十人十色2023年8月 日原 傳選
小手毬にはなむぐり風やさしき日 ★久世 裕子
「小手毬」はバラ科シモツケ属の落葉小低木。中国原産で、日本には江戸時代に渡来した。四、五月ごろ、枝先に小さい白色五弁花を球状にたくさん付ける。その形状による命名という。「団子花」という異称もある。「はなむぐり」は甲虫目コガネムシ科の昆虫。掲句は、小手毬の花の蜜を嘗めようとはなむぐりがその花に取りついているさまを描いた作。「はなむぐり(花潜)」という名称に背かず、頭を花のなかに入れて夢中になって活動しているのであろう。「はなむぐり」という固有名詞がその動作を髣髴とさせるかたちでうまく使われている。その上で、「風やさしき日」という言葉が花と虫の両者を包み込む。その措辞からは、はなむぐりに注ぐ作者の温かなまなざしが感じられる。
なりきつて園児の顔は雛なり ★上脇 立哉
三月三日の雛祭。保育園や幼稚園における光景を想像した。園児達はその日に向けて雛の絵を描いたり、工作で雛人形を作ったりするのかもしれない。あるいは園のホールに雛壇がしつらえられ、雛人形が勢揃いしているのかもしれない。そういったなかで遊ぶ園児達は自分も雛人形の仲間になったような気分で遊んでいるのではなかろうか。「なりきつて」という上五の措辞からそのような読みに誘われる。それを受けた「園児の顔は雛なり」という最後の断定が面白い。
土間涼し酒蔵の梁ほの暗く ★鳩 泰一
日本酒を醸造する酒蔵を訪ねたのであろう。酒蔵の土間は夏でもひんやりとしている。光のほとんど差さない空間である。作者はその土間の高いところに渡る梁を見上げた。酒蔵の梁であるから太く立派なものに違いない。色も黒々としていることだろう。それを「ほの暗く」と言い留めた。長い歴史を経た酒蔵の様子が髣髴としてくる。
短夜や開きしままの「夢十夜」 ★平沢 晶子
夏の夜、卓上に漱石の小説「夢十夜」が読みさしの状態で置かれているのに気づいた。「開きしまま」とあるので、ちょっと前まで読んでいた人が、本を置いたままどこかに行ってしまった感じがする。「夢十夜」は「夢」をテーマとした十篇の短編小説で構成されている。仰向きに寝た女が「死んだら、埋めて下さい」「百年待ってゐてください」と語りかける第一夜。運慶は「眉(まみえ)や鼻を鑿で作るんぢやない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋つてゐるのを、鑿と槌の力で掘り出す迄だ」という言葉に感化され、自分でも試みるが、結局仁王を彫ることは出来なかったという第六夜。夢の内容は多彩である。「短夜」という季語は夏の夜の明けやすさを意識した言葉。短い夢の話が次々と語られてゆく「夢十夜」の世界の展開を促すかたちで季語が働いている。また、開いたままの「夢十夜」の存在に気づいたこと自体が夢の中の出来事であったかとのような気分にも導かれてゆく。
戦ひは砂丘の空や祭凧 ★松尾 久子
作者は静岡の人。浜松の凧揚げを詠んだ句であろう。浜松の凧揚げは有名。現在は五月の三日から五日にかけて行なわれているようだ。各町が大きな凧を揚げ、互いの糸を絡ませて切り合う「凧合戦」が祭の中心。その戦いの場となる中田島砂丘は日本三大砂丘の一つに数えられるという。広い砂丘の上に広がる大空における勇壮な戦い。大きな空間を捉えた作である。
ゲーテ・シラー散策の道若葉風 ★折田 利夫
ゲーテ(一七四九~一八三二)とシラー(一七五九~一八〇五)は共にドイツを代表する作家。掲句の舞台はベルリンの西南約二百キロに位置するワイマールであろう。旧市街が残り、世界遺産にも登録されているワイマールにはゲーテの旧邸宅がほぼ原型のまま保存されている。なお、ゲーテがワイマールに来たのは二十六歳の時。当地を治めていたアンナ・アマーリア大公妃に招かれてのこと。政治に携わり、宰相にまで登りつめた。また、宮廷劇場の総監督ともなったゲーテは劇作家であるシラーを呼び寄せている。
折田さんはドイツを旅されたのであろう。そして、ゲーテとシラーが散策したとされる古い道をたどったのである。二人に思いを馳せながら歩く古道に吹く若葉風はさぞかしこころよかったことであろう。
花供養吉野の青き蔵王仏 ★氏家 春子
「花供養」は京都の鞍馬寺で行なわれる「鞍馬の花供養」が有名。この句は吉野とあるので、吉野の金峯山(きんぷせん寺の蔵王堂で行なわれる花会式を詠んだ作品であろう。現在は四月の十一、十二日に行なわれている。白河天皇の時代の桜の花神の供養に始まったとされる古い法会である。山伏・稚児の行列が満開の桜の下を蔵王堂に進み、堂内では剣・斧・松明を持った三匹の鬼が悪霊を鎮めた後、懺法(せんぽう)が行なわれ、山桜を花神に供えたあと、餅配りになるという。蔵王堂の本尊である蔵王権現は掲句にあるように青い色をした異形仏。なお、吉野の花会式、蔵王権現を詠んだ先行句としては<花会式かへりは国栖(くず)に宿らむか 原石鼎><喚鐘にみだるる燭や花会式 水原秋櫻子><目つむれば蔵王権現後の月 阿波野青畝>などが挙げられる。
母の日やチェリーレッドのリップ買ふ ★加茂 智子
五月の第二日曜の母の日。母への贈り物を思案の末にチェリーレッドの口紅にしたというのであろう。色見本を見ると同じレッドと言っても「ローズレッド」「ワインレッド」「ルビーレッド」「ポピーレッド」「チャイニーズレッド」「インディアンレッド」「ディープレッド」等々限りなくある。「チェリーレッド」は強い赤色。色選びの背景に物語がありそうである。
春眠し枕に伸びる猫の足 ★望月 美住
唐の孟浩然「春暁」詩の「春眠暁を覚えず」の世界。人も眠ければ、猫も眠い。眠さを覚えつつも人間の方はようやく目を覚ました。その時、作者の枕にぐっすり寝込んだ猫の足が伸びていることに気づいたというのである。猫の寝相の奔放さが想像される。一方、人間の寝相の方もあるいは猫に似たものだったのかもしれない。ユーモラスな句である。
皆違う字体の社名街薄暑 ★児島 春野
やや暑さを覚えるようになった初夏の街。その街の大通りを歩いているのであろう。目に入ってくるビルなどには会社の看板が掲げられている。縦書きもあれば横書きもある。会社のマークの有無、あるいは文字の色にも違いがあるだろうが、作者の注目したのは字体の違いというのである。ちょっと変わった視点からの切り口であるところが面白い。同じものを見ても専門や嗜好の違いによって見える世界が違ってくることはままあることだろう。気になり出すとあれこれ見比べてしまう。暑さも増してきそうである。
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