天為秀句選
蒐玉抄 ―朗人・推薦 (平成24年3月号)
「天心集」より
修羅を舞ふシテに夜雁の鳴き過ぐる 小畑 晴子
水鏡して媛神も還りけり 和久田隆子
野菊晴れ地震に耐へたる座禅窟 小島 左京
金柑の実の春節を待ちたわわ 西村我尼吾
凜として一木のあり青邨忌 津久井紀代
京劇のさはりを唱ふ氷湖かな 日原 傳
雪だるまの眼探しにゆく子かな 明隅 礼子
冬北斗漢の武帝の馳道かな 毋 育新
干柿のすだれ越しなる富士真白 下田 雪子
饅頭に塩味ほのと吉良忌かな 丸谷 三砂
狼の死して地の黙天の黙 天野 小石
木守柿たちまち深む山雨かな 石川 克子
老いてなほ無神論者の息白し 金村 眞吾
冬木の芽人間一人ずつ眠る 対馬 康子
黄落の第二の旅団つづきけり 岩波浩吉郎
極月の軒に真新な火伏札 鈴木すぐる
義士の日の落葉踏む音前うしろ 紅林 照代
絡みしも絡まれゐしも枯れにけり 西端 朝子
廃城に王家の裔の暦売 長岡剣太郎
自販機で星買へさうな霜夜かな 横島菜穂子
「天為集」より
選評 ― 有馬 朗人 ―
青春は冷めぬ闇汁二度食いて 大野 道夫
大野道夫さんは学生時代から短歌と俳句を熱心に作ってきた。私の研究室を使って始めた学生中心の本郷句会の初期から面白い作品を発表してきた。歌集は既に二冊上木し「心の花」の主要な作家として活躍している。社会学研究者としての教育と研究をしながら、その社会学的見地から短歌と俳句を比較分析した興味深い著書を出版して注目された。さてこの句は自由奔放に論じ合い、語り合った、そして時に闇汁を食べて謳歌した青春も何時か過ぎ去り、あの熱気も冷めてしまった。そして今はこの闇汁をゆっくり食べ、さめた後も二度も食べているのであると、現在の冷静な気持ちを詠っている。客観的に自己を見つめているところがよい。闇汁という言葉も自分の心の闇をのぞいているようで面白い。(現代仮名遣いを用いる作家である。)
能面の木箱へかへる時雨かな 生駒 大祐
能楽が演じられた後、用いられた能面に感謝しつつ静かに丁寧に、木箱へ納めようとしている光景である。いかにも能面が十分に舞った喜びを満面に浮かべながら、木箱に自分の意志で帰って行くような雰囲気が描かれている。能楽堂の外には静かに時雨が降っている。能面と言い、時雨と言い、日本の伝統的な美である。一方は人が生み出した文化的美、一方は日本の自然の持つ美である。その二つを結びつけ新鮮な美の世界を、若い作家生駒大祐君が生み出したところがよい。大祐君のような若い人が、このような伝統美を発見してくれたことを喜んでいる。騒騒しいことをもてはやす世の中で実に落着いた抒情があり格調の高い句である。
心経の風にのりゆく牡丹供養 沼宮内凌子
牡丹供養は本来、福島県須賀川市の牡丹園で毎年十一月の第三土曜日の夜行われるものである。枯れた牡丹の老木を供養の気持ち、感謝の気持ちで燃やすのである。最近は須賀川以外でも牡丹供養が行われるようになったらしい。この句は岩手県一関市で行われた牡丹供養の光景である。般若心経を読み上げ祈る中、牡丹の古木がゆっくり燃えて行くのである。牡丹の枯木が紫の煙を上げ、かすかな芳香が漂う中、心経を読む声が風にのり移って広がって行くのである。牡丹供養らしい静かな雰囲気が詠われているところがよいと思う。
秩父祭神の逢瀬へ雨上る 小林 久男
秩父神社では十二月一日から六日に例祭が行われる。特に三日の夜の祭はクライマックスである。笠鉾、屋台、神輿、連台、そして高張り提燈が、賑やかな秩父囃子を伴って御旅所へと曳き上げられる。その夜は知知夫彦命が女神との逢瀬を楽しむのである。その日はあいにく雨であった。男神女神の大切な夜なのにと、氏子達が気をもんでいると、宵から雨が止み始めて、御座所へ神輿が近づく頃には、すっかり雨も上ったのであった。そして寒さも少しやわらいだ感じになった。雨が止むと同時に秩父夜祭も、にぎわいが一層高まって行くのであった。氏子達の喜びの声が聞えてくるようである。
舟撫でてあの日を語る?被 藤田 貞雄
あの日と言えば、二〇一一年三月一一日の東日本大震災、大津波のことである。それは「舟撫でて」ではっきりする。大津波に遭っても残った舟、陸に押し上げられそこに残ったが、無事であった舟であろう。その舟を撫でながら大津波の被害を語るのである。冬も厳しい日頬被をしっかりして、あの恐ろしい大津波のことを語り合い、舟を撫でながら、御互いの無事を祝い合っているのである。頬被をしながら舟を撫でる姿に、その舟の持ち主の舟への愛情がしみじみと感じられるところが、この句のよさである。
金印に大蛇睦みて豊の秋 笠原 惠子
後漢の第一代の皇帝、光武帝が倭の奴国の王に与えたものと考えられる金印が、この句の金印であろう。そこには「漢委奴国王」と刻まれている。天明四(一七八四)に福岡県志賀島で発見され、現在は福岡市博物館に所蔵され国宝である。その金印に二匹の大蛇が彫られていていかにも睦み合っているようである。それを明るい秋の一日に惠子さんは見たのであろう。そして大蛇は神の使として祀られていることを思い、豊饒の秋を喜んだのである。金印の大蛇から豊の秋へ飛躍した着想が面白い。古代人の祈りが感じられる。
俎板に足跡残しかまど猫 燕 ?
かまど猫という古典的な季語を使うのはなかなか難しい。食べ物を料理し、常に清潔に大切にしている俎板の上を、かまどのそばで暖まって寝ていた猫が、どかどかと歩いて行ったのである。しっしっと追っ払ったが、猫は悠悠と歩き去ったどころか、竈の煤に汚れた足の跡を俎板に残して行ったのである。可愛いがっている猫のこと、しかることも出来ずに、苦笑いしながら見送っている飼主の顔が見えてくるようである。日本ではこのような光景を見ることは少くなったが、燕さんの故郷中国の西安近郊では見ることが出来るかもしれない。昔懐しいユーモアのある光景である。かまど猫が生き生きと描かれている。
闘志ひたにリハビリ室や冬温し 高橋ハツヱ
高橋ハツヱさんは九十歳である。しかし実に熱心に元気に俳句を作っておられる。病気にかかり今はリハビリ中なのであろう。リハビリ室で一所懸命体をもとへ戻そうと努力しておられるのである。闘志をしっかり持ってリハビリ室でがんばっている姿が頼もしい。冬の太陽もその健闘振りをたたえるように、リハビリ室に射し込んでくれる。冬も温いリハビリ室のこと、リハビリの運動も大いに楽しんでやれるのである。一病息災という言葉の通り、病を克服しリハビリに成功され、ハツヱさんが益々御元気に、長寿を楽しまれんことを祈っている。
飯粒を残さず喰ひて良寛忌 竹内 郁雄
御飯を食べられることはまことに有難い。戦中戦後の食料不足の時代を思うと、私も飯粒を一つも残さずに食べる。郁雄さんも同じ気持ちなのであろう。飯粒を一つも残さず食べ終えたこと、今日も御飯を食べることが出来たと感謝の思いにふけったとき、ふと今日は良寛忌であると気付いたのである。良寛は良家の生まれであったにもかかわらず、質素な生活を送り、子供たちを愛して、静かに仏に仕える日々を送ったと言う。きっと良寛も飯粒を大切に残さずに食べたであろうと思いながら、良寛忌を修したのである。良寛忌らしい気持ちがある。
高枝の鴉降りくる蕪村の忌 武藤スエ子
蕪村には鴉の名画がある。高い木の高い枝から鴉が勢いよく降りて来た。堂々とした鴉の顔を見てどこかで見たことがあるがと、考えたのである。そしてあの蕪村の絵の鴉の威風のある顔を思い出したのであった。蕪村の忌は旧暦十二月二十五日、新暦であれば寒中である。従って鴉も寒鴉、一層厳しい姿をしているに違いない。この句で鴉と蕪村の忌を結びつけたところが優れている。