十人十色2025年1月 西村 我尼吾選
稲妻や汽車を沈殿した肋 椋 あくた
二〇世紀初頭のシュールレアリスムは一九世紀初頭にトマス・ヤングが行った光の二重スリット実験による「量子重ね合わせ」につながる光の二重性(光は波でもあり粒子でもある)という超現実の実験結果が大きく影響していると考えている。一世紀にわたって常識を超えた見えないものが現実に在るということを人々は経験し考察した。この作品の「汽車を沈殿した肋」という表現は己の生の実存実感としての「肋」のなす空間に不思議な粒子が沈殿してゆきいろいろな存在の可能性の中で、まるで「波動関数」が収束するように「汽車のかたちに」なったことを意味する。その収束を起こすものを「観測」という言葉で量子力学は語る。ここで作者は、「観測」を引き起こしたものこそ稲妻であると断定した。おのれの内面の中に天地創造のしかも非現実を有らしめる荒技の作品である。
李白の「子夜呉歌」は春夏秋冬の四つの章からなる。子夜という女性の歌った呉の歌という意味で民謡に李白が五言古詩のかたちで作詞したものである。特に秋の章が有名で辺境に征った夫が異民族を打ち破って帰ってくることを待ち望むこころを歌っている。この作品を本歌として俳句に仕立てた作品であるが、本歌には明らかに表現されていない「都の月や帰りませ」というやさしい言葉が時代を超えて現代の相聞の歌になっている。
杉玉の秘色の碧き月登る 佐藤 鈴代
有馬先生が選考委員をしていたアジアコスモポリタン賞は奈良県の能楽ホールで授賞式を行うのが習わしであった。受賞者を連れて市内を散策したりするときに古い酒屋に杉玉が飾られていた。杉玉の起源は奈良であるという。古くは酒の神に奉じたものであったが、新酒ができたときに飾り、鮮やかな緑からそれがだんだんと枯れてゆくにつれて新種の熟成を顧客に伝える意味がある。秘色と言えば越州窯が有名だが、陸羽の「茶経」でその碧色が最高のものとされた。杉玉の碧色は新酒の時期であるので時期的には二月ごろの月と言えよう。
竜田姫大きな瞳の岸たまき 比留間加代
竹久夢二は「大いなる眼の殊に美しき」妻たまきをモデルにした。年上の絵に対する教養もあり、画家の妻でもあった良家の女性であった。離婚、復縁等破滅型の画家夢二を支えたが、夢二の放蕩ともいえる女性遍歴の中で数奇な人生を送った。源氏物語でも竜田姫は良妻の鏡として描かれたが、秋の女神である。岸たまきは夢二にとって竜田姫であったというのは哀しい真実である。
ヒスイ持て敲く石斧や秋深む 江川 博子
石斧を作るのは河原の蛇紋岩などを石で表面を調整した後磨いて作る。まるで宝玉のような磨製石斧が出来上がるが。打製石器を作るには石を鋭く割ってゆくための固い敲き石が必要であった。それにはまさに宝玉たる翡翠の石が使われた。このような加工の技術的経験が翡翠を磨いて勾玉を作ることに
コスモスを小さき風が選びをり 安藤小夜子
可憐なコスモスが風になびいている。そのコスモスの揺れるさまを写生していると、そこに風の道筋のようなものを見ることができた。さらに凝視しているとそれぞれのコスモスの揺れ方が微妙に違っておりながらもその可憐さを増していることが分かった。風にも大小があり、そっとコスモスに触れる風が小さくわかれ、コスモスを選んでいるのだということが見えてきた。只管写生することにより、ミクロコスモスの見落としがちな世界に、造化の不思議を発見した。
南国の小島に届く秋の声 南島 泰生
喜界島に住む作者は南国の小島と自らの棲む島を愛称する。南国の小島にも秋がやってくる。そのことは特別のことではないが、そこで人生を送っている人には、本土に暮らす人とは異なる秋の感興が生じてくる。秋の声という季語はまさに秋を象徴する美しい言葉であるが、それは一概に論理で説明できるものではない。秋の声こそ自らの内面に聞くしかない声である。作者はその内面に響く秋の声が、日本の四季を司る造化の法理により細やかに南国の小島に届けられたということを表現している。我々本土に住む人間が旅人としてきくことのできない秋の声である。
心当てに故郷の野辺を吾亦紅 森木 方美
掲載作品の中には「萩の咲く庭に小さき施療院」もある。
故郷を訪れる時、思い出を確かめることになる。それは、場所であったり、人であったり、、物であったり、いろいろなものである。確かあのあたりに思い出の花が咲いていたような気がする。そのような思いで故郷の野辺を探訪していたら、確かに吾亦紅が咲き乱れていた。「吾もまた紅なりとひそやかに 虚子」とあるように、私を見落とさないで、私も赤く咲いているという訴えが、忘れていた故郷の大切な思い出を蘇らせる。
アポロンの神殿の島光る檸檬 青 猫
白土三平の漫画に神話伝説シリーズという作品があった。カムイ伝の重いストーリーの中核にある人間の内面の懊悩をを世界の神話伝説に基づいてえぐり出す作品群であった。差別の問題に真正面から取り組んだ白土は日本だけでなく世界の文化の根底に存在する人間の原罪に対する思いを自分の作品に化体させようとした。アポロンの神殿の島であるデロス島でのデルフォイの信託の残虐な預言も白土のそのような思いと通じるドラマがある。この作品はそのような運命の悲劇を「光る檸檬」と対比させることでredemption(救済)をもたらしている。
オリーブの実の塩梅や地中海 三浦 恭子
対馬康子の処女句集『愛国』は米国滞在の時の作品を中心とする句集であるが、二〇代の時の作品に「オリーブの種子ほろほろと陸さみし」とヨーロッパを中島斌雄教授と旅した時の作品もある。若いまだ世界が未知のものであり、短詩型文学の本質を手探りする中での作品である。それに対して掲句は人生の円熟を経て、地中海の風土を自己の中に取り込み、大きな肯定の基に受容し、人生を楽しもうとするおおらかな気風が醸し出されている。オリーブの実をどのようにして楽しむか、その塩梅を地中海という広大なヨーロッパの海に問うている。
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