十人十色2021年1月
井の国の空点々と鷹渡る★榑林 匠子
井の国とは浜松市の北部井伊谷の辺りである。桜田門外の変で水戸浪士らに殺害された井伊直弼など彦根藩主の祖先はこの井伊谷の土豪であった。その祖先の一人に井伊直虎がいた。これが女性であったという話は四年前のNHKドラマで有名になった。井伊谷にある龍潭寺はその一族の菩提寺であった。その井の国の空を鷹が渡って行くのである。そもそも南北朝時代には井伊谷は南朝派で後醍醐天皇の皇子宗良親王が住んでいたり、臨済宗方広寺はやはり後醍醐天皇の十一番目の皇子無文元選が中国(元)で学んだ後に開山したのである。そのような興亡の歴史の地の上を渡って行く鷹を詠んだところが佳い。
突堤もソーシャルディスタンス鯊日和★小山 正
今日は天気も良いし鯊釣の季節だからと思って海岸へ出掛けたのである。突堤に行って釣竿を下ろす場所を探していると、釣竿と釣竿の間の距離が何時もよりずっと大きい。これは有難いと思って、はてどうしてこう間隔が大きいのかと考えて、そうだコロナウイルス禍を避けるためだ、ソーシャルディスタンスだと気付いたのである。広々とした海へ突き出している突堤でも三密は避けなければならないとは面白い。コロナウイルス禍の時代の風景の一齣を佳く描き出している。
そぞろ寒藪を通れる洗熊★フィリップ・ケネディ
秋も半ばを過ぎたと思っていると、次第に寒くなってきた。そのそぞろ寒を感じながら家の近くの藪を見ていたら、洗熊が通って行ったのである。洗熊は浣熊とも書くが、狸に似ていて尾に黒い輪状の斑がある。身長は五十センチメートルぐらいで可愛い。普段は木の実や果実、水中の貝とか蟹などを食べる。又魚や蛙なども食べる。木にも登り泳ぐのがうまい。日中よりも夜間に活動する。気温が低い地方では冬ごもりもする。私もニューヨークに住んでいた頃、冬の朝ごみ箱をひっくり返して野菜などの残りものを食べている洗熊をよく見かけた。この句の洗熊もそぞろ寒で蛙や魚が少なくなり、藪で食べ物を探しているのであろう。
虫すだく蚕座名残りの合掌家★久田 美智子
富山県の南西部で庄川の上流にある五箇山の合掌造りの民家の光景であろう。隣接する岐阜県の白川郷の光景でもよい。昔は盛んに蚕を飼って絹糸を生産したものである。その蚕座が残っていて、そこに虫が集って鳴いているのである。今は静かな合掌家の集落であるが、昔は和紙や絹糸の製造で栄えたことを、虫が鳴き騒ぐ蚕座に立って思い出しているところが佳い。
亥の子搗く「四つ世の中よいやうに」★山下 美津子
亥の子とは陰暦十月上の亥の日である。この日江戸時代にはこたつを開いた。その日の亥の刻に亥の子餅を食べ、万病を除くまじないをしたとも、子孫繁栄を祝うためとも言うが、亥の子餅を食べた。それを亥の子の祝と言う。亥の子餅を搗く時、唄う唄がありその一つが「四つ世の中よいやうに」とは面白い。そもそも亥の子餅を食べて無病息災を祈る習慣は中国の俗信で日本に平安時代頃移入されたらしい。美津子さんは九十歳ますますお元気で、このように面白い句を沢山作って下さい。
新蕎麦や幟の招く越の国★山下 智之
越の国は北陸道の越前、越中、越後である。越前は福井県の敦賀市以北、越中は富山県全域、越後は新潟県(ただし佐渡島は除く)である。その越の国に入ったらば、方々に幟が立てられていて、新蕎麦の宣伝をしているのである。信州とか越の国は蕎麦処である。特に新蕎麦は美味であり、幟が招いているところが越の国らしい光景である。
秋深し熊の爪痕残る山毛欅★杉野 知子
山毛欅(ぶな)は?とか椈とも書く。少々高い山地に生え、日本海側の山地に多い。その地方は熊も多く住んでいる。熊は広葉林が好きでよく木に登る。夏は活動期で冬は洞穴に入り冬籠をする。秋が深まる頃は冬籠の準備をしている頃であり、木に登って木の実なども食べるのではないであろうか。山毛欅の樹を見たらば熊の爪痕が残っていたのである。秋が深まりつつある山毛欅林の光景が佳く描かれている。
螻蛄鳴くに程よき間合ひ福木道★村雨 遊
福木はフィリピン原産で、沖縄では防風の目的で生垣によく用いられる。高さは十メートル以上になる常緑高木である。葉は長さ八~十二センチメートルで、短い柄で同一の節に二枚向かい合ってついている。沖縄の多くの家では道から屋敷までの小道にそって福木が植えられている。垣根とするためであるが、もう一つの目的は先述したように風を防ぐためである。その福木が何本も程よい間合いで植えられている。その距離は螻蛄が鳴くのに丁度よいと言ったところが面白い。土中で「じいい」と鳴くが、一匹の鳴いているところから次に聞こえてくる螻蛄の声までの距離が、近過ぎてはうるさいし離れ過ぎると淋しいのである。
鐘の音に芋掘る漢祈りをり★山下 清美
この鐘の音は仏寺の鐘でもよいが、私はキリスト教の教会の鐘であろうと思う。夕方まで畑で芋を掘っている男が、近くの教会から鐘の音が聞こえてくると、芋を掘るのを一時止めて祈り始めたのである。きっとこの漢はクリスチャンでこの教会のメンバーかもしれない。キリスト教徒の多い地方で見られる光景である。この句を読んだとき私はJ・F・ミレーの「晩鐘」という絵を思い出していた。それは野良仕事をしていた夫婦が晩鐘を聞きながら、一日の感謝を捧げている絵である。
唐寺や脇戸を叩く月の客★石尾 眞智子
長崎に江戸時代初期に創建された三つの寺を唐寺と呼んでいる。唐三か寺とも称される。その三寺とは興福寺、福済寺、崇福寺である。江戸時代長崎に在留した華僑たちのためである。江蘇省および浙江省出身の華僑の寺として興福寺が、福建省の泉州と?州出身の華僑の寺が福済寺、そして福建省の福州の華僑の寺が崇福寺である。その唐寺の一つの脇戸を叩く音がするので何人かと思って見ると、月見の客であった。中国でも月見は大切な行事である。唐寺で月見とは風流である。長崎の唐寺らしい光景が佳く描かれている。
◇ ◇ ◇