十人十色2022年3月 対馬康子選
車夫過ぐや轂(こしき)に銀の冬陽受け ★秋谷 美春
二月号課題句において、作者の「セフィロトの木にも枯葉のあぬべし」について我尼吾が取り上げ、更なる具象性を作者は求められていた。その問いかけに呼応するように、掲句には作者のセフーロートの思想の具象化が隠されている。井筒俊彦の『意識と本質』から引用したい。「あたかも車輪のすべての輻(や)が轂に向かって集中するごとく、すべての「セフィーロート」のエネルギーがここに集まる。形象的には「神の心臓」である。」 轂は車輪の輻の集まる丸い中央部分のこと。すべての矛盾するエネルギーを融和し、調和するものが神の心臓である「美」である。セフィーロートの木とはこのような構造を持っている。この作品はそれを踏まえて、象徴的に具体的な存在として車夫を捉えることができる。車夫とは人間のことである。冬の陽がまぶしく差す人力車の動きに、「生命の樹」の構図が見えてくる。
落陽の冬耕の人地に紛る ★居林まさを
冬の日が沈む中に黙々と耕す人。今や全国にたくさんの限界集落があり、高齢で農業を続けている人々がいる。配偶者に先立たれ、一人で人生を全うすることになる。しかしそういう人々がそこで生の営みを続けていける限り、人生は素晴らしく、それらの人々の表情には、肝の据わった生き様がたくましく感じられる。
「地に紛る」とは隠れるのではない。いずれ大地に還るという、存在の本質に対する直感の思いが、人を大地と一体化させるのである。
雄弁は銀柊の白き花 ★石川由紀子
「沈黙は金なり金木犀の金 朗人」の名作を踏まえて、対語のフレーズである「雄弁は銀」に柊の花の白を配置した。
有馬先生は雄弁であった。先生の句は昭和二十六年の作。若いがゆえの自戒の念を込めて沈黙の句を作ったのであろう。「沈黙は金」は聖書において「ダビデの沈黙」で登場する。そのような先生の思いを否定するわけにもいかず、さりとて雄弁をたたえたい。
雄弁の裏には人一倍の信念や真っ直ぐな含羞がある。柊の花は冬の木犀ともいわれる。可憐な白い小花からふっと甘い香りが漂ってきた。その香に託した何とも言えない思いが「雄弁は銀」という表現である。一周忌に際しての弟子の心情が染み入る。
一撞や塵界すすぐ除夜詣 ★吉田 桃子
除夜の鐘を打つことによって、一年間の浮世の塵を払う。素直に、普通に一撞して鐘を突くことは意外と難しい。気負いがあれば逆に小さな音になり、激しく大きすぎる音は、はた目にもその人の焦りのようなものがうかがえてしまう。無心になることが肝要である。
新年の日の出の前に、普段着のまま氏神様に行く。俗事を塵事というが、世俗の塵を払うではなく「すすぐ」の表現がよい。鐘の一打に過ぎ行く一年のこころが洗われる。
新たなる言の葉生まれ年暮るる ★三好万記子
有馬先生の俳句片歌説は、俳句の淵源を古事記の日本武尊の片歌に見出している。その前提には古代人の言霊信仰があった。日本の詩歌においては、言葉は単なる事物の表記のための記号を超えて、言葉自体に根源的な世界創造の力を見出していた。空海は、世界は言葉であるという言語哲学を「声字実相義」の中に打ち立てている。一年という年が過ぎゆき、世界が新しく変わろうとしている。それは新たなる言葉の誕生でもあるのだ。
夕暮れのコートに包む今日の棘 ★野口 日記
人は悲しみの棘を内に秘めながら人生を送っている。いろいろなことが起こり、人のこころはそれに応じて変化する。俳句はこころを詠うものである。今日の出来事に傷つき胸が痛むとき、人はまた一つ棘を身の内に育てる。他者に対する攻撃的な棘ではなく、自らの内に向かう棘である。
茜色に染まる冬の夕暮れ。嗚呼と、体をコートに包みそれぞれの塒へと戻る。そして今日の棘をそっと俳句で包んで救われるのである。
那珂川の反射炉白き寒夕焼 ★鹿志村余慶
徳川斉昭が海防意識から大砲の量産のために建設を命じた那珂湊反射炉には、それに携わるたくさんの人間ドラマと安政の大地震や、大獄による政変、水戸天狗党による破壊などがあり、期待された成果を生まないまま終わる数奇な運命が待っていた。しかしその過程で釜石に鉄鉱石を開発に行くということが幸いして、明治期における釜石製鉄所の魁を為すプロジェクトであったとされている。
当時の場所に復元された二基の反射炉が二〇一五年に白く塗装され、時代を照らす灯台のように建っている。あきらめないで、幾多の悲劇を乗り越えてやり遂げようとした先人の高い志を、未来に向けて、真っ白な双塔の煙突が寒夕焼けの中に讃えている。
昼下り友と迎合(あど)打つ日向ぼこ ★田村 均
「迎合打つ」とは何気ない相槌を打つことである。迎合するという風に使われるときは相手におもねる体なのであまりいい意味ではない。しかし、狂言のシテの相方をアドと呼ぶ。能のワキと同じく、シテの言葉を繰り返したりしてシテを引き立たせるのである。昼下がりの日向で友をたてて、自分はアドに徹して話している。君子の交わりは水のごとしというが、そのような風景が浮かんでくる。狂言は写実的で滑稽な演技で人間のおかしみを描く。それは俳句に通底している。人との交わりが希薄な現代社会の諧謔ある一齣が目に浮かぶ。
冬の波被る岬や復帰の碑 ★村雨 遊
一九七二年(昭和四十七年)五月に、沖縄の統治がアメリカから日本に返還された。私が大学一年のときで、同じ寮で暮らしていた沖縄出身の友人が、それまでパスポートを持って帰省していたがいらなくなった、ということに複雑な思いが湧いてきたことをよく覚えている。
沖縄最北端の日本に一番近い場所であった辺戸岬に「祖国復帰闘争碑」が立っている。長い碑文の末尾に「この碑は、喜びを表明するためにあるのではなく、まして勝利を記念するためにあるのでもない。闘いを振り返り、大衆を信じ合い、自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の摂理のもとに生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある」と刻まれている。荒々しい冬の波を被る岬で、重く続く沖縄の五十年を語りかけている。
青年を労る冬の盲導犬 ★小林美佐子
ポンペイ遺跡の壁画には、ロープでつないだ犬が視覚障害者をひっぱっている姿が描かれていて、人と犬とのつながりは深い。現在のような盲導犬は第一次世界大戦のドイツで、戦盲者のために育成したのが始まりだという。
掲句は盲目の青年と盲導犬の絆の強さが「冬の」に表れている。他の季節では詠えない。盲導犬の忠実な眼差しが青年の未来を灯し、無償の愛を作者は感じとったのだ。
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