十人十色2024年6月 福永 法弘選
伊賀上野春や岸本尚毅ゐて 川野 恵
春のある日、芭蕉と忍者の里伊賀上野に岸本尚毅氏が居たというだけの句である。だが、この句から目が逸らせなくなったのは、(春や達治幽霊坂をのぼりくる)(大屋達治)の句が浮かんでしまったからだ。達治句はある意味、ドッペルゲンガー即ち自己像幻視に辿りつくのだが、恵句も、分身の術を駆使する尚毅氏が「俳句あるところ尚毅あり」とばかりに同時多発的に出没しているのだと捉えると、実にユニークな句になる。芭蕉忍者説もあることだし。
春風がめくる陶狸の通ひ帳 古宮 節子
伊賀に並ぶ忍者の里が甲賀。信楽はその一角を占め、でっぷり太った狸がお酒の通い帳を提げている構図の陶器の置物は、日本はおろか、世界中に知れ渡っている信楽焼の名物である。提げている通い帳の部分も陶器で出来ているから、風でめくれるはずはないが、それをあえて、春風がめくると詠んだところにこの句の面白さがある。
青き踏むファーストシューズは乳の色 藤井 素
ファーストシューズは歩き始めた赤ちゃんが履く初めての靴のこと。家の中でも靴を履く習慣のあるヨーロッパ発祥の風習だが、日本での認知度はまだまだのようだ。一方、青き踏むは古代中国の三月三日の習俗に由来する季語で、春に芽生えた青草を踏みながら野山に遊ぶことを指す。
ヨーロッパ発祥の風習と中国由来の季語。洋の東西のマッチング句といえるだろう。そして乳色は、母親と幼児を繋ぐ母乳の絆の色。
山姥の早き目覚めや飴つこ市 山田 一政
アメッコ市は秋田県大館市の二月初めの市。戦国末期の天正年間にはもう行われていたと伝えられるほどに古い、由緒ある市で、そこで買った飴を食べると風邪をひかないと言われている。山姥もきっと子どもの頃から親しんだ催しだったのだろう。だから年をとった今も、妙にワクワクして、市の立つ朝は早くに目覚めてしまうのだ。
カリフラワーはづすパズルを解くやうに 森木 方美
私は長いこと、カリフラワーは日本語と英語がごちゃ混ぜになって出来た「仮フラワー」すなわち「仮の花」だと思い込み、面白いネーミングをしたものだと感心していた。まったく赤面ものである。実はカリフラワーは英語の CAULI FLOWER に由来する外来語で、CAULI は茎を意味するラテン語。食用にしているのは花蕾と呼ばれる部分で、パズルのピースのように外すことが出来る。名前の語源を辿るのもこれまたパズル。
一年生入れ登校の列できる 西脇 均
同じ小学校へ通う地区の子供たちがまとまって集団登校の図。六年生や五年生など年長の子が前と後ろに立ち、中ほどに新一年生を挟み込んで、列の出来上がりだ。上級生にとっては年長としての自覚と責任感が養われ、新一年生には年の違う子との間の序列や集団での楽しさを覚えることが出来る仕組みだ。親ごさんたちが心配顔に見守る中、さあ、学校へ向けて出発。
春宵や豆つぶ程の石人形 齋藤みつ子
みつ子さんの今月の五句はいずれも山口県の事物を素材にした句。そのうち掲句は、私の故郷岩国錦帯橋名物の石人形を詠んだもの。石人形は文字通り石で出来た人形だが、人の手によるものではなく、ニンギョウトビケラの幼虫が口から糸を出し、蓑虫の蓑と同様に、小石や砂を集めて筒巣を作ったもの。そして数ある筒巣から、七福神や仏像に似たものを集め、名物石人形としてお土産品などに仕立てている。
ユニークな形状と由来から、俳句の素材としても親しまれ、大正時代の岩国には「石人形社」という俳句結社まであったほどだ。春の宵、豆粒ほどの石人形を掌に載せ、一句捻っているのである。
啓蟄やトンネルうるさきMRI 井上 和子
MRIとは磁気共鳴画像(Magnetic Resonance Imaging)の略で、強い磁石と電磁波を使って体内の状態を断面像として描写する検査。脳や脊椎、子宮、卵巣、前立腺などの病変に関して優れた検出能力を持っている。私も毎年の人間ドックで脳の検査を受けているが、あのトンネルのような中に入れられておよそ一〇分、ガーガー、ピーピー、ガタンゴトンと、まあまあ煩しくてたまらない。検査が終わると、この句と同様、啓蟄の虫さながらに這い出して、やれやれ一息といった感じである。
龍天にお船観音さま連れて 井上知佐子
秩父札所三十二番般若山法性寺のご本尊は聖観世音菩薩で、別名「お船観音」と呼ばれている。川で悪魚に襲われ溺れそうになった女性を、船頭に化身した観音様が救ったという伝説にちなみ、ご本尊は冠の上に笠をかぶり、櫂を持って舟を漕ぐユニークな姿をしておられる。一方、「龍天に登る」は、春分の頃に龍が天に登って雲を起こし雨を降らせるという古代中国の伝説が季語になったもの。
日中二つの伝説が組み合わさり、想像世界が広がる楽しい句となっている。
論語碑の在す屋敷のすみれかな 野中 一宇
日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は現在の埼玉県深谷市血洗島に生まれた。その生家は今も現存しており、深谷市指定文化財「中の家」として、江戸時代末期の養蚕豪農屋敷の様子と、彼の事績を今に伝えている。論語碑とはそこに建つ「青淵由来之跡」か、あるいは、縁の加須市にある栄一直筆の「論語碑」を指すのであろう。彼はその著『論語と算盤』の中で、「利潤と道徳を調和させる」という経営哲学を説き、企業約四百八十社に出資して、日本資本主義の黎明期を牽引した。私が社長を務めている㈱京都ホテルも出資を受けた会社の一つである。
今年の七月、一万円札の肖像が、福沢諭吉から渋沢栄一に変る。下五に置かれたすみれが、日本経済の今の有り様を微笑みながら見つめている彼の姿のように思える。
◇ ◇ ◇