十人十色2023年6月 福永 法弘選
なりたての民生委員チューリップ★冨士原 博美
民生委員は民生委員法(昭和二十三年制定)に基づき任命される特別職の地方公務員であり、「社会奉仕の精神をもつて、常に住民の立場に立つて相談に応じ、及び必要な援助を行い、もつて社会福祉の増進に努める」(第一条)ことと定義されている。要は、日本の社会福祉を地域の根底において支える業務である。元気な高齢者で地域のことを深く知る人が任命されるケースが多いが、実費しか補填されない無報酬のため、他者への思いやりのない人には決して務まらない仕事だ。
作者はその民生委員に新たに任命されたのである。チューリップを季語としたことで、希望に燃える小学一年生のように、意欲と使命感に高揚している様がうかがわれる。
春潮や震災見舞ひのモアイ像★井上 和子
モアイ像は南米チリの沖合に浮かぶイースター島のシンボルである。これまで、その島の石で作られたモアイ像が島外に出ることは基本的にはなかったが、東日本大震災への見舞いと友好の証しとして初めて、震災の二年後に、チリ政府から南三陸町に贈られた。モアイとは島で使われているラパヌイ語で「未来に生きる」という意味である。
待ち人の来る陽炎の向こうより★児島 春野
陽炎は、強い日射のために空気の密度にばらつきが生じ、物の形が揺らいで見える現象のこと。夏にも起きるが、麗らかな春の情趣が勝ることから春の季語とされている。従って、この句も、夏のぎらぎら<GAIJI no="00560"/>る感情ではなく、春のまだ萌え始めたばかりの風情として、待つ人とやって来る人との間のわずかな揺らぎを目に浮かべて欲しい。
待っている人がある、待ってくれている人があるのは、どちらも生きる張り合いがあって、嬉しいものだ。
春の虹顕ちたり西の明日香村★宮田 敏子
岡山県真庭市の北房地区には三世紀から七世紀にかけての古墳が二百五十基以上もあり、近年、「西の明日香村」と呼んで地域起こし、地域再認識の動きが活発化している。ほとんど手付かずだった三世紀頃の築造と目される荒木山西塚古墳も、地元の文化遺産保存団体の主導により、発掘調査の緒についたばかりである。
古墳時代、この地方には、大和や出雲に比肩する有力豪族が盤踞していたのだろう。古代史は謎だらけ。春の虹が、ここが歴史ロマンの地であることを主張している。
太鼓鳴る久住高原野火つけて★溝口 田鶴代
久住高原は大分県の久住山及び大船山の南麓に拡がる高原で、阿蘇くじゅう国立公園の一角を成している。久住での野焼きは放牧、採草などを目的に数百年も前から行われている伝統で、草原の新陳代謝を促すための欠かせない作業である。広大な高原を野火が走る様も、雄大な阿蘇を背景に打ち鳴らされる九重太鼓も、実に壮大だ。
菱餅のひし形のごと不整脈★益永 涼子
私も十年くらい前から、期外収縮という不整脈に悩まされている。あの不快な不整脈を、菱餅のひし形四辺に例える発想には驚いた。次に不整脈が起きたら、きっとこの句を思い出し、「ああ、今のこの間隔は、ひし形の長辺の方だな」などと余裕をもって耐えられるだろう。
書の山を少し崩して春日差す★小棚木 文子
「崩す」の主語をどう読むかで悩んだ。俳句は一人称の文芸なので、先ずは主語を作者として鑑賞するのが基本だが、この句でその通りに解釈すると、冬籠りの間に積み上がった書の山を作者が崩し、そこから春の日が差し込んだということになり、あまりに平凡。
だがこれを、崩したのは春の日差しだとして読んだらどうだろうか。春の日差しが書の山を崩し、作者に、まるで寺山修司の如く、「書を捨てよ街へ出よう」と春の到来を告げているのである。
期せずしてリンクコーデとなる花見★永野 裕子
リンクコーデとは、恋人や友達、あるいは仲の良い親子などが、それぞれの服に同じ素材や配色を使うことで、さりげなくつながりを感じさせるコーディネート。「さりげなく」がリンクコーデのミソだが、「期せずして」そうなってしまったところにこの句の俳味がある。
灰皿を男女で囲み三鬼の忌★鳩 泰一
西東三鬼は俳句もその生き様も極めて個性的で、その作品は忘れ去られることなく、人口に膾炙している。この句の男女はいったい何人だろうと考え、すぐに三鬼の<緑陰に三人の老婆わらへりき>に思い当たった。灰皿を囲んで、老婆二人と老翁一人が、煙草を必要以上にふかせている構図。なぜ老婆の方が多いかと言えば、女性の方が長生きだから。彼の忌日が四月一日なのもどこか意味深だ。
臨終は甘美なるべし春夕焼★西村 寒蟬
甘美な臨終とはいかなるものだろう。浄土信仰が頂点を迎えた藤原摂関時代、時の最高権力者藤原道長は臨終に際し、釈迦入滅と同じ北枕で極楽浄土がある西に向かって横たわり、僧侶たちの読経の中、自身も念仏を唱え、手には阿弥陀如来像に結ばれた五色の糸を握り、往生を遂げたという。
冴返る墓を洗うて墓仕舞ひ★宇賀村 和花
墓仕舞いとは墓石を撤去して土地を更地にし、管理者に使用権を返還すること。作者はその作業の前の冴え返る日、墓を洗ったのである。
墓仕舞いの手続きは土地を返還しただけでは終わらない。取り出した遺骨を別の場所に移したり、永代供養の手配をしたりなどの面倒が続くのだが、それはそれ、この後のこと。何よりも先ず、墓石を洗いつつ、先祖との会話を心残りの無いよう済ませたのである。
春うららマスク不用の大あくび★木村 ゆみ子
卒業歌初めてわかる友の顔★池西 季詩夫
コロナ禍でマスク生活が三年以上続いているが、三月初旬、国のマスク着用推奨が撤廃されたことから、少しずつだが、ノーマスクの人が増えてきた。マスクから解放されての大あくび、卒業式で初めてノーマスクの友の顔を見た驚き。今の時代でしか作れない、今を生きる者でしか実感し得ない、不易より流行に傾きを置いた時事俳句。
たんぽぽのぽぽに妖精ゐるらしく★安倍 雄代
手作りの小さき雛に笏もなし★平沢 晶子
それぞれ有名な先行句、坪内稔典の<たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ>、松本たかしの<仕る手に笛もなし古雛>が思い浮かぶ。先人の発想や表現に学ぶのは、日本の伝統詩歌の特長の「本歌取り」として、俳句の楽しみ方の一つ。
ぶつだんにあまいぼたもち春ひがん★荒川麻梨子(小二)
同じものだが呼び名が違い、ぼたもちは春、おはぎは秋。先ずは仏壇のご先祖に供え、子供らにはその後。
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