十人十色2022年12月 日原 傅選
百歳の飼屋抜けゆく武甲風★半田 桂子
養蚕の歴史は古く、考古学の遺物によると、中国ではすでに殷代(紀元前約一六〇〇?~紀元前約一〇五〇?)には行なわれていたとされる。文献の上では、『詩経』豳(ひん)風に収める「七月」という詩に「蚕月(さんげつ)桑を條(と)る」という句の見えるのが早い例である。日本にも一世紀ごろにはすでに伝えられていた可能性がある。はっきりした古い記録としては『魏志倭人伝』に「蚕を飼い、糸をつむぐ」意の「蚕桑緝績」という言葉が見える。三世紀半ばの記録である。養蚕は奈良時代には近畿から関東、東北に広がり、平安時代にはほとんど全国に及んだという。
蚕の飼育法に関しては、幕末から明治のはじめにかけてさまざまな試みがなされたことが知られている。従来は自然の天候にまかせて飼育する「清涼育」が一般的であったが、奥州伊達郡梁川の田口彦太郎によって火力を用いる「温暖育」が発明された。一方、上州の島村(現在の群馬県佐波郡境町)の田島弥平は蚕室に改良を加えて通気を重視する「清涼育」を主張、実行した。のち、群馬県高山村の高山長五郎が両者を折衷した「清温育(補温育)」を考案して、温暖育と清涼育は次第に駆逐されていったという。
明治のはじめには、群馬・福島・長野・山梨・埼玉・山形などの養蚕の先進地ではかなり大規模な養蚕の経営を行なう者も現れたという。作者は埼玉の人。百年の歴史を経た「飼屋」はさぞかし立派なものであろう。武甲山から吹き下ろす風がその飼屋を吹き抜けてゆくというのである。飼屋の構造に心を配った先人の苦心が思われる。なお、『おくのほそ道』の尾花沢の件には〈這ひ出でよ飼屋が下の蟾の声〉という「飼屋」を詠んだ芭蕉の句が見える。田島弥平と交流のあった幕末・明治の漢詩人小野湖山に「養蚕雑詩」二十首という七言絶句二十首で構成した連作がある。
穂の国を見放く岩場や登高す★井上 淳子
重陽の句。重陽は五節句の一つで中国から伝わった行事である。旧暦の九月九日に小高い丘や高い楼台に登って山野を遠望し酒宴に興ずる。その際、茱萸の枝を頭にかざしたり、菊の花びらを浮かべた酒を飲んだりして、邪気を払い、長寿を願うのである。作者もそれに倣って「登高」したのであろう。「穂の国」とは、東三河地方の古称という。
「見放(みさ)く」は遥か遠くを眺めること。『万葉集』に用例の見える古い言葉。古い言葉を生かして国誉めの雰囲気のただよう作となった。
無花果添へ薬膳めきし朝餉かな★大屋 郁女
朝食に生食用の無花果を添えたのであろう。その甘味を楽しむ訳だが、皮を<GAIJI no="00119"/>かずにまるごと出された場合は、食べられる状態にするまでが大変である。切り分け、皮を<GAIJI no="00119"/>いてすぐに食べられる状態で供された場合も、食べ慣れていない人はその色彩や形に対し、少し不思議な感じを覚えることであろう。「薬膳めきし」という言葉が無花果のもつ独特の雰囲気を言い当てている。
天高し撒餌に鯉の盛り上り★飯嶋 政江
「天高く馬肥ゆ」という言葉がある。掲句に登場する鯉も食欲旺盛で、撒かれた餌に集まり、重なるようにして餌を奪い合うのであろう。「鯉の盛り上り」という表現からそのような光景が想像されてくる。鯉同士が体を寄せ合い犇めく様子はよく目にする。<谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな 金子兜太>は「もみ合う」という言葉でそれを捉えている。
なお、「天高く馬肥ゆ」は、中国においては、本来秋になって北方騎馬民族の侵入の時期が到来したことを意味する言葉であった。『漢書』趙充国伝に「秋に到れば馬肥ゆ、変必ず起こらん」という趙充国の見解が示されている。詩に詠まれたものとしては唐の杜審言の「蘇味道に贈る」詩の「秋深塞馬肥(秋深くして塞馬肥ゆ)」の句が古い例として拾える。宋代になると呉芾(ごふつ)の「元帥宗公沢を哭す」詩の「八月秋高塞馬肥(八月秋高くして塞馬肥ゆ)」のように「秋高し」と「馬肥ゆ」とを結びつける句が多く見えるようになる。表現として定着したのであろう。
秋暑し嗄れ声の九官鳥★橋本 綾
嗄れ声で話す九官鳥がいる。九官鳥の喉が潰れた訳でもなく、秋の暑さに負けた訳でもない。九官鳥に言葉を教えた人自体の声が嗄れ声であったのだろう。その嗄れ声を律儀に真似している九官鳥。一読した読み手をくすりとさせるユーモアを湛えた作。
除菌液充たして終へる夜業かな★小棚木文子
「よなべ」「夜業」は秋の季語。秋の夜長に昼間やりきれなかった仕事の続きをするというのがこの季語の本意のようだ。「よなべ」というと農家や職人など内輪の人が座を囲んで少人数でする作業の感じが強い。一方、「夜業」の方は会社や工場など大きな組織での残業の感じがする。この句も多くの人が出入りする会社などの現場を詠んだ句と思われる。コロナ禍のもと、部屋の出入り口などに除菌液を置くことが一般的になった。皆が使って減った分を補充することが残業の最後の仕事として加わったというのである。「除菌液」という俳句の素材としては新しいものを実感を伴うかたちで詠み込んだ作と言えよう。
ちちろ鳴く文学館の木の温み★金子 正治
木造の文学館が思い浮かぶ。木造というと古いイメージが強いが、最近は木造であっても耐震性・耐火性の強い建物を造ることができるようになっているので、そういった技法を用いた新しい文学館なのかもしれない。書物をあつかう文学館は、その性格から言って、木の温みの感じられる建物であることはあらまほしきことである。それを作者も喜んでいるのであろう。屋外で鳴く蟋蟀の声もより親しく聞こえてくるに違いない。
月の暈薄墨色のバルト海★大和田和子
暈のかかった月が出ている。その月のもとに広がるのはバルト海。大景を詠んだ作である。上五中七と読み進めたところまでは、日本的あるいは東洋的といってもいい風景が思い浮かぶが、下五の「バルト海」の登場によって、頭のなかに思い描いていた景が一挙に転換する。そこが面白い。作者はスウェーデンにお住まい。
白桃を啜りてけふもつつがなく★鳩 泰一
硬い桃を好む人もおれば、汁のしたたるような熟した桃を好む人もいる。作者は後者のようだ。古くから桃には魔除けの力があると信じられてきた。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国から逃げ帰った際に桃の実を投げつけて黄泉軍(よもついくさ)を撃退した話はよく知られている。作者も汁のしたたる白桃にかぶりつきながら桃の霊力を信じているような口ぶりである。
景品の箱の古びて夜店の灯★長岡 ふみ
場末にともる夜店の灯。景品を掲げる夜店といえば、射的や輪投げといったたぐいの夜店が思い浮かぶ。客が狙う数多並ぶ景品の中に古びた箱があるのが気になるのである。夜店には子どもの心を夢中にさせるような華やかな面もあるが、時にわびしい哀れな面を見せることもある。掲句は後者に焦点を当てた作。
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