天為俳句会
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十人十色2024年8月 日原 傳選

    背戸涼し龍太束ねし竹箒        井上 淳子

 飯田蛇笏・龍太の旧宅を「山廬」という。山梨県笛吹市境川町小黒坂にある。主屋の裏手には竹林があり、狐川という谷川が流れている。橋を渡ったところを後山と言い、南アルプスの連山がよく見える。作者は俳句の聖地とも称されるその「山廬」を訪ねたのであろう。そして飯田家の敷地の清掃に使われる竹箒を目にし、それは龍太氏が手ずから束ねて作ったものであることを知って驚いたのである。「背戸涼し」という上五の措辞が家の裏手に竹林と谷川の備わる「山廬」らしい景を示している。ちなみに龍太には<木臼彫る家裏しんと水流れ<という句がある。飯田家の屋敷では竹箒どころか、餅を搗く臼まで作っていたようだ。『季題別 飯田龍太全句集』(角川学芸出版)では「臼つくる」を冬の季語としている。「餅搗」「餅筵」等に関連づけたのであろう。

   甲斐駒を目指し駆け出る厩出し      赤池 弘昭

  「甲斐駒」は甲斐駒ヶ岳をいう。山梨県北杜市と長野県伊那市にまたがる山。標高二九六七米。南アルプスの北東端に位置する。花崗岩でできた山肌が遠くからも白く望まれる名峰である。その雄姿を詠んだ句に<甲斐駒にくれいろひくく宙の凍て 蛇笏><立春の甲斐駒ヶ嶽畦の上 龍太><甲斐駒の一ひとつ巌いはほや辛夷咲く 小澤實>がある。その山麓にある牧場では、寒さが和らいで「厩出し」の時期を迎えたのである。厩舎に閉じ込めていた牛馬を戸外に放つ。喜び勇んで駆けだす姿を「甲斐駒を目指し駆け出る」と大景のなかで捉え、勢いのある句となった。

    キルギスの谷の草萌えユルト張る    谷野 好古

  キルギスは中央アジアにある共和国。旧ソビエト連邦の構成国であったが、ソビエト連邦の崩壊にともなって一九九一年に独立した。北はカザフスタン、東から南にかけては中国の新疆ウイグル自治区と接する。国土の四割以上が三千米を越える山国で、東西に山脈が走り、多くの峡谷がある。その峡谷も草萌えの時を迎え、遊牧民たちは待ちかねたように放牧を開始するのである。「ユルト」はテュルク語で遊牧民が用いる伝統的な移動式住居を言う。モンゴル語の「ゲル」、中国語の「包(パオ)」に当たる。国境があり、用いる言語に違いはあるが、中央アジアの遊牧民の生活形態は共通するところが多いのである。

    七色のマティスの切絵夏きざす     堀内 裕子

  アンリ・マティス(一八六九~一九五四)は二十世紀を代表するフランスの画家、彫刻家、版画家。フォーヴィスム(野獣派)運動の中心的存在。独自の色彩を駆使したところから「色彩の魔術師」とも呼ばれる。その晩年は油絵から切り絵の方に創作の重点を移した。今年の二月から五月にかけて「マティス 自由なフォルム」と題する展覧会が国立新美術館で開催されていた。今回の展示は特にその切り絵に重点がおかれていたようだ。そこに作者は足を運んだのであろう。「七色の」という措辞でマティスの作品の色彩豊かな面を示した。「夏きざす」という季語はマティスの好んだ緑の色を呼び起こすかたちで収まっている。

    飛花落花乾櫓の白壁に         久保田悟義

  「乾(いぬい)」は北西の方角をさす。「乾櫓」の現存する城はいくつかあるが、今年の話題としては、大阪城の乾櫓が九年ぶりに一般公開されたことが挙げられる。徳川幕府が大阪城の再築を始めた元和六年(一六二〇)に建てられたもので、城内では、現存する最古の建物の一つとされる。公開されたのは四月から五月にかけての期間。作者はあるいはそこで「飛花落花」に遭遇されたのかもしれない。

    風の音水の音きき種えらぶ       津田  卓

  「種選(たねえらび)」は春の季語。『俳諧歳時記(春)』(改造社)では「前年取入れた籾もみを春三月彼岸前後に俵から出し、本田に必要だけのものを選り分けて後、桶に鶏卵の鈍端部の浮き上る程度の濃度の塩水をつくり、種選用の籠をもつて所謂種選みを行ふのである。後清水で良く洗つて俵に入れて、池・川・桶等に浸す。その期間は七日間である」と事細かに説明する。大豆や小豆など他の一般の物種を選り分ける場合も言うようだ。掲句は「風の音水の音きき」と大きく対句仕立てにした箇所が、読んでいてこころよく響く。豊かな自然のなかに身を置いて「種選」の作業を行なう様子が想像されてくる。

   夜明け前海の底なる夏の部屋       近藤 博美

  掲句を読んで、まだ暑さもそれほどではない夏の初めの夜明け前の光景を想像した。暗いうちに目が覚め、布団に入ったまま次第に窓のあたりが明るくなってくるのを見ているのであろうか。ほのかに明るくなった世界を「海の底」と言い留めたところが斬新。詩的な作品である。ちなみに「海底」を比喩として用いた先行例として<海底のごとくうつくし末枯るゝ 山口青邨><海底のごとくうつくし末枯るゝ 山口青邨>がある。

   佐呂間湖に鳩琴の音や春夕日       内山 美代

  「佐呂間(サロマ)湖」は北海道北東部、オホーツク海岸にある塩湖。琵琶湖、霞ヶ浦に次いで日本で三番目に大きい湖。その名はアイヌ語「サルオマトー(葦原にある湖)」によるとされる。細長い砂さ嘴しでオホーツク海と隔てられているが、中央部の三里浜付近で外界と通じている。昭和の初めに人の手で開削した水路だという。「鳩琴(きゅうきん)」はオカリナを漢字表記した語。オカリナは陶製の気鳴楽器で、鳩のような形をしているものが多い。掲句は、広い湖面を見ながら、誰が吹くとも知れぬオカリナの音に耳を傾けているというのであろう。春の夕べのゆるやかな時間の流れが感じられる。なお、サロマ湖の湖岸には景勝地があまたあり、場所によっては湖に落ちる夕日が見られるという。

    湧水の小石噴き上ぐ山葵の田      髙澤 克朗   

  「山葵」および「山葵田」は春の季語。山葵を栽培する山葵田は清冽な水の流れる渓流沿いに作られることが多い。栽培地としては、静岡県の伊豆、長野県の安曇野などが知られている。掲句の山葵田は清流を引き込むだけではなく、田のなかに水の湧くところがあって、その湧出口のあたりでは湧き出る水の勢いによって小石が噴き上がっているというのである。臨場感のある作。

    雉子の雛ソルゴーの根の巣に三つ    南島 泰生

  「ソルゴー」とは「蜀黍(もろこし)」「高黍(たかきび)」をいうイタリア語らしい。中国語では「高粱(コーリャン)」という。近年常食する人の増えた雑穀用に栽培しているのであろうか。あるいは蒸留酒の材料にするのかもしれない。そのソルゴーの栽培される畑で雉子の巣を見つけた。覗いて見ると、すでに卵は孵かえり、三羽の雛の姿がそこにあったというのである。未知の世界に分け入り、発見したものを報告する子どものような視線の感じられる作である。

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