十人十色2023年5月 大屋 達治選
糸電話したがる子ども春の昼★益永 涼子
糸電話は、いまも小学校の「学習指導要領」に入っているのだろうか。子供たちに、「音」の伝わり方を教えるには、最適の教材である。私が子供のころは、工作の時間に作った。今は、トイレットペーパーの芯という便利な材料があるが、当時は、竹の節のないところを二つ切って、硫酸紙を貼り、マッチの軸をその中にとめて、そこに糸をつないだ。二十メートルの長い糸を張ったが、校庭でためすと、よく聞こえた。最近は、ゲームを始めいろいろな玩具があるから、子供たちはそちらで遊びそうだが、やはり、不思議な原始的なものでも遊びたいのである。「春の昼」が効いている。作者は福島・郡山の人。高校の先生をしている。
仕事始患者に干支をたづねをり★木村 史子
作者は看護師さんだろうか。あるいは理学療法士だろうか。ともかく病院で働いている。新年が明けて、初出勤の日、診察か付き添いの折に、担当の患者に干支をたずねたのである。患者の年齢を知ることは、治療の上で参考になり、おそらくカルテにも書いてある。そこで干支をたずねたのである。だいたい年齢も分かるし、また、患者とのコミュニケーションをよくするきっかけともなる。年の初めであるから、話題にも載せやすい。ついつい病気の話題だけになりがちになるから、患者との意思の疎通にもなる。良い医療関係者である。
寒土用あたためくるる聴診器★喜多村純子
医者に行っても、聴診器を胸に当てられる機会は、このごろはめったにない。この作者は、おそらく呼吸器系の疾患で、医者にかかったのであろう。「胸の音を聞いてみましょうか」と言われ、聴診器を当てられる。寒土用だから金属は冷たい。それを、ストーブか何かにかざして、ちょっとあたためてから、胸に当ててくれる。エアコンの効いた大病院ではなく、小さな町の医院を思う。医療関係の句が二句続いた。
シーソーの夜の水平雪兎★宮代 麻子
雪の降った朝、雪兎を作った。目には、南天などの赤い実を入れる。雪は日中には止んだが、寒さが続いて、雪兎は溶けずにそのままである。雪が残っていても、子供たちは公園で遊ぶ。うすく雪の積ったシーソーも、雪を落として乾かしてから、子供たちが遊んでいた。私の住むあたりでは、四時半前後になると、「暗くなるので、子供たちは家に帰りましょう」という防災無線が流れ、午後五時には決まった音楽が流れる。そうすると公園から子供の姿が消える。シーソーは上下しなくなり、水平で止まったまま闇の中に残る。その脇に白い雪兎が光っている。私は、このように解したが、日中も雪が降っていて、その中で子供が遊び、雪兎を作ったとしてもよい。作者は神奈川の人だから、そんなに深い雪でもないだろう。子供がよろこぶ雪である。
雛の日の膝のかさぶた隠しし日★永野 裕子
句の末尾が「隠しし日」となっているから、ご自身の思い出だろうか。あるいは、お子さんのことかも知れない。詠まれているのは「女の子」である。転んで怪我をしたのだろうか。あるいは何か部活動に入っていて(バレーボール等)、膝をすりむいたのだろうか。膝にある傷がスカートから見えるのは恥ずかしい。(私共のころは、怪我をしたら赤チンだったから、余計恥ずかしかった)折しも、雛の節句で、雛飾りの前で記念写真を撮ったりする。スカートの女の子は、余計はずかしいのである。それで、かさぶたを隠した。
凍雲や進学塾のゴシック体★森野 美穂
私の家の近くでも、ビルのテナントから、会社などが撤退したあとなどを改装して、進学塾になっている所がある。大手のチェーン展開をしている進学塾はもとより、今は、いろいろな塾ができている。昔は、塾の看板は手書きのものもあったが、このごろの塾の看板は、みな印刷をした形、それもゴシック体で目立つように書いてある。寒い冬、曇りがちで凍雲が出ている。それでも、二、三月の受験の季節には、明るく灯した進学塾の看板が目立つ。そういう時代である。
汲み上げし釣瓶の湯気も寒四郎★藤域 元
寒い冬の時期、外気温は零度近くになったりする。とくに寒四郎、小寒(寒の入り)から四日目は寒い。そんな外気の中で、井戸水を汲み上げると、釣瓶の水から湯気が立っている。いろいろ調べると、北国を除けば、井戸水などの湧水の温度は、だいたい十五度前後である。外気温零度のところに引き上げれば、湯気が立つのである。湖や海から湯気が立つことはよく聞くが、井戸の釣瓶から湯気が立つという発見は新しい。作者はよく観察している。
密林の堰に大根洗ひけり★村雨 遊
密林と大根、という取り合わせに、はじめは不思議を感じた。しかし、作者が沖縄の人と分かって、納得した。たしかに、ヤンバルクイナの住むような森は、日本には珍しい「密林」である。しかし、そこには小流れがあり、その堰で、収穫した大根を洗っている。沖縄の人でなければ思いつかない発見である。
北欧の日数積もりて寒の明け★羽奈鳥すすき
作者はスウェーデン在住。スウェーデンも冬は、昼が短い、いわゆる「極夜」(ポーラー・ナイト)が続く。その暗鬱な日々を重ねていると、ようやく、寒の明けが来る。まだ雪も降るだろう。その長い冬を辛抱強く暮らしていると、やがて春がやってくる。
薔薇芽吹くダウニング街十番地★安藤小夜子
ダウニング街十番地、すなわちDOWNING10(ダウニング・テン)は、イギリスの首相公邸の所在地である。となりの十一番地は、財務大臣公邸で、ほかに外務・連邦省の建物が並んでいる。英国ロンドンの官公庁通りである。英国の首相は、このダウニング街十番地の公邸から出て来て、記者会見を行なう。その狭い庭には、薔薇も植えられていて、芽吹きはじめている。ダウニング街十番地は、米国のホワイトハウスに当たる訳である。また、薔薇は、イングランドの国花でもあるから、首相公邸の庭には、ふさわしい。
有馬先生がよく仰しゃっていたのは、「天為」を創刊して、投句を見ていると、そこに作者の人生が「見える」、ということである。私達が「天為」の選者をはじめてからも、同じようなことが見えてくる。ただ、あまりに日常を詠みすぎると、老いと病が目立つ。コロナの影響もあるだろうが、どうか、家の周囲の自然にも目を向けて、俳句を作ってほしい、と選者は考える。
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