十人十色2021年12月 日原 傳選
梨冷たし明日は手術といふ夕べ★中村 光男
手術を翌日に控えた日の夕べ。明日のことを考え、軽めの夕食を摂るのであろう。その夕食のデザートとして梨が供された。体にメスを入れることを考えると、大手術でなくとも、何かしら不安が心をよぎるもの。掲句にあっては「梨冷たし」という冒頭に置かれた措辞が、手術を間近に控えた作者の思いを象徴するように読み手に迫ってくる。六音の破調であることも、上の句の印象を強める効果をあげている。白い肉質、ひんやりとした食感、したたる果汁といったイメージをともなう梨。季語が働いている句である。
糸蜻蛉糸を結べる水の上★小栗百り子
「糸蜻蛉」は水辺でよく目にする細長い小型の蜻蛉。からだが糸のように細いことからの命名という。燈油に浸して火をともす「燈心」に見立てた「燈心蜻蛉」という別称もある。また、それがなまって「とうすみ蜻蛉」「とうしみ蜻蛉」とも呼ばれる。糸蜻蛉は華奢で飛ぶ力が弱いため遠くへは行かず、生まれ育った水辺で暮らすことが多いようだ。なお、蜻蛉の多くは秋の季語であるが、糸蜻蛉は夏の季語とされている。掲句は水辺で交尾する糸蜻蛉の姿を詠んだ句であろう。雄と雌が繋がって一つになって水の上を飛ぶ。輪のかたちになっていることもある。その姿を「糸を結べる」と優雅に言い留めた。
暮れてなほでで虫にある日の温み★古川 洋三
「でで虫」は夏の季語。大地に照りつけていた太陽も西に傾き、ようやく夕暮れ時を迎えた。日中の暑さがおさまり、人間もほっと一息つく頃。ふと手にしたカタツムリの殻に温みの残っていることに驚いたのである。たまたま日の当たるところに身を置いて動けなかったのであろうか。殻の中にじっと身を潜め、暑気の去るのを待つカタツムリの姿が想像され、憐れがある。
雨靴で朝を楽しむ秋黴雨★野口 日記
「秋高し」「天高し」という季語があるように、秋の空は高々と晴れわたることが多いが、気圧配置によっては梅雨のように雲が垂れこめ、小雨が降り続くこともある。「秋黴雨(あきついり)」「秋霖」という季語がある所以である。
秋の長雨は一般に好まれるものではないが、掲句の場合は秋黴雨を心待ちにしていたような口ぶりである。雨靴を新調し、それを履く日を待っていたのであろうか。待望の雨が降りだし、雨靴での朝の散歩を楽しむ。「雨靴」「朝」「秋黴雨」と上五、中七、下五の頭にア音を並べた頭韻の効果も認められ、音の面からも秋黴雨を「楽しむ」気分が出ている。
辣韮の花あはあはと日本海★西山 昌代
辣韮(らっきょう)は中国原産のユリ科の多年草。秋に植えつけると晩秋に花が咲き、翌年の夏に収穫できるようだ。それを知ると、歳時記で「辣韮の花」は秋の季語、「辣韮」自体は夏の季語とされていることが納得される。辣韮は花茎の先端に散形状に紫色の花をつける。掲句の「あはあはと」はその形状を言い当てたものであろう。鳥取砂丘の周辺には辣韮畑が広がり、時期が来ると畑一面が紫色になるようだ。そのような光景を詠んだものとすれば、掲句の「日本海」という堂々とした下五も合点がゆく。
花とべら広がつてゆく海の闇★益永 涼子
「とべら」は漢字では「海桐」と書く。暖地の海岸に自生する常緑樹で、高さは三メートルぐらいにはなるようだ。花の咲くのは六月ごろで、枝先に白色の小さな五弁の花が群がって咲き、やがて黄色に変わってゆく。節分にこの木の枝を扉に差して悪鬼を追い払う風習があり、和名「とべら」はその「扉(とびら)」に拠るという。
掲句は、とべらの花とその背景をなす海の暮れてゆくさまを正面から詠んだ作。日没後、海の闇は深まり、広がってゆく。近くに咲くとべらの花だけが浮き上がって見えるのであろう。闇のなかに浮かび上がるとべらの花の存在によって、それを包みこむ海の闇は一層その暗さを見せるのである。
一人来て愚直な父の墓洗ふ★藤江 尭
「墓洗ふ」は「墓参」の傍題。季語の「墓参」は盆の墓参を言い、秋の季語となる。作者は一人で父の墓に参ったのである。父の墓を洗いながら、その生き方に思いを寄せる。父の性格を「愚直」と断じたのが、この句の眼目。「愚直」とは正直すぎて気のきかぬこと。世の中で生きてゆく上では損をすることも多かったろうが、作者はそのような父の生き方を肯定し、なつかしんでいるような感じがする。作者自身も父の愚直さを受け継いでいるのかもしれない。墓を洗いながら亡き父と心を通わせているようなところがあり、情のこもった句となっている。
夢二忌や黒猫を抱くをみなの手★宮田 敏子
竹久夢二は明治十七年に岡山県邑久郡本庄村の造り酒屋に生まれた。早稲田実業学校中退。新聞、雑誌にコマ絵や風刺画を描き、新進画家として世に出た。大正ロマンを代表する画家で、哀愁にみちた「夢二式美人」の登場する美人画はよく知られている。亡くなる三年前の昭和六年五月に横浜を出航して渡米。欧州を巡ったのち、昭和八年九月に帰国。十月から十一月にかけては台湾を訪れるが、帰国後結核で病床につく。昭和九年一月に八ヶ岳山麓にある富士見高原療養所に入院。その年の九月一日に逝去した。墓は東京の雑司ヶ谷霊園にある。
宮田さんは岡山の人。日頃から夢二の作品に親しんでいるのであろう。掲句は夢二の日本画の代表作「黒船屋」を詠んだものと思われる。四角い箱に坐った細面の女が黒猫を抱きかかえている構図。女に抱かれて背を見せる黒猫と女の白い手との色彩の対比が印象的な作品である。女の手は意外に大きく、見る者に不思議な感じを与えるところがある。そのこともあるのだろう。作者は「をみなの手」に焦点をしぼって一句とした。
素焼き鉢みるみる乾く残暑かな★木村 史子
秋になってもまだ暑い日が続く時節、濡れた素焼きの鉢を干した。すると、面白いように目の前で乾いていったというのである。「みるみる」の一語から作者の驚きが伝わってくる。釉薬をかけずに低温で焼く素焼きの器は多孔質で水分が蒸発しやすいことがあるだろう。気温の高さも与っているだろう。素焼きの器の素朴な肌の感じ、その濡れた部分と乾いた部分との質感の違いが想像される。
立ち上る蒸気を照らす夜業の灯★山本 純夫
掲句に詠まれた「立ち上る蒸気」とは何であろうか。読み手によっていろいろな解釈がなされることだろう。評者は毎日のように利用する鉄道駅近くの商店街にあるクリーニング店の夜の光景を思い起こした。道に面する作業場をガラス張りにして、夫婦で夜も作業をしている光景。周囲を包む闇。耿々と灯る店先。噴き出す蒸気。灯火に照らされた「蒸気」が夜業らしい雰囲気をかもしだしている。
◇ ◇ ◇