十人十色2020年7月

 

   ソーシャルディスタンス尺蠖わかりますか★小髙久丹子 

  新型コロナ・ウイルス感染症の拡大はひとまず止まりつつあるが、その第二波第三波への警戒は必要である。この異状事態をどのように俳句で表現すべきであろうか。街を行く殆どの人がマスクをしている様子など多くの俳句が作られているが、詩としての力が弱い句が多い。その中で三密もよく詠われるが、人々の間に一定以上の間隔を置くことが要求されていることを描いたところが興味深い。しかもその間隔を英語でソーシャル(社会的)ディスタンス(距離)と言うことを、尺蠖虫に問い掛けている様子が面白い。深刻な問題をしかも日常使われない言葉それも英語で問う形で示しているところが佳い。

  スーパームーンに兎を捜す春の宵★木村 君依  

  地球の周りを月が回っているが楕円軌道であるので、地球と月の間の距離は、最も遠くなるのは四十万六千㎞、最も近くなるのは三十五万七千㎞、平均距離は三十八万四千四百㎞である。一番近くなる頃の夜、太陽・地球・月と直線に並び満月になると、月は特に明るく大きく見える。これをスーパームーンと呼んでいる。今年(二〇二〇)の三月にスーパームーンが見られた。その大きなスーパームーンの中では、兎がどう見えるだろうと、捜すというところが面白い。

   袴着てマドンナとなる卒業子★奥山 繁男  

  今年は新型コロナウイルス感染症のため殆どの学校で卒業式を中止した。でも幸い卒業式を実行出来た大学での光景である。普段登校して来る時は洋服で来ていた女子大学生が、卒業式の時は和服姿になることが多い。入学式でもないわけではないが卒業式の方が圧倒的に多い。普段洋服姿でいるときは特にそのように感じなかったのに、羽織袴を身につけている姿を見て、美しい人だと改めて驚くことがある。この句は卒業式で袴を着た女子学生がにわかにマドンナとなって世に出て行く姿を祝福しているところが佳い。

   癌の身に奇跡起こらず寒戻る★広岡 育子  

  春になればこの癌の身も少しは快方に向かうかと願っていたが、寒さが戻って来てしまい、癌が良くなるというような奇跡は起らないと、残念に思っておられる厳しい気持ちが読者にもしみじみと伝わって来る。しかし現代は医学が急激に進歩している。特に癌の治療法は進んでいる。必ずや育子さんの癌も治るに違いない。医師の診断に従って治療に御励み下さい。そして又お元気に佳い俳句を沢山お作りになる日をお待ちしています。

   今日生きる明日を生き抜く白木蓮★槇  宗久  

  春が来ると野山の草や木々が一斉に花を咲かす。特に白木蓮は花弁六片も萼(がく)三片も真白に華やかであり力強い。まさに今日一日力一杯に生き、明日も更に生き抜こうとしている様子が目に見えてくる。この白木蓮の生きる力は、それを見ている宗久さんが一生懸命に毎日毎日を生き抜いている力に共鳴している。宗久さんが絶え間無く作句に精進されている姿は、白木蓮のあの純粋な白い美しい姿に重なるのである。

   又ベンチ見付けて花の試歩二千★柴﨑万里子 

  万里子さんは九十五歳である。健康を保つため二千歩という散歩を努力している。二、三百歩程歩いてはベンチを見付けて一休み、そして又二、三百歩進むのである。それでも桜の花の下の試歩であるので心は明るく弾むのである。私も六十二歳の十月より、八十七歳の九月までは、毎日一万歩を歩き撤した。休んだのは何かで入院した三日だけ。でもその後八十九歳の九月までは毎日八千歩、その後は毎日七千歩になってしまった。それも五百歩ぐらい歩くと疲れて一休みするのである。九十五歳の万里子さんが二千歩を歩くため時々ベンチで一休みするのは当然である。でも万里子さんがこうやってますます元気に散歩し、作句して下さることを祈っている。万里子さんがんばって下さい。

   妻にきく菊の根分は子のやうに★大舘泉子 

  秋に立派な菊の花を咲かせるためには、前年の菊の株根から出て来た芽を分けて植えたり、増殖のために根分けをしなければならない。親根から幾本かの細根が分かれ芽が出ているから、その細根のついた芽を親根から一本ずつ切り離して苗床に植えればよいのである。言うは易くして実行するのは結構面倒である。そこで奥さんにどうしたらいいのかと聞いたらば、子供を育てるようにすればいいんですよと教えられたところが面白い。要するに愛情をもってやれというわけである。泉子さんは九十三歳でもこのように菊の根分けなどに励んでおられる。大いにがんばって秋に素晴らしい菊を咲かせて下さい。お元気で。

   装蹄の静まる時のほととぎす★上野 直美 

  最近はめったに見られなくなった光景である。しかし現在でも農事や運搬などに馬を用いている地方もある。使用している馬の蹄に蹄鉄をつけてやっているのである。若い馬の初めての装蹄かもしれないし、古くなった蹄鉄をつけかえているのかも知れない。馬たちも装蹄を始める頃は少々痛いであろうからあばれても、終る頃は安心して静かになる。丁度その頃時鳥が鳴き出したのである。装蹄にも慣れてほっとした馬も、装蹄に努力した人間も、ほっとして時鳥を聞いている様子が目に浮かんでくるところが佳い。平穏な田園風景の一瞬が佳く描かれている。

   碧空に透けて花咲く梯梧かな★古波蔵弘子 

  梯梧はマメ科の落葉高木である。高さは五メートルから十メートルある。インド原産であり沖縄の県花である。春も浅い頃から初夏にかけて大きな真赤な蝶々のような美しい花を多数咲かせる。そして高々と咲くからそれを透かして碧空が見えるところが見事である。まことに沖縄の県花にふさわしい。この句はその梯梧が碧空に透けて花を咲かせている光景を見事に表現しているところが佳い。

   一の橋二の橋桜隠しかな★佐々木とし子 

  今年(二〇二〇)は桜の花が満開に近い頃雪が降る珍しい光景を楽しむことが出来た。桜の花を隠すように白い雪が桜の花の上にかぶさるように降っていた。そこでそのような雪を桜隠しと言う。めったにこの桜隠しという季語を使う機会に恵まれなかったが、今年は絶好のチャンスであった。この句の佳さは一の橋二の橋のある川に沿って桜が咲いている。そこへ桜隠しが降っている様子を描いたところにある。当然美しい一の橋二の橋にも雪が降っているのである。

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