十人十色2025年3月 天野 小石選
桟橋に買ふママレード島の秋 小林ひろえ
作者の小林ひろえさんは広島県にご在住。秋晴れの一日、瀬戸内の島を訪ねられたのではないでしょうか。そこは柑橘類の産地であって、空と海の青さと柑橘の実のオレンジ色が明るい光の中で輝いているような島。帰りの船に乗る前、桟橋で瓶に入ったママレードをお土産に買った。季節感、瀬戸内の情景が優しく描かれています。ママレードが日本で食された記録は、明治二十六年の福沢諭吉の書簡にあるそうです。山口県の萩の特産である夏みかんを使ったようです。ママレードはパンに塗ったり紅茶に入れたりしますが、肉料理の下味やソースに使うことも多いので、キッチンに常備していて役立ちます。ちなみに醤油味ベースの鶏の唐揚げに絡めても、良いお酒のおつまみになります。
粉雪や静寂の中の漁師町 鈴木れい子
鈴木れい子さんは北海道小樽市に生まれ、現在もお住まいです。今月号の「我が支部 この人」に登場され、小樽支部を紹介されています。そこでも小樽の冬の情景を丁寧に詠まれていますが、掲句もそういう一景。小樽は観光地として運河沿いの倉庫街や小樽ガラスが有名ですが、元々は鰊漁で栄えた町。鰊御殿も残されていますし、当時の繁栄を物語る料亭なども現存します。そんな小樽に生まれ育ったれい子さんには、賑わう町の中より、粉雪が舞う静まりかえった漁師町が冬の小樽の心象風景として刻まれているのだと感じました。寂れてしまった鰊漁も、近年多少戻ってきたと伺いますが、海水温の変動で、今後どうなって行くのか、危ぶまれるところです。
山眠るクレヨンになきけむり色 椋 あくた
一月号、二月号と連続して天為集巻頭を取られている椋あくたさんは栃木県在住の四十代後半の新鋭。独特な現代的感性で作品を詠まれています。でも決して難解ではなく、昭和、平成、令和を生きている私たちの多くが辿ってきた文化から発想されていることが理解できます。掲句は、クレヨンにけむり色がないことに気付いた子供の頃の経験から生まれた句かも知れません。煙を描こうとして、白なのか、茶なのか、分からなくなってしまった。そういえば眠っている山も何色を塗れば良いか非常に曖昧。季語の取合せが効いています。
本郷にけぶる零雨や漱石忌 嶋田 香里
「零雨」とは小雨、静かに降る雨のことですが、漢語として漢詩に詠まれている例が多い。従って漱石忌であればこそ「零雨」が生きてきます。同時掲載句の中に「羊羹に昏夜の重み漱石忌」もありますが、漱石忌を詠むに当たっての工夫が「昏夜」の一語に見られます。忌日俳句を詠むときには、季感を補うため別の季語を入れることも多くありますが、掲句のように、その人の生涯を表現できる言葉を探すことはとても大切です。この二句においては「本郷」も「羊羹」も大切なキーワードになります。
杖持ちてマユンガナシや冬銀河 田中 梓
田中梓さんは学生の頃、民俗学の調査のためにトカラ列島などに渡られたそうです。九州、沖縄地方の島々では、仮面、仮装の来訪神が出現する祭がありますが、マユンガナシは石垣島の川平で陰暦九月に行われる祭祀として知られています。カサとミノを被り、杖をついて、家の前で祝福の言葉を唱えるそうです。ニライカナイから訪れた神が一夜の宿を乞うた伝承が元になっているそうです。沖縄も少し寒くなる頃の、星空が美しい一夜の祭祀を幻想的に詠まれています。
冬雲の隙間の青に鳶の啼く 阿部 朋子
今年は二月に二度、大寒波が列島を覆い、大雪の被害が出ている地方が多いようです。阿部朋子さんは福井県にお住まい。町も大変な積雪量と聞きます。ご無事をお祈りするばかりです。そんな越前の冬の空は、厚い雲に覆われる日が多いと思いますが、時々雲間に覗く空は吸い込まれるような青さを湛えることでしょう。そこに舞う鳶も歓びの啼き声を上げている。音も高く響いてきます。越前の冬の厳しさと美しさが描かれた佳句だと思います。
浅間嶺へ光なだるる蕎麦の花 橋本 綾
長野県の小諸や佐久を通り掛かると、浅間山の雄姿に心が沸き立ちます。季節ごとに姿は違いますが、蕎麦の花が咲く秋は、空気が澄む中、日を受けて碧く輝いて見えます。橋本綾さんも、そんな秋の浅間山に感動されたのでしょう。「光なだるる蕎麦の花」と一気に詠み下ろし、天空の光から浅間山、蕎麦畑までをすらりと詠み上げていて爽快感に<GAIJI no="00158"/>れています。他に「笑ひ声かたまつて飛ぶ紅葉山」の「かたまつて飛ぶ」の把握に心引かれました。
昼火事の黒煙長く海の街 藤井 素
この句の海の街が何処かは分かりませんが、東日本大震災や能登半島地震などの大災害では多くの大規模火災も起きてしまいました。輪島の火災では町の多くが焼失しました。しかしニュース映像を見て心を痛めても、何も出来ることがなく、人々の一刻も早い救助を願うばかりでした。掲句は禍々しい景を詠んでいますが、その中には火事に見舞われた方の安全を祈る気持ちが込められています。
路地裏の蕎麦屋に並ぶ年の内 中川 雅司
行き付けのお蕎麦屋さんでしょうか。人気のあるお店で入口に何人か並んでいても待つ覚悟はされている。路地裏なので並んでも然程邪魔にはされない。待っている間に今日は何蕎麦にするかなどと考えている。小酌をするのも良いかも知れません。年の内の一時、こんな楽しみ方も粋でうらやましいです。
覗かれてパンチくり出す炬燵猫 鈴木千枝子
炬燵猫は竃猫の傍題です。竃や炭の炬燵は今は失われていますので灰猫とはならず、電気炬燵の中にもぐっている猫。家人が布団を捲って覗くと猫パンチをくり出す。可愛くて選にいただきましたが、それだけではなく作者の猫に対する愛情の深さが伝わってきて、佳い句だと思います。有馬先生には猫や子猫を詠んだ名句があります。探してみて下さい。
<小中学生の部>
手ぶくろの茶色のねこがのびをする 松崎 玲手袋をはめて指を開いたり握ったりするたび、模様の猫が伸びをしているみたいと発見したところが可愛いと思います。
クリスマスベツレヘムへの道しるべ 荒川麻梨子
麻梨子さんは十二月に軽井沢に行って、クリスマス礼拝で神父様のお話を聞いてきたそうです。世界の平和を祈る一句。
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