十人十色2025年2月 福永 法弘選
柿の木にぼうじぼ鴨居にみの虫 椋 あくた
旧暦八月十五日の満月を愛でる風習は奈良時代に中国から伝わり、貴族たちは月明かりの下で詩歌を作り、管弦の演奏を楽しんだ。鎌倉時代以後は庶民の間にも広まり、各地で土俗の風習と入り混じって、現在まで続いているものもある。栃木県の一部では、子どもたちが、藁を束ねて作った棒で地面を叩き、「大麦あたれ、小麦あたれ、サンカクバッタのソバあたれ」などと唱えながら家々を訪ねて廻る。もぐら退治や豊作など様々な願いが十五夜の行事として取り入れられたのである。訪れた家では小銭や菓子が貰えるので、子どもたちの大きな楽しみだ。また、使い終わったぼうじぼはたくさん実がなるようにとの願いを込めて柿の木に吊す。叩かれてボロボロになって吊されているぼうじぼは、どこか蓑虫に似ている。
武器の無き王の行進首里祭り 村雨 遊
首里城祭は毎年十一月の初めに行われる沖縄の祭りである。数日間行われるが、その白眉は、鮮やかな衣装に身を包んだ国王と王妃の一行、中国からの冊封使の一団、そして琉球伝統芸能団が続く琉球王朝絵巻の行列である。華やかさに圧倒されるが、何より驚くべきは、まさにこの句にある通り、王様が武器を何一つ身につけていないことだ。もちろん、本土各地で行われる同様の歴史絵巻行列に見られる鎧兜に身を固めた武者などどこにもおらず、琉球王国がかつて文と芸能の王朝だったことを語らずして語る。
そんな平和な琉球を、一六〇九年、薩摩の島津氏は軍を催して侵略し、その後明治に至るまで実質的に支配した。明治になると琉球王国は廃され、日本の一つの県とされた。そして、あの悲惨な沖縄戦へ、戦後の米国による占領へと続いていくのである。
しぐるるや愛犬の尻細くなり 錦織 希己
犬は人間と比べて成長するのが早い分、歳を取るのが早く寿命も短い。ペットフード協会の調査(令和三年)によれば、飼育されている犬の平均寿命は一四・六歳であり、日本人の平均寿命は男性が八一・一歳、女性が八七・一歳(令和五年調査)だから、人の五分の一程度しかない。
犬の老化は、お尻→太もも→ひざ→つま先の順番で衰えが進み、やがて歩くことが出来なくなって寝たきりになる。この句に詠まれた愛犬も、老化の第一段階である尻の張りが失われて細くなったことに、作者は愕然としているのだ。しかし、老化を止めることは出来ないが遅らせることは出来る。愛犬と過ごす貴重な時間を一日でも長くするために必要なことは、愛犬の筋トレ。散歩の際はなるべく坂道を通るようにして上り下りでややきつめの負荷をかけ、筋力と関節の強化、維持を図ってやることだそうだ。
宇津田姫遥かばかりを見て旅路 日根 美惠
平城京を取り巻く山々の名などを使い、四季を統べる女神に例えた美しい季語がある。春は佐保姫、秋は龍田姫で、この春秋二神は俳人にはよく知られているが、他に夏には筒姫、冬には宇津田姫が当てられている。「遥か」とは遠くまで見通せる距離的なことだけでなく、斑鳩、飛鳥の時代から続く途方もなく長い時間にも思いを馳せた一語。旅先の地とめぐり来る季節への端的な挨拶の一句。
秋懐や蘇我氏贔屓の案内人 山本 純夫
歴史は勝者によって書かれるものなので、敗れた側はどうしても悪人にされてしまう。しかし、天下の謀反人明智光秀は、その領国においては名君と慕われていたようであるし、吉良上野介もまたしかり。古代史では、大化の改新(最近では乙巳の変と呼ぶらしい)で中大兄皇子や中臣鎌足らに討たれ滅ぼされた蘇我氏一族も同様。蘇我一族が古代日本に遺した功績は大きく、それらを正当に評価すれば、蘇我びいきとならざるを得ないとの気持ちが、観光ガイドの言葉や態度の端々からうかがわれるのである。
ポスターの風冷ややかに選挙戦 川野 恵
昨年の都知事選や兵庫県知事選が象徴するように、本格的なSNS時代となって、選挙のスタイルが劇的に変わった。ポスターを張り、街頭で演説し、選挙カーで候補者名を連呼し、握手しまくるという従来型の戦いは功を奏さなくなった。SNSで静かに政策を訴える一方で、虚実ないまぜに誹謗中傷で相手を攻撃し叩き潰すという、おぞましい手段が登場してきたのだ。街頭に張られたポスターの端を冷ややかにめくる風が、従来型の選挙を懐かしがっているようだ。
給油所のまたひとつ減る暮の秋 佐々木季楽
資源エネルギー庁によると、ガソリンスタンドの数はこの二十年で四割以上減り、この先も減少トレンドは収まらないようだ。主因は、燃費改善や「脱炭素」の取り組みによるガソリンの需要減、安全性強化指導による設備投資額の過重化であり、更に加えて、地方においては、後継者不足が拍車をかけている。給油所の減少は、「自宅から給油所までの距離があまりにも遠い」「移動手段をもたない高齢者への灯油配送などに支障をきたす」など、地方の大きな問題になっている。作者は北海道在住なので、冬場の灯油の調達は死活問題。秋が深まるにつれ、心配は募る一方だ。
秋日濃し実家じまひの紙袋 藤森けいこ
国土交通省によると、人口減に加えて、高齢化、少子化、核家族化の影響などで、我が国の空き家の数は令和四年時点で九十万戸を超えたそうだ。家屋は人が住まなくなるとたちまちに朽ち、廃屋と化してその価値を落とす。そうならない前にきちんと始末を付けなければならないが、それが思い出多い実家であったりすると、なかなか進まない。作者はその実家じまいに取り掛かっているのだが、「紙袋」を提げて通うという程度だから、一気に片付けるのではなく、少しずつ、少しずつ、懐旧に浸りつつ進めているのである。
色街を抜け子規庵の糸瓜かな 櫻田 千空
台東区根岸にある子規庵は、正岡子規が明治二十七年からおよそ七年間暮らし、そして亡くなった場所。日本の近代俳句はここから始まったとも言える聖地である。子規没後も母と妹が住み、子規の遺品や遺墨等を守っていたが、昭和二十年の空襲により建屋は焼失した。しかし、不幸中の幸いで、土蔵は焼失を免れ、貴重な遺品類は残り、そして、昭和二十五年には建屋も当時の間取りのままに再建されて現代に至っている。糸瓜が下がる庭の風情もほぼ当時のままだが、周辺の状況は一変している。ラブホテル街の中を抜けて子規庵に至るのだが、あの通りを歩いている姿を人に見られるのは赤面ものである。
玉をまづ据ゑて夜長の駒を並む 西脇 均
将棋を始めるために駒を並べている図。下五が「駒並べ」ではなくて、万葉調に「駒を並む」としてあることによって、連想が大きく広がった。
(駒並めて打出での浜を見わたせば朝日にさわぐ志賀の浦なみ)は、後鳥羽院が木曽義仲の短くも激しい生涯を偲んで歌った和歌だが、院もまた後に承久の変に敗れて隠岐に配流された。王と玉を取り合う将棋は、陣地を囲い合う囲碁よりもより合戦に近いように思う。
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