十人十色2022年9月 大屋 達治選
漏刻の余り水鳴る未草★井上 淳子
漏刻、とは、水時計のこと。四段ぐらいの箱を階段状に造って、一番上から一定の水を流し込み、一番下の箱に浮きをつくり矢を立てる。上から水を流すと、一番下の箱に立てた矢は、時間の経過とともに浮かび上がってくる。この矢のしるしで、時間を知るのである。天智天皇十年四月二十五日、当時、都であった、近江京(現在の大津市)で作られた、という記述が『日本書紀』に見える。この日を新暦になおすと、六月十日となり、この日を時の記念日としている。なお、斉明天皇六年(六六〇年)六月に、中大兄皇子らが、明日香で漏刻を作ったという記述もあり、その遺跡らしいものも発見されている。近江京のあとの近江神宮には、その漏刻の複製があり、六月十日に、「漏刻祭」が、とり行なわれる。
これは、その漏刻であろう。漏刻をあふれた水、使い終わった水は、音をたてて池に流れ、その池には、スイレンが咲いている、というのである。作者は岡崎の人、漏刻祭の近江神宮へ行ったのであろう。
踝にゴム跡残す夏もんぺ★我妻千代子
踝は、くるぶし、である。今はズボン(スラックス、パンツ)を履く人が多いが、ひと昔前は、農作業と言えば、もんぺ、を履いた。夏の間は暑いので、かすりで作ったような、薄手のもんぺを履く。足がもつれないように、裾には、ゴム紐を通してある。そのゴムのあとが、もんぺを脱いだあとも、くるぶしに残っているというのである。現代のトレーニングウエアのズボンにも、裾にひもが入っていて、くるぶしのところで、裾をまとめられるようになっている。知恵や工夫は、昔から変わらない。
スニーカーの踵より浸む夏の雨★木村 史子
同じような趣向が続くが、踵は、かかと、とも、きびす、とも言う。天気予報は当たらないこともあり、レインブーツを履いていけばいいところ、今日はスニーカーを履いて出かけた。運悪く、雨が降ってきた。大事にしているスニーカーは、つま先が濡れ、今度は、かかとの部分が湿ってきた。靴下も濡れ、足が気持わるい。夏の雨 梅雨なれば仕方ないが は、厄介である。スニーカーのかかとに、水が上がってくる様子がよく分かる。評者も革底の靴を履いていて、うっかり底の小さな穴を見落とし、靴の中がズブズブになって、帰宅したことがある。本当に気持ちがわるい。
渡し船櫂の渦へと竹落葉★沼尻みよ子
どこの渡し船だろうか。利根川にも十数年前まで、何か所か渡し船があったが、今は、橋が架かってなくなった。有名な「矢切の渡し」であろうか。川の湊には竹落葉が浮いていて、船頭さんが櫂の操作をするたびに、水が渦を作って、竹落葉を巻き込んでゆく。竹落葉は腐って底に沈む。よく観察していないと、作れない句である。
草取や今は日当るところにゐ★山口眞登美
夏の作業で、草取りほど、やっかいなものはない。公園なのだろうか、広い庭なのだろうか。家族なのか作業員なのか、それは読者の判断することであるが、さっきまで、木や塀の影にいたものが、今は、日の当るところで草取作業をしている。暑くて大変である。芝刈機やチェーンソーを購入するほどではないのであろう。最近、昼のテレビを見ていると、高枝切り鋏に充電式モーターの付いたような機械が出ていて、枝も切れれば、草も刈れるものを売っている。二万円位である。
夏潮や地球の丸み押し寄せて★比留間加代
作者は、横須賀在住。半時間ほど京急電鉄にのれば、三浦海岸に着く。海水浴場として有名だが、直接太平洋に面している。九十九里浜ほど広くはないが、かなり長い砂浜が続いている。はるかを眺めると、水平線は、一直線ではなく、やや丸みを帯びて見える。それにちなんで、北海道室蘭には、地球岬、千葉県銚子には、地球の丸く見える丘展望台がある。その地球の丸みを帯びた潮が満ちてくる。満ち潮に浸かるのは、幸せな時間である。
隧道や風に越されて草の笛★小棚木文子
ズイドウ、とはトンネルのことである。トンネルの中を歩いていると、後ろから風が吹いてきて、自分たちを追い越した。子供が吹く草笛の音も聞こえて来た。草笛の音も、自分たちを、風に乗って追い越していくのだろう。ふと、そう感じたのである。通常、トンネルは排気を良くするために、片方の入口が、他方の入口より小さく作ってある。作者の住む湖西市は、浜名湖南西の平野の街だから、あまりトンネルはない。国道一号バイパスが、古い市道をくぐるトンネルがあるが、それだろうか。あるいは、浜松市の城の近くにある、遠州鉄道奥山線(軽便鉄道であった)の廃線跡の狭い歩道のトンネルかもしれない。
何処より鳥運びしか棕櫚の花★笠見 弘美
私の家の庭にも、シュロが二本生えている。植えたものではない。三十年ほど前、東庭全面をキウイフルーツが覆って、ジャングルのようになり、鳥がよくつつきに来ていた。そのたびに、枝からフンを落としていた。鳥の体内を一回通過した果実の種は、適度に水分を含み、また鳥の体温であたためられて、膨張し、発芽しやすくなっている。その恩恵で、シュロのほか、アオキ(普通のと斑入り)、ナンテン、センリョウなど、こちらでは蒔いていないのに生えてきた。うちの棕櫚も二メートルぐらいの高さになり、五年ぐらい前から、初夏に花をつける。シュロは雌雄異株で、うちにある木は雄株らしく、種をつけないのが残念である。笠見さんの家の庭にも、そんな風にシュロが生えているのだろう。
五月雨の湿り下着に火熨斗かな★髙澤 克朗
火熨斗は、ひのし、と読む、炭火を入れる丸い器に柄がつき、その器の底を布に当てることによって、布のしわを伸ばす。少し大きめのひしゃくの形の水を汲むところに炭を入れて、それを布にあてる、と思えばよい。五月雨、梅雨の時期には、洗濯物や下着が、からっと乾かず、少し湿っている。そこに火熨斗をあてて、湿気をとばすのである。要は、現在のアイロンである。作者は、昔を思い出したのか、それとも、今も、アイロンでなく、火熨斗を使うのだろうか。
軽暖の日陰日向と行きにけり★高木 秀夫
けいだん、とは、初夏のあたたかい日のこと。薄暑という季語もあるが、薄暑のほうが、軽暖、より、やや暑い感じ。軽く汗をかく感じがある。高浜虚子に、<軽暖の日かげよし且つ日向よし>という句があるが、作者は、その時候の道を日陰を、また日向を歩いたのである。暑すぎて片陰がほしいという訳でもなく、寒いから日向にいたい、ということでもない。ウォーキングには最適の季節である。
夏来たる部屋の日差しで肌焦げる★杉山 恵洋
恵洋さんは中学生。薄暑の日、又は夏休みの句とみてもよい。冷房をつければ涼しいが、日差しは強く、窓際にいると、肌が焦げているような感じがする、というのである。
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