十人十色2023年7月 大屋 達治選
今月より、「天為集」の選句の担当が、少し変更になる。西村我尼吾氏のインドネシアからの帰国に伴い、現在は、「麦」会長を兼務している対馬康子氏の任が重すぎるため、天為集選者から外れ、そのあとに、西村我尼吾氏が入る。ただ、現状は、大屋の担当が、一月号、五月号、九月号の天為集の選だが、一月号の選句は、十一月に行なうので、「有馬朗人俳句賞」の選と重なる。実は、大屋は、有馬先生の亡くなった年、右目網膜剥離の手術を入院して三度受け、その後も通院しているが、右目の視力が〇・〇一以下で、やっと物のかたちが見える状態。読むのも書くのも左目一眼だけで行なっている。多くの俳句を閲読するのは難しい。そこで、今まで対馬康子氏の担当する月の分を、大屋が行ない、大屋が担当していた月に、西村我尼吾氏が入ることとなる。日原傳氏、福永法弘氏の担当月は変わらない。従って、今月号から、大屋、日原、西村、福永の順で交替することとなる。
雪割つて土の匂ひのなつかしき 古川 洋三★
作者は、北海道・小樽の人。小樽は、五月の連休のころまで雪が降ることもあり、また積った雪、除雪された雪が、野原などに残っている。その雪がようやく溶けてきて、またスコップなどで掘ると、土の層が出てくる。その土を手に持ってみると、土の匂いがする。その匂いが、なつかしい、というのである。いかにも北国の人の感慨がある。昔は、道路も舗装されず(舗装しても凍土して道路が破壊されることもある)土のままで、よりいっそう、この土の匂いの感じがあったであろう。雪が完全に消えて、土が乾いてくると、雪の下にあった馬糞が、粉となって舞う。このころ吹く風を「バフンカゼ(馬糞風)」とは、よく言ったものである。
花冷や鵺の名をもつ郷の暮 小棚木文子★
作者は、静岡県湖西市の人。JR東海の駅でいうと、新所原(しんじょはら)が近い。その北の浜名湖の北西にある猪鼻湖に面して、「鵺代(ぬえしろ)」という集落がある。以前は、引佐郡三ヶ日町、現在は、浜松市北区三ヶ日町にある。もともとは、「贄代(にえしろ)」と言われていたようなのだが、もともと源氏の源頼政の領地。鎌倉時代に、鈴鹿山脈付近に隠れていた、頼政の四代(六代とも)の孫という清政が現われて、この地の領主となった。その折に、源三位頼政の鵺退治にちなんで「鵺代」と改名したようである。のちにこの一統は浜名氏と名乗って、今川軍団の下についた。大矢氏のち大屋氏はその分家で、本家の浜名氏は、猪鼻半島上に浜名佐久城を持ち、徳川家康の遠江侵攻の折は、今川氏真に従って逃げ回っていた。家康から、浜名佐久城の開城を勧告され、次男家の一族の長老・大屋政頼が降伏、開城に応じた。大屋一族は、家康の命により、家名は残され、本多氏や戸田氏の配下となった。その戸田氏鉄についたのが、わが大屋の先祖である。和久田隆子さんのご配慮で、鵺代と尾奈の峰を吟行したことがある。<鵺代の鵺の降らする春の雨 大屋達治>。文子さんの句は、花冷の、暮の句だが、この地には、そういう寂しさがふさわしい。
船絵馬の岩群青や風光る 久世 裕子★(永野改め)
航海の安全や豊漁を祈願して、寺社に絵馬を奉納する。もともとは名の通り、馬の絵を描いた額を奉納していたが、のちには、船の絵を描いた額を船主が奉納するようになった。額には、船の他に白波や岩なども描かれる。その岩が群青色だというのである。群青は高価な絵具だが、海の水色、波の白色と相俟って美しい、というのである。「風光る」という季語も効いている。裕子さんは富山の人だが、この絵馬があるのは、射水市(旧新湊市)の放生津八幡宮ではなかろうか。作者は今回から、永野裕子から久世裕子に改める。
卒業式いつものやうに「また今度」 杉山 恵洋★
恵洋さんは、以前から小中学生の部に投句していたが、この春の高校入学を機に、天為集に投句されることとなった。卒業式が終って、進路の高校は違うのに、友達と「じゃあ、また今度ね」と言い合って別れてゆく。次に会うのは数か月先かも知れないのに。その発見が良い。フランス語で「ア・ドゥマン(à demain)」は、「オールボワール」(aurevoir)」とともに「別れ」の意味だが、「ア・ドゥマン」は、「また明日」の意味でもある。大阪弁なら、「ほなナ」で終るのだが。
福寿草群るる棚田のなぞへかな 進藤 利文★
「福寿草」は、新年の季語だが、それは正月の鉢植用に栽培されたものである。この句の福寿草は、日本に自生するものであり、四~五月に花を咲かせる。それが普通なのだが、福寿草は江戸時代から「室(今のフレーム)」で育てられて正月用にされている。この句は自然界の福寿草。なぞへ、とは斜面になっている所の意味である。
海行きの電車の中の入社式 宮代 麻子★
四月には各企業の入社式がホールや講堂で行なわれるが、この会社は、海へ向かう電車の中で行なうという。ひょっとして小田急電鉄だろうか。おもしろい発見である。小田急はロマンスカーの最前部車両を貸切にして、結婚式を挙げさせ、箱根のホテルに宿泊、というサービスも行なっているから、そう思うのである。
春ゆくや庭師の入る花時計 高島 郁文★
花時計は、花壇の中に丸く時計の装置を収めたもの。その前を通ったら、庭師がたまたま中にいて、季節がわりの草花を植えかえている、というのである。確かに手入れをしないと花時計は成立しない。作者は良い所に行き合った。もちろん、それを一句に表現するのは、たやすくはない。
大木の揺れて古巣のゆるぎなし 江川 博子★
風で大きな木が右へ左へと大きく揺れている。しかし、その木の真ん中あたりに作られた古い鳥の巣は、ゆるぎもしない。以前、裏の家にハゼの木があり、五月ごろ、キジバトが巣を隠れるように作っていた。鳥には、ここなら巣をかけても大丈夫、という自信があるのだろう。
蓬摘む土手は湖へと続きをり 加茂 智子★
作者は浜松の人。実は、浜名湖からは、東の浜松に向って川があったり、佐鳴湖という小さな湖があって、湖から続いている。そのどん詰まりが、築山御前が殺害された、御前谷(浜松市中区富塚)である。だから、土手を逆にたどれば、浜名湖にたどりつくことになる。
赤チンと母の呪ひ葱坊主 金山 哲雄★
赤チン、と聞いても知らない人が多くなった。マーキュロクロム水溶液というのが正式な名称である。消毒液として、昔はよく使われた。今なら、マキロン、くらいの手軽さである。傷口に塗ると真っ赤になるので、すぐケガをしたと分かる。しかし、有機水銀を含んでいるので、最近は使われなくなった。私は一九六〇年に虫垂炎の手術をしたのだが、手術前に消毒のため、お腹から太腿まで赤チンをぶちまけられた。半ズボンを履いた男の子(あるいは吊りスカートの女の子)が、膝をすりむいたりしてケガをした。母親が、赤チンを塗ってくれ、よしよし早く良くなれ、とおまじないをしてくれるのである。葱坊主が効いている。
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