも雁の頃           福永 法弘

  残らざりし虫を思ひて鳴きゐるか        仙田 洋子

  降誕祭近し大きな石に座し           坂本 宮尾

  残菊や音を持たざる峡の雨           石川 克子

  首筋の隆々たるや寒鴉             日原  傳

  幕末という青春の霜柱             対馬 康子

  東山明けて晴れゆく冬至粥           天野 小石

  引き出しの知慧を小出しに十二月        津久井紀代

  百歳の母の数へる除夜の鐘           墳崎 行雄

  高舞ひて山に雪呼ぶ青鷹            沢  正矢

  太白を透かして冬木桜かな           沢  知子

  仮装してハローウインの夜の酒場        橋村 幸代

  小人を嫌ふ小人年の暮             大和田榮治

  江戸古地図かすれし辺あり遠き火事       深谷 義紀

   十三の城門ありて町師走                   母  育新

  さんざめく神々隔つ白障子           紅林 照代

  

 「天為集」より

             選評  − 有馬 朗人 −


  冬遍路海の碧さにも染まず           笹  零子

 遍路が冬の海岸を歩いている。土佐の室戸岬あたりであろうか。遍路であるから白装束であろう。海は碧々と広がっていて陸上のすべてもその色に染まるくらいである。しかし遍路の衣はあくまでも白く、海の碧さに染まらないのである。冬の遍路の清浄な姿が美しく描かれている。どことなく牧水の「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」に通じる抒情のある俳句である。
 なお「染まず」は四段活用の自動詞で「染む」の未然形「染ま」に否定の助動詞「ず」が接続したものである。そこで「染まず」で染まらないの意味であり、文法間違いではなく正しい語法であるので、一言附記しておく。



  甘蔗しぐれ雀逃げ込む榕樹かな         いなみ 悦

 甘蔗畑に秋雨が降ってくる。時雨のような感じなので甘蔗しぐれと呼んでいるらしい。沖縄らしい言葉であり季語である。沖縄には甘蔗畑が多いのでこのような季語が生まれたのである。甘蔗畑で餌を探したり、遊んでいた雀が、雨が降ってきたのであわてて榕樹の木陰に逃げ込んだところが面白い。榕樹はガジュマルである。この木は常緑で高い木である。幹は多くのものに分岐し気根を垂れる。それで大きく広がって繁茂する。だから雀のみならず人間も雨を除けるのに逃げ込めるくらいである。甘蔗しぐれといい榕樹といい、沖縄の風土をよく表している。このように沖縄の美しい自然や風習を詠んだ佳句がどんどん作られていくことを期待する。


  礼深く匣に戻しぬ神楽面            三根由紀子

 長崎の人々を中心に高千穂の神楽を見に行った。私もさそわれたが残念ながら、フランスのストラスブルクの会議に出席のため参加できなかった。この句はその高千穂の神楽での作品であろう。神楽の一夜が終わり、神楽面を丁寧に匣に戻したのである。その時深々と礼拝して面を匣にしまった姿に心を打たれたに違いない。
 一夜を掛けて舞った神楽も終わり、何年か先にまた神楽を舞うまで、神々の面を匣に戻す村人たちの真剣な面差しがこの句から浮かんでくる。神楽が終わったと、ほっとした気持ちも感じられる句である。


  年の瀬やこけつまろび九十路坂         畔柳  照

 畔柳照さんは九十五歳であるが矍鑠としておられ、瑞瑞しく元気の良い俳句をどんどん作っておられる。この句はその九十路坂を登るように年の瀬を迎えた姿が詠われている。その坂は決して楽に越せるものではない。まさに「こけつまろびつ」登って行くと言うものである。そう言いながら九十路坂の年の瀬を楽しそうに越えている姿が見えて来る。それは「こけつまろびつ」と戯れながら行く余裕が感じられるからである。もう一つ百路の坂もお元気で登って下さることを祈念する。この句で、年の瀬と九十路を組合せた所、そして軽口を打つように述べたところが佳い。


  首振つて子供歌舞伎や枇杷の花         蒲田 玉江

 富山県砺波市では子供歌舞伎が今も行われている。しかもこの子供歌舞伎は祭のとき山車の上で演じられる。昨年の十一月、私は蒲田美音さんの句誌「いわせの」の三十周年のお祝いで高岡へ行った。その時「いわせの」や「天為」の仲間たちと庄川峡を遊覧し、砺波の曳山会館で山車を見、子供歌舞伎の映像を見た。この映像を通じて、子供たちの練習振りや見事な演技に感心した。この玉江さんの句はその吟行会での作品である。子供が一所懸命首を振ると曳山の上の歌舞伎が大いに盛り上るのであった。会館の外へ出ると小春日和の光の中に枇杷がつつましく咲いていた。


  うまさうな煙出てゐる焚火かな         吉原 幸男

 二酸化炭素による地球温暖化の問題が注目されるようになって、焚火が禁止されたり、なるべく焚火をしないようにということで、近頃は都会では殆ど焚火が見られなくなった。それでも田園地帯では焚火をやっていることがあり懐しい。その焚火の煙がうまそうだというところがこの句の面白いところである。その焚火には薩摩芋が入れてあるのであろう。焼芋を待っているのであろう。しかしそれ以上に温かそうに、ゆっくり登る煙は、そう言われれば何となくうまそうに思える。自分の家の庭か、畑か、道路か、どこかは分らないが、うまそうに煙を出す焚火が、美しく懐かしく描かれている。


  胡同のものの匂や寒暮の灯           大辻 泥雪

 胡同(フートン)とは中国北方で、横町や小路のことである。特に北京の胡同がよく知られている。八百屋があり肉屋があり雑貨屋がある。住民たちが毎日をどんな風に暮しているかを見ることができる。そして四季の移り変りにより、生活が微妙に変化して行く姿を知ることができる。夕方はどこも夕食の準備で忙がしい。春や夏そして秋であれば、外で準備していたり、窓が開いていて何かやっていることがよく判る。しかし寒暮となれば窓も閉じられていて、焼いたり煮たりする匂がしてくるのみである。この句は寒暮の灯が人懐しさを感じさせてくれる。胡同の写生が成功している。


  シェークスピア生家灯ともす日短か       土佐 廣子

 シェークスピアの生家は、イギリスのストラットフォード・オン・エーボンにある。公園のような静かな街である。私も一九七三年に、オックスフォード大学で一夏研究生活を送って以来、三、四回訪ねた。廣子さんが行ったときは初冬であり、生家に夕刻早々と灯がともされたのである。そのとき日の短かさを一層強く感じたのである。ストラットフォードは、北緯五十度より北であるから、冬の日は札幌より更に短い。それで日短かという気持ちが特に強かったのである。オン・エーボンとはエーボン河に沿っていることを意味する。同じようにゲーテの生まれた町は、フランクフルト・アム・マインとマイン河に沿っている。


  笹子鳴く昔ながらの命名紙           大沼せつ子

 赤ん坊が生まれ、名前がきまると、半紙に名前を書き神棚などに貼ったものである。現在もこのような習慣が残っている。この句のように昔ながらの命名紙を部屋に貼ったときに、庭で笹子が鳴いたのである。冬の日の午後であろうか。明るく日が当っているような感じがする。部屋にも明るく日の光が差し込み、命名紙の力強く濃い墨で書いた名前を浮き上がらせている。この句から赤ん坊の生誕と命名を、一家で寿いでいる雰囲気がよく感じとれるし、昔ながらの仕来りを守るどっしりとした旧家のたたずまいが目に浮んで来る。


  夜神楽や酸味利きたるにごり酒         橋場 雅秋

 遠野の夜神楽であろうか。にごり酒から山深い村落での感じがする。夜神楽が進んで行くのを見ながら酒を飲んでいる。その酒もこの村落で昔風に醸したものであり、酸味が強い。或はこの神楽に登場する神々も酒を飲んでいるところかもしれない。山地の冬は厳しい。それも夜半の神楽である。にごり酒を飲んで体を温めているのである。それは夜神楽でよく見られる光景である。この句が優れているのは、その酒がにごり酒であったこと、それも酸味が利いたものであるという現実感があるところである。これが実地を体験して詠むことの強さである。