十人十色2017年10月

 

   葛きりや海より碧き江戸切子★谷野 松枝 

日本でのガラス製作は、江戸初期長崎で始まった。江戸でガラス製作が盛んになるのは、かなりおそく天保年間(一八三一~一八四五)皆川久兵衛(加賀屋)と在原留三郎(上総屋)がカットグラス(江戸切子)を作り出してからである。江戸切子は無色か淡色であり、切込みがあざやかであるところが特長である。この句の江戸切子は碧色が海の色より濃いのである。その美しい江戸切子に、葛切りが置かれている。葛切りも透き通るような美しい食べもの。葛切りも、江戸切子の海のように碧い色に染まっている。江戸切子の上に置かれた葛切りの美しさが佳く描かれている。美しく涼しい句である。

   涼風や薩摩切子に海の色★村木 和子  

薩摩切子は江戸切子と同じく江戸時代末に発展した。切り子グラスは本来カットグラスと呼ばれ、表面に線条溝や凹面を刻んだり、文様を刻み込んである。起源はペルシアのアケメネス時代(西暦前五五〇~前三三〇)に遡る。薩摩切子では特に碧色を生かしたものが多い。桜島を臨んだ鹿児島湾(錦江湾)の美しい海の色が感じられる。そこに涼風が吹いて来るので、一層海の色が爽やかに見えてくる。明るく気持ちの佳い句である。

   花笠踊ひこ孫たちの揃ひぶり★津志田エヤ

花笠踊は毎年八月山形県で行われる花笠祭での踊である。エヤさんのひこ孫さんたちは山形に住んでおられるのであろう。そのひこ孫さんたちが揃って花笠踊に参加しているのである。皆花笠をかぶって一所懸命踊っている。そのすこやかなひこ孫さんたちの姿に、エヤさんが心から喜んでいる様子が目に浮んでくる。エヤさんは九十三歳でますます矍鑠としておられる。ひこ孫さんたちも、曽祖母さんに負けないように元気に踊っているのである。エヤさんますますお元気で佳い俳句をどんどんお作り下さい。

   古備前の太刀の乱刃錵涼し★阿部  旭  

錵は「にえ」と読む。焼きを入れたとき刃と地肌の境目に出る花形や雲形の模様をいう。古備前とは平安時代末期までの備前の刀工が作った刀を呼ぶ。日本刀は奈良時代以前に作られたものを上古刀、安土桃山時代以前のものを古刀、江戸時代中期までのものを新刀、その後のものを新新刀と呼んでいる。古備前は古刀に属する。古刀は鎬造(しのぎづくり)が主な彎刀である。鎬造りとは刃の幅を広く、縞の幅を狭く造ること、彎刀は文字通り刀身に反(そり)のある刀をいう。この句はその古備前の太刀が美しい様子を描き、特に錵が涼しいと詠ったところが佳い。

   芒原草書の如き風の径★佐藤 艶子  

一面に広がる芒原の上を秋風が吹いて行く。その秋風が芒を左右に分けて、何本かの径を描いているのである。その道が草書のように滑らかで美しいと表現したところが佳い。芒も花穂が開いて真っ白な尾花になっているのではないであろうか。その上に風が芒を分けて黒い色の径を描いているのである。芒原の白さと、風の径の美しさが目に浮んでくる。艶子さんは九十一歳で元気であり、このような瑞瑞しい感覚の句をお作りになられる。ますます御活躍下さい。

   水口に英彦山がらがら田草取る★松浦 泰子  

英彦(ひこ)山は福岡県と大分県にまたがる山である。天忍骨命を祀る英彦山神社がある。ここは修験者の道場であった。
   谺して山ほととぎすほしいまま★杉田 久女  
の名句は、この山で生れた。
この句はその英彦山の麓の光景である。麓には田畑が広がっている。その田へ水を引くため水口がある。そこに誰かが置き忘れた英彦山がらがらがころがっている。そのそばの田では田草取が行われている。このがらがらも田草取に来た人が田草取の休み時間に、がらがら鳴らして楽しんでいるのかもしれない。田草取とがらがらの組合せが面白い。

   水打つて挨拶増ゆる路地住まひ★佐々木ノリコ

路地住まいの人々はお互いに親切である。家の前を掃くとか水を打つ時、自分の家の前は勿論であるが、両隣の辺りまで丁寧に行う。それを見つけた近所の人は御礼もかねて挨拶を交わすのである。特に夏の暑い日は朝夕そして日中と水を打つ回数が増え、その度挨拶を交わすことが多くなるのである。そのような路地住まいの優しさが佳く描かれている。

  止め椀に青菜の香る鮎の鮓★迫田みえこ 

留椀(止め椀)は、会席料理の最後に御飯や香の物とともに出される吸物や煮物のことである。その止め椀に新鮮な青い野菜が出され、それが良く香るのであった。そしてその上鮎の鮓が添えられていたのである。夏の料理として最高な止め椀である。和食の美しさを佳く描いた句である。青菜で色彩を示し見た目に美しさと、香りの良さから嗅覚へと訴えたところも佳い。

   時の日や時をもどして異国の地★前川美千代  

日本を発って西の国へ着いたのである。中国とか遠くはヨーロッパの国々など。中国だと一時間、ヨーロッパだと六時間程度時間を戻すのである。その旅行が時の日六月十日だったので、より一層時差というものに興味を示したのである。その旅で時の日を、日本にそのまま居るより長く楽しむことが出来たのである。そのような楽しみも感じられる句である。

   文机に千枚通し子規忌かな★浅井 貞郎

京都台東区の子規旧居を訪ねた時に見たのであろうか。文机に千枚通しがあったのである。千枚通しとは錐の一種であるが、特に何十枚もの多くの重ねた紙に孔をあけるための錐のことである。こうしてあけた孔に紙縒(こより)や紐を通して多くの紙を綴じたりしたものである。子規はこの千枚通しを使って、多数の句稿や「墨汁一滴」などの原稿をまとめたのだろう。こう思いながら九月十九日の子規忌を過したのである。子規そして漱石の生誕百五十年の今年、子規や漱石の活躍をしみじみ考えている時にふさわしい句である。