十人十色2020年3月

 

   口切りの香かぐはしき潜りかな★伊藤 敬女  

  口切りは旧暦の十月の初めに新茶の茶壺の口を切ることである。と同時にこの新茶を碾いて作った抹茶を使って行う茶会である。この茶会を口切の茶事と呼んでいる。旧暦の十月頃は丁度小春日和の暖かい晴れた日が続く。そのような小春日和の午後、口切の茶事が開かれた。茶室の潜り戸に入ると急に、口切りしたばかりの茶の香がただよって来たのである。口切りしたばかりの新茶の香を、茶会の潜り戸に入った瞬間に感じたところが佳い。新鮮な香が読者にも感じられる。

   歯科の椅子で聴くジョンレノンクリスマス★金子  肇  

  ジョン・レノンと言えば一九五七年頃から一九七〇年にかけて、ロックバンドの「ビートルズ」のメンバーとして、大活躍した人である。その後一九八〇年の十二月八日に射殺された。その時期は私がアメリカに三度にわたり長く住み、家まで買って一旦は永住を覚悟した年月と重なるので、レノンは私にとっても思い出深い人物である。クリスマスの日歯科の治療を受けながら、ジョン・レノンの曲を聴いているのである。大敗北に到った第二次世界大戦の開戦日が奇しくもレノンの亡くなった日、その日ももう過ぎ今日はクリスマス、そしてもうすぐ年の暮だと、歯科の椅子で様々なことを考えているところが面白い。しみじみとした味のある句である。

   銀のさじメロンベッドの窓に食む★大舘 泉子  

  療養ホームであろうか。ベッドに横になりながらメロンを食べているのである。近くの窓からの光がさじに映って美しい。銀のさじの輝きを楽しみながら、メロンをベッドで食べている泉子さんは九十三歳である。高齢であるがこのようにメロンを食べつつ、銀のさじの輝きに気付く新鮮な感覚を持っておられる。泉子さんがこの新鮮さを持ち続けてどんどん佳句を作って下さることを祈っている。私はこの「銀のさじ」から中勘助の小説を思い出した。幼少年時代の思い出である。泉子さんも私も同じような時代を生きて来たから、この句の「銀のさじ」もそのような思い出を秘めているのではないだろうか。

   下校する学生を待つ焼芋屋★遠藤 容代  

  東京も本郷や御茶の水のような学生街の光景である。秋になると焼栗屋が来ることもある。今は冬で焼芋の季節である。午後も夕刻近くなるとこの大学街に焼芋屋が車を引いてやって来る。時々人が通ると「焼芋、焼芋」と声を掛けている。そろそろ大学の授業が終る頃だと思って見ていると、三々五々校門から学生が出て来るのであった。するとこの時を待っていたと焼芋屋が声を張り上げたのである。学生の方も丁度腹が空く頃である。学生街らしい明るい光景を佳く描いている。

   浅間嶺へ光なだるる蕎麦の花★橋本  綾 

  浅間山は長野県と群馬県の二つの県にまたがる活火山である。有史以来度々噴火して有名である。噴火のない時は静かで美しい。この一帯は蕎麦の名産地であり、秋になると蕎麦の白い花畑が一面に拡がる。彼方の浅間嶺も所々雪で白くなっている。その浅間山へ蕎麦の花の白い光が雪崩れるように流れているのは真に美しい光景である。浅間高原の大景を佳く活写した句である。

   磯際の小さき祠の初茜★三好万記子 

  波打際に小さな祠がある。そこには常に波が来ては返している。時には水しぶきも上げるのである。普段はあまり人が気が付かないような小さな祠であるが、元日の明け方太陽が出る直前の東の空が茜色に染まると、その光を受けてこの小さい祠も明るく輝くのであった。初茜が大小すべてのものを祝福するように紅く色づける様子が佳く描かれている。注意深く観察しているとこのような美しい光景に出会えるのである。

   雪嶺の絹の道より五絃琵琶★飯島 栄子

  この絹の道は中国のシルクロードか、それとも日本の八王子から横浜へ到る絹の道か一瞬迷ったが、雪嶺と五絃琵琶から中国の天山山脈それもトゥルファンの辺りの光景かと判断した。シルクロードを旅して行くと天山山脈の雪嶺が見えて来た。その方向に更に絹の道が伸びている。そして五絃琵琶の音が「こちらへ来い」と誘うように響いて来るのであった。琵琶の起源もペルシャやアラビアとされている。琵琶もこの雪嶺を越えて中国、韓国、日本へと伝えられて来たのだと思いながら、五絃琵琶の音を聴いているのである。ロマンティックな句である。

   生まれ立ての子犬眼を開けクリスマス★相沢恵美子

  クリスマスと言えばイエス・キリストの生誕日であることは言わずもがな。でもその日に生まれた子どもたちだけでなく、犬猫たちも祝福したくなる。この句ではクリスマスの日に生まれたばかりの子犬が眼を開けた様子を詠っている。いかにも可愛いではないか。それに向って「クリスマスおめでとう」とでも言いながら見守っている作者の眼の優しさが佳い。社会や自然界に暗い話が多い昨今、このように明るい光景を描くことは素晴らしい。

   着船に駆け来る瀬戸の島兎★井上 淳子 

  瀬戸内海の小島の光景である。小豆島か、いやもっと小さな島であろう。一日に一、二回ぐらいしか船が来ない島である。船が着くと出迎えの人々を始め一騒ぎである。その中に島の兎まで駆けて来たのである。島に住む人々も少なく、鳥や獣たちも人になつき共生している様子が眼に浮んで来る。そのような島のたたずまいを、着船に駆けつけて来る兎を描いたことで表しているところが、この句の秀れている点である。

   百舌鳥猛る六波羅近き鹿ヶ谷★山本 純夫 

  六波羅は京都の鴨川の東にある。平家一門の住家六波羅があった所である。その六波羅の近い所に鹿ヶ谷がある。この鹿ヶ谷で平家を滅ぼそうと、僧俊寛、僧西光、藤原成親、多田行綱らが会合した山荘があった。行綱が平家側に密告した結果、西光は斬殺、成親は備前へ、俊寛たちは鬼界ヶ島へ流された。この鹿ヶ谷を訪ねると百舌鳥が鳴き叫んでいる。如何にも百舌鳥が鹿ヶ谷事件を訴えているようで面白い。

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