土竜打つ産土祀る志 鹿志村余慶
大田青丘博士は「文心雕龍」について、「詩は志を言ふを主とし」(宗経篇)「心生じて言立ち、」(原道篇)「心に在るを志と為し、言に発するを詩となす。」と古今集の真名序に影響を与えたと述べている。(昭和四十九年新釈漢文大系季報No36)すなわち「句」とは人の心からまず生じる志に起因する。「句」の本質は「究る」ことにあるとされる。土竜打つというのは正月に集団で家々をまわり、地面を箒でたたいて土竜をおいだすという行事である。土竜は地下を掘るので根を傷めたりすることもあるという。しかし人々の文化として、このような行事が、歳時化されていることに対して、「土竜打つ」という行為は、その地の地霊に対する年ごとの挨拶であり、産土の神に祀らう詩人の志を示すものとして作者は作品に仕立て上げた。
老若の肉叢の湯気寒参り 居林まさを
寒参りとは本来本懐を遂げることを切願する「行」として深夜に行われるものである。芭蕉は野ざらし紀行の旅、の小文の旅、奥の細道の旅、最後の長崎への旅など生涯を旅人として俳人格を高めていった。それは、最初は自分の外に造化の存在を畏敬するところから始まったが、身・口・意のいわば、三密瑜伽行を旅という形で終生行うことにより自己の内面に永遠なる真実が存在することに悟達した。それが、軽みの境地である。そこで求められたもののひとつが加藤楸邨も語っている歩行的思考である。芭蕉の旅は極限まで体を駆使することを含んでいたが、この作品に現れている寒参りも、老若ともに湯気が立つまで激しく自己の内面に対峙して行われた。肉叢ということばによって、その行の激しさが実感として伝わってくる。
往き交ふはみな河豚食みし微醺顔 藤域 元
松山に赴任していたころは三年で数十匹の河豚を皆で食べた。現在では、年末には、安徳天皇行幸の地である高松の六万寺の妻康子の実家で二、三匹の河豚を柵とアラに切ってもらって、一、二日寝かせながら、柵を刺身に引いて家族で楽しむことにしている。河豚の刺身は一日ぐらい寝かせると固まって薄く切れて皆に好まれる。この作品における微醺という表現は、ほろ酔いという意味に加えて、河豚を寝かせて刺身にする感じが絶妙に現れており、面白い。ただし、我尼吾はおろしたての弾力のある河豚の柵を太くひいて食べるのも好きである。
鬼の役継ぐ者はなし鬼は外 進藤 利文
高齢化社会における現実をペーソスある表現で切り取っている。宮中で大日に行われた鬼遣らいの儀式が節分の儀式へと変化していき庶民の間で盛んになった。伝統行事においては、継ぐ者が役割として存在する。しかし自分が鬼になって子供たちに豆をまいてもらうという家族の節分の楽しみ方は、時代の変化とともに、核家族化、少子高齢化の波を避けては通れなくなった。継ぐ者のいない鬼に「鬼は外」とさらに追い打ちをかけるように囃すことに何とも言えない哀感が漂う。
茹でこぼす水も春の香蕗の祖父 岩川 富江
蕗の祖父とは蕗の新芽も硬くなって薹が立ったフキノトウの異名だと言われる。しかし私はさらに蕗が茎をのばし、大きな葉をつけ花を咲かした後のことを蕗の祖父だと思った。鎌を持って、何本か生えているうちの端の方のみずみずしい蕗を切って葉を落とし、切り口から水がしたたり落ちるような新鮮な蕗。持ち帰って塩をし、手まわしをして皮をきやすくする。大きな鍋で茹でて皮をくと出来上がり。茹でたお湯と共に、一気に春の香に包まれる。蕗の芽も茎も春の香りに満ちている。
馬の膏ひさぐ毛馬内雁木市 山田 一政
秋田県の毛馬内は踊りで有名な町である。古い町並みを形成するものとして雁木という家の造作に特徴がある。雁行の様子が階段の形に見えるためそれに似た形状を持つ構造物のことを雁木と呼ぶ。雪が深い秋田では商店街のつき出た庇の屋根が狭いアーケードのように続く。そこに市が立ち馬の膏が商いされる。毛馬内の冬の風物詩。そこに住む人の生活の知恵と恵みのありがたさを簡潔な表現で示した。そこでのやり取りの声が聞こえてきそうである。
蟋蟀といふ名の博士寒き 川野 恵
キリギリス博士ならぬ蟋蟀博士が寒いに現れる。この句は公案のように蟋蟀博士という名を読者に示し配合として寒きを付け合せる。声字実相義に「阿の字は何れの名をか呼ぶ。法身の名字を表す。すなわちこれ声字なり。」と書かれている。表面上はなんの関係もないように見えるものの間にあたらしい関係性を見出し、それを作品として創造するのが俳句という詩の力である。コオロギの本質を体現した不思議な名を持つ博士は寒いに現れるという関係を示された時、寒いに出くわせばそう思ってしまうのである。
現世に梅一輪の降りし夜 中島 敏晴
空海の声字実相義については昨年の九月号にて引用した。その偈頌の二句目に「十界に言語を具す」と書かれている。これはすべてのものが相応渉入する瑜伽の境地に立てば、世界は、何人も時間、空間、次元を超越して超言語である言語で満たされていることを知ることができるということである。この現実世界に咲く一輪の梅の美しさも人間の有する六つの感覚を体現する六塵の文字として我々のところに降ってくる超言語なのである。俳句は悟りを得るためのものではないが、芭蕉が言うように「ものの見えたるひかり」により時に悟りの光の一端を垣間見ることができる。
心願の見えぬ炎やのちの雪 田中 梓
井筒俊彦の深層意識モデルを大学で講義した。それは如何にして心願を明らかにするかと言う講義であった。俳句は句の持つ力により深層の自分の心の源底に到達し、いったい自分は本当は何が好きなのかを分らせてくれる世界で唯一の詩形であると考えている。角川の「俳句」三月号の拙論を読んでいただきたい。のちの雪は舞踊家で俳人の武原はんの随筆の名。「雪」は女心の心願を舞う彼女の代表舞踊である。この作品の「心願の見えぬ炎」とは満たされぬ恋の情念を表している。
指を吸ふ字引きのやうな野焼かな 椋 あくた
昔の受験生はわからない単語を調べる時、神業のようにぴたりとその単語のあるページを開いたものである。この句に示されているように字引が「指を吸う」ようにである。手品のようにめらめらとページが次々にめくられてゆく世界を幻視すると、この句は野焼きで燃え上がる炎の様をそのように比喩している。別の角度から解釈すれば、指を吸うように的確に答えを示してくれる字引のように、周到に用意された方向に的確に野焼きが進んでいく様を表してもいる。どちらに解釈しても優れた比喩である。
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