十人十色2021年7月 対馬 康子選
水仙の屹立として墓地彼岸★奥山 繁男
彼岸のもともとの意味は波羅蜜という皆が知っている大般若波羅蜜多心経(般若心経)の中の言葉のサンスクリット語の漢音訳である。大般若という巨大な叡智にたどり着く入り口が波羅蜜であり彼岸である。
表現的には水仙の屹立が墓地彼岸であるという等式が示されているだけである。しかし水仙の屹立した純粋の白が墓地における巨大な叡智の入り口であるという、デフォルメされた提示の在り方は、青邨先生の「一莖の水仙一塊の冬菜かな」と同じである。屹立という状態と彼岸という不可視なるものを並べた点は青邨の具象の対比とは異なるが、そこには何かしら朗人先生への哀悼がこもっていると感じられる。
ソプラノを弥陀に聴かすや花万朶★井上 淳子
如来は、人々が本来持つ心の真実を覚醒する助けをしてくれる存在と言われる。そして阿弥陀如来は、無量の光の如来とされる。芭蕉が「瞬間」にもののひかりを俳句にみた、そのようなひかりの根源にある超存在である。
そうした阿弥陀如来へつながる諸々の真言たる経典があるが、それを声明する時に、場合によってはソプラノで行うこともあるかもしれない。そこに諧謔があり、自己の存在が消え去るといわれる悟りの光の祝福の中に、華麗なる花万朶の世界が展開される。
満開の桜の枝枝のいのちの輝きに、阿弥陀如来が微笑んでいるようである。
春禽の合点のゆかぬ督促状★鹿志村余慶
長い人生の中でやり残してきた大切なことがあって、それがなんだか思い出さないまま、忙しくスケジュールに追われる日々を何十年も過ごしてしまうことがある。そんな時、ふと春になってしきりに鳥たちが騒ぐことに心が至った。
その鳴き声は、何か大切なことをしきりに督促しているように聞こえる。自分としては何がどうなのかわからないものの、確かに何かをしなければならないという思いに胸が騒いで落ち着かないのだ。「春禽や」ではなく「の」なので解釈が難しい作品。しかしそこに、繁殖期の活発な鳥たちと作者の人生のやりとりが醸し出されている。
ロマノフの神妙入微イースター★片平 奈美
イースターエッグをカラフルに着色するのは、マグダラのマリアがキリストの復活を皇帝に報告した時、赤く卵の色が変わったことに由来するという。
ロマノフ王朝のファベルジェのイースターエッグは、アレクサンドル三世の時代からニコライ二世の間に五十個以上作られたが、スターリンの時に世界に売りにだされ、今でも七個が行方不明とのこと。王室御用達の金細工師により宝石をちりばめ、その中に驚きを秘めた細工が凝らされている。これらのことを「神妙入微」とうまく表現した。西洋的なものに対して漢語で格調高く形容したことで世界観が広がる。
春光や聖火の走る復興地★蛭田 秀法
オリンピックは戦争による中止を除いて、平和を目指すオリンピック運動の哲学「オリンピズム」のもと、参加することに意義があるとして続けられてきた。たとえどんなにささやかでも開催することが、コロナと闘いながら、回復への希望の道を歩んでいる人々に対する、平和国家日本の務めであると思う。参加することを強要してはならないし、数を誇ってもいけない。商業主義的に結果だけを求めてもいけない。
有馬先生が求め続けた平和への願いを実現する祭典を、周到な準備の下に行って欲しい。復興地を走る聖火こそが、オリンピックとは何かを春光の耀きの下に語っている。
清明や机上の紙の生成色★フィリップ・ケネディ
野に出て春の息吹を満喫するには、清明は絶好の季節とされる。コロナ禍のもとではなかなかそういう気分にはならないかもしれない。しかし家に籠っていろいろ物を書いたり、絵を描いたり、音楽を聴いたり、楽しみはいろいろ見つけ出すことができる。生成色とは染められる前の布の生地の色で、幾分微かに黄色を帯びたような白。感覚的には、安南白磁の白や、柿右衛門の濁し手、中国のボーンチャイナの白に近い。エコなスローライフの白という感じである。籠っていても机上の紙の生成色によって清明の気にいざなわれ、創造意欲を刺激してくれるようである。
春霞都市グラウンドゼロに浮く★鈴木 弥生
グラウンドゼロとは基本的には核爆弾が投下された場所のことである。広島の原爆ドームがグラウンドゼロである。二〇〇一年九月十一日のイスラム過激派テロによるニューヨークワールドトレードセンターの場所が、それにちなんでグラウンドゼロと呼ばれている。
そのグラウンドゼロの一画は保存され、破壊の記憶を永遠にとどめるとともに、清らかな四角い人工の滝が水を静かに落とすモニュメントとなり、人々の心を癒し続けている。そこからはニューヨークの摩天楼が春の霞に浮きたつように眺められるのである。
被爆樹の薦押し広ぐ芽吹きかな★前村 泰博
福島のセシウムに汚染された避難地域における、十年間にわたる動植物への影響の科学的調査結果を示したドキュメンタリーが、NHKで放映されていた。震災直後、放射能汚染の影響を極めて否定的に捉えていた物理学者と、生物の適応能力の高さがそれを克服する可能性を主張する生物学者との間に論争があったが、厳しい環境下においても、植物も動物も進化や試行錯誤を行い、物理学者が予想したような事態には今は陥っていないことが示された。作者は広島の人。原爆に耐えて生き延びた被爆樹も長い年月を経て困難を克服し、寒さを防ぐ薦を押し広げて力強く芽吹いている。
春逝くや潮目の変る壇ノ浦★扇 義人
最近の研究によると壇ノ浦の戦いは、源氏平家共に潮流の専門家が検討をしつくして、最も潮の静かな時を選んで全面対決をしたようである。屋島の戦いで敗北を喫していた平家軍は、数において劣勢であっただけでなく、やはり追い詰めたものと、追い詰められたものとの気迫において差があったのであろう。しかし、壇ノ浦は潮流の変化があることでは有名で、流れも速い。作者は今、壇ノ浦に臨んで変わる潮流を眺めて、もしこれが当時起こっていればどうなったのであろうかと、そして現在の世相の急速な潮流の変化へと、行く春にしみじみと思いをめぐらせるのである。
病棟につぎつぎ伝ふ春の虹★木村 史子
先日、二重の虹が大きく立った。私が住む階の一室からも隅田川に橋を架けるように鮮やかな半円が見えた。虹の脚の終わりを確認したくて、反対側の部屋のベランダまで出たり、離れて住む家族に急いでメールしたり大騒ぎだったが、あっという間に虹は消えてしまった。閉塞気味な生活が続く中で、自然が創るダイナミックな美しさにとても心が弾んだ。
この句も、病室で最初に虹を見つけた人から次次に伝わっていったのであろう。人から人へ更に病棟から病棟へと喜びの伝播が伝わってくる。春の虹は色が淡くてはかないものだが、その年初めて見た虹はひときわである。
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